熊野純彦インタビュー  無償の情熱を読み、書く  『本居宣長』(作品社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 特集
更新日:2018年9月7日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

熊野純彦インタビュー
無償の情熱を読み、書く  『本居宣長』(作品社)刊行を機に

このエントリーをはてなブックマークに追加
本居宣長(熊野 純彦)作品社
本居宣長
熊野 純彦
作品社
  • オンライン書店で買う
哲学・倫理学者の熊野純彦氏が大著『本居宣長』(作品社)を上梓する(九月一〇日刊行予定)。九〇〇頁を超える本書には、巻末に膨大な参考文献と人名索引が並ぶ。
本居宣長の著作はもとより、宣長が註釈をつけ読み解いた『源氏物語』『新古今和歌集』『古事記』、あるいは宣長を論じ、評した文献をもたっぷりと引用する。本居をめぐる近代日本の精神史に触れ、直接テクストになじみ、宣長を外から内から味わいつくす一冊である。
本書の刊行を機に、なぜ宣長だったのかという疑問から、著名な小林秀雄の『本居宣長』を始めとする過去の宣長論評への忌憚なき意見まで、熊野氏にお話いただいた。 
(編集部)
第1回
宣長への関心、物を書く人間としての矜持

熊野 純彦氏
――熊野さんは、岩波新書の『西洋哲学史』二巻に代表されるように、西洋哲学史に詳しい哲学・倫理学者というイメージがあるのですが、本書では江戸期の思想家、本居宣長を論じておられます。宣長への関心はいつごろからあったのでしょうか。
熊野 
 先行する関心が三通りあるのですが、一つは、高校二年のときに丸山眞男の『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)を読んだこと。助手論文でもあった第一論文の中心は徂徠論で、宣長学との関連に説き及んでいました。もちろんメインの徂徠論からも印象を受けましたが、それが宣長を論じた文献を読んだ最初の機会だったと思います。

高校時代は古文の教師に恵まれて、『源氏物語』を習い、その関連で宣長も話題になりました。あるとき、大学の教養課程でご自身が使っていたというテクストで、授業を受けたことがあるんです。このテクストは自分の師が作ったものだけれど、間違った註釈がある。たとえ師匠でも、宣長も「師の説になずまず」と言っているんだ、などと雑談されたのを覚えています。

もう一つ、僕は東大倫理学の出身ですが、そこには和辻哲郎さん以来、西洋思想と日本思想、両方の専門分野があります。学生のときは両分野の授業やゼミを覗いていましたし、身近な友人に日本思想を専攻する人もいたから、そもそも馴染みはあったんですね。ただ、だからといって将来、宣長について二〇〇〇枚の書下ろしをするとは思っていませんでしたが(笑)。

――高校のときに、既に宣長に触れていたわけですね。ただ、関心があるのと実際に書くのとは違うと思いますが、宣長について実際に書こうと思われたきっかけは?
熊野 
 つまらない話ですが、似合わぬ管理職についたことです。僕は、そのまま大学の行政人に納まる気は毛頭ありませんでした。自分をいわゆる研究者だとも思いませんが、物を書く人間として、何とか仕事をつづけたいと。でもそれにはかなり大きく気持ちを切り替える必要がありました。カントについての「群像」の連載「美と倫理とのはざまで」は、学部長になる前に引き受けたものでしたが、ほかに何か自分にとって、全く新しい勉強を始めなければ、と。それがなぜ宣長だったのかは、明確には説明できないけれど。

――次回は日本思想でいこう、と考えていたのですか。
本居宣長(相良 亨)講談社
本居宣長
相良 亨
講談社
  • オンライン書店で買う
熊野 
 そういうわけでもないんですね。日ごろから活字は何でも読むのですが、その中で繰り返し読む本があって、たまたま相良亨先生の『本居宣長』(講談社学術文庫)を読み直したり、それが面白かったので、小林秀雄の『本居宣長』(新潮社)を拾い読みしたりしていました。それで『本居宣長全集』(筑摩書房)を揃えて、とにかく全部読みました。僕としては珍しいことですが、宣長に関する主な著作について、抜き書きノートも作り、何かを勉強しているという態勢をつくろうとしたんです。そうでないと、自分がダメになる。二年経ったら、きちんと書斎に戻れるようにと。露骨に言えば、周囲の人間に対する見栄(笑)。僕は、学部長をやるために生まれてきたわけではないと。

――なるほど(笑)。
熊野 
 もう一つ加えると、割と長い間、翻訳に取り組んでいたんですね。カントの『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』(作品社)と、ハイデッガーの『存在と時間』(岩波文庫)四巻本とかです。その間、並行して日本の古典のよく知られたものは、だいたい読んだり、読み返したりしました。翻訳の多くはドイツ語、一部フランス語ですが、横に書かれたものから時に離れたくなるんです。そうして手に取った日本の古典の中に、宣長の源氏論や初期歌論もありました。思想家・宣長というよりは、文学研究者・宣長に向かう下地が、自分の中に作られていたのではないか、という気はします。

――宣長は、江戸期の国学の四大人しうし(ほか荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤)の一人とされていますが、そもそも江戸期の支配的な思想は儒学ですよね。丸山眞男だったら、関心は儒学者の荻生徂徠となるのでしょうが、熊野さんは違いますね。
熊野 
 丸山さんや丸山学派は、そもそも政治思想史研究者ですからね。江戸の思想史の中で、政治思想として突出しているのは、確かに徂徠です。ただ僕は、政治思想史的な研究には限界を感じています。徂徠にしても、一番徂徠らしい論点が政治思想なのかは疑問ですし、それが宣長となれば、これは明らかに違います。宣長の政治思想を論じるというのは、足の小指を論じるようなものです。

宣長学をめぐる政治思想史的な研究には、構造的な欠落があります。政治思想を焦点とすることで、テクストの内側からの読解が阻害されてしまうのです。政治思想の視点では、宣長は割とつまらないことしか言っていない。そうした古い思想のつまらない部分をわざわざ批判することには、いまほとんど意味がない。

とはいえ、丸山さんの文章は、たとえその全てが実証的に間違っていると言われるとしても、やはり読み物としてのデモーニッシュな魅力を感じます。またあの時代に、あの若さで書いたということも考えれば、きわめて優れた作品であったことは否定しません。

 正直に言って、僕自身は高校の授業この方、儒学に魅力を感じたことがないんです(笑)。論語にはときどき美しいフレーズがありますが。

一方で、『源氏物語』と『新古今和歌集』とかは、むかしから大好きです。宣長が取り組んだものがそのまま、僕自身の偏愛の対象でもある。ですから宣長については、取り組みやすかったんですね。
2 3 4 5 6
この記事の中でご紹介した本
このエントリーをはてなブックマークに追加
熊野 純彦 氏の関連記事
読書人紙面掲載 特集のその他の記事
読書人紙面掲載 特集をもっと見る >
歴史・地理 > 歴史学関連記事
歴史学の関連記事をもっと見る >