吉岡太朗「ひだりききの機械」(2014) うん、といふ気合ひに生まれる子やけどぺちより、とすぐに水子となりぬ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2018年9月11日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

うん、といふ気合ひに生まれる子やけどぺちより、とすぐに水子となりぬ
吉岡太朗「ひだりききの機械」(2014)

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関西弁のアクセントで読み上げる歌のため、「子やけど」は字足らずではなく「子ぉやけど」と伸ばすイメージで読むのが正しいのだろう。「うんこをする」という動作が直接的に短歌として詠まれている珍しい一首である。

作者は難病患者の介護職に就いているようで、短歌の中に登場する語り手は関西弁で、無頼の香りを漂わす。作者自身ではなく難病患者側の視点に成り代わったもののようだ。そういう環境だからこそ、排泄のような「シモ」の題材を、ふざけ半分の露悪ではなくむしろギリギリのところを生きている以上避けて通れない、「生」のリアルとして真摯に捉えようとしている。その結果として、このような歌が生まれてくる。「汚らしい」と目を背けてしまうような読者は、まさにこの作者が「生死のリアルを知らない偽善者」として指弾したい存在だろう。

「水子」が詠まれているが、この関西弁の語り手はどうも仏教思想に凝っているようで「下品げぼん」や「縁起」などといった仏教用語が出てくる歌もある。生と死のはざまにいる日々を送っていると、仏教の教えはリアルなものとして身にしみてくるものなのかもしれない。うんこの話ばかりするこの粗野な語り手に、まるで人生を達観した破戒僧のような魅力を感じてくる。生きている以上は決して逃げられないし避けられないものを、ご不浄として敬遠する方が不条理なのだ。「糞尿」を題材とした短歌は、そのことを教えてくれるものが多い。
この記事の中でご紹介した本
ひだりききの機械/短歌研究社
ひだりききの機械
著 者:吉岡 太朗
出版社:短歌研究社
以下のオンライン書店でご購入できます
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