フェイクと憎悪  歪むメディアと民主主義 書評|永田 浩三(大月書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月8日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

フェイクと憎悪  歪むメディアと民主主義 書評
この国の「憎悪」言論の全体像 
それが向かうであろう行き先を的確に示す

フェイクと憎悪  歪むメディアと民主主義
著 者:永田 浩三
出版社:大月書店
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歴史的事実を無視した言説が跋扈し、「反日」「嫌韓・嫌中」といった用語が普通に流通していく。そんな現代の言論状況に対し、研究者やジャーナリスト、書店員ら12人が多用な角度から切り込み、深掘りし、整理して提示した。

「朝日新聞バッシング」に対する批判的見地からの論考など、既に語り尽くされた感のある論点も多い。それでも一読に値するのは、おおむね全編を通じて(1)種々の出来事や背景などを細かな事実を積み重ねるスタイルによって丁寧に記述している(2)この国の「憎悪」言論の全体像とそれが向かうであろう行き先が的確に示されている――からに他ならない。

例えば、第1部の第3章『劣化する「保守」論壇誌と極右運動』の中で、川端幹人氏は「保守論壇はいまや、戦前・戦中を想起させる言論弾圧になんの違和感も感じなくなったばかりか、自ら積極的に“非国民狩り”に乗り出す特高的メンテリティーまで持つようになってしまった」と記した。

この趣旨には深く同意する。その特高警察的なメンタリティーは、もはや保守論壇に限ったことではなく、少なくない国民も保持しているのではないか、と評者は考えている。

新聞やテレビなどの旧来型マスコミは、情報を伝達するハコモノとしての力をどんどん失っている。一方、1次ニュース、1次情報の製造者としての比重は、まだ相当に高い。しかし、多くのマスコミ人はおそらく、自らが「狩られる」対象になることを極度に恐れているのであり、目にする機会の多くなったマスコミ報道の「自粛」「萎縮」もその延長線上で考えることができよう。言論人としての責務よりも、日常の安寧を守ることを優先させる生き方である。

その点から言えば、本書には不満も残った。フェイクと憎悪にまみれかけた現状をどうすればよいのか。その解決に向けた具体的方法論や実験的な既遂の試みがほとんど語られていないからだ。

元毎日新聞記者の臺宏士氏は第1部第4章『産経新聞による記者・メディアへのバッシング』の末尾で、「新聞の批判の矛先になった人がテロや暴力の恐怖にさらされているときには、批判するのと同じかそれ以上の力で守り切るキャンペーンを張るのが新聞の責務」と記している。異論はない。しかし「あるべき論」をいくら積み重ねても(その重要性は否定しないが)、それだけでは現状を動かす力にはなるまい、と評者は考えている。

なぜなら、「フェイク・憎悪の蔓延VSそれに抗う動き」の戦線は、マスコミ企業の建物の外にあるのではなく、既に「抗う個人」の机の周辺に形成されているからだ。彼ら彼女らの多くは、一義的には上司や同僚と闘わなければならない局面にある。そうした個人にとって方法論なき「あるべき論」は響くまい。

本書にも、かつてはマスコミで禄を食んだ著者が幾人か参加している。それら著者は組織人だった時代、今につながる萌芽とどう対峙したのか。その方法論、経験と自省、教訓などを開陳しなければなるまい。それが無ければ、これらOBの論考は「現役のときに言えよ」でしかないかもしれない。

その意味では、第2部第3章の『書店員として「ヘイト本」に向き合う』には心打たれた。著者はジュンク堂書店の現役店長、福嶋聡氏。「しかしそれでも、書店の人間として、『ヘイト本』を書棚から外すという行為は、しません」という氏の発言から始まる論考には、勇気と多くのヒントが潜んでいる。
この記事の中でご紹介した本
フェイクと憎悪  歪むメディアと民主主義/大月書店
フェイクと憎悪  歪むメディアと民主主義
著 者:永田 浩三
出版社:大月書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「フェイクと憎悪  歪むメディアと民主主義」出版社のホームページはこちら
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