蹴爪 書評|水原 涼(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月8日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

蹴爪 書評
克服し難い差異を養分に 
読み応えある世界を構築

蹴爪
著 者:水原 涼
出版社:講談社
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蹴爪(水原 涼)講談社
蹴爪
水原 涼
講談社
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フィリピンとスコットランド。二〇一一年に「甘露」で文學界新人賞を受賞、同作で平成生まれ最初の芥川賞候補となった水原涼の第一作品集『蹴爪ボラン』の二作品の舞台になった場所である。

劈頭を飾る「蹴爪」の主人公は、一一歳のベニグノ。闘鶏所の胴元を勤めるも飲んだくれの父パウリーノ、秀才だが家庭の経済状態から高等教育を断念せざるを得なかった兄のロドリゴ、家計を支えるため偽ブランド品作りに勤しむ母マリアと暮らす。兄と違い落ちこぼれのベニグノは、学校に通わずアイスキャンディやバロットを売って家計を助けている。しかし、ベニグノには、村のリーダーで裕福な家庭の娘グレッツェンというガールフレンドがいる。二人は、地震で倒壊した、村人たちの心の支えとなる祠の再建しようとする。しかし、闘鶏場で起きた事件を機にパウリーノは胴元の地位を追われる。その事件は、兄のロドリゴにも影を落とし、その不満を弟ベニグノへの激しい暴力で解消しようとする。祠の再建も上手くいかず、ベニグノとグレッツェンの間にも、本人たちの思いとは裏腹に距離が生じる。思春期を迎える少年たちの心の揺らぎ、個人の力では抗えぬ社会構造に翻弄される子どもたちの姿を描いて切ない。

もう一つの作品「クイーンズ・ロード・フィールド」は、スコットランドのサッカー三部リーグのチーム、キャッスル・カルドニアン・FC、通称カルドニンアンのサポーター男女四人の物語だ。イタリア人サッカー選手にちなんだ自身の名前を嫌うロベルト、障害のある妹を持つグループ唯一の女性モリー、街にいる数少ない黒人として差別に苦しむアシュリー、そして「ぼく」ことクレイグ。「ぼく」には三人と違い悩みがない。それを隠すため、兄アーロンから虐待されていると嘘をつく。一三歳で出会った四人が三九歳になるまでの出来事、差別、家族の死、成功への憧れと挫折、友情、恋愛などを弱小サッカークラブのサポーターの有り様を絡めて描く、優れた青春小説だ。

この二つの小説の共通点は、外国が舞台であるだけでない。貧困である。ベニグノが兄のロドリゴから受ける暴力も、その根底には貧困問題がある。ベニグノとグレッツェンとの疎隔も、二人の家庭が属する階級差に由来する。他方、「クイーンズ・ロード・フィールド」も、「蹴爪」ほど明瞭ではないが、貧困を背景とする。登場人物の夢の挫折や様々な悲劇、愛するカルドニアンが三部リーグの下位に低迷するのも、その地域の貧しさ故だ。カルドニアン、期待の星オースティンの年俸二万ポンド(舞台となる二〇〇〇年の円換算で三五〇万円、ヴィッセル神戸に移籍したイニエスタの年俸の約一〇〇〇分の一!)が、クレイグたちにとって「非現実」に高額だということにそれは示されている。

しかし、なぜ貧困を主題化した小説の舞台が、外国なのか。現代の日本から貧困が消えたわけではない。しかし、それは個人の資質や年収の差といった計量可能な問題に還元され、社会構造の問題つまり乗り越え困難な障害として物語化することは困難だ。

貧困という克服し難い差異を養分にこの『蹴爪』は読み応えある世界を構築した。翻って、そうした小説空間を現代日本を舞台に作り上げることは、もはや望蜀の嘆に属することになったのか、そんな思いも抱かされた。
この記事の中でご紹介した本
蹴爪/講談社
蹴爪
著 者:水原 涼
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
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