文芸 <9月> 論述文的な組み合わせのセンスで十分な強度の小説を成立させる新鮮さ  古市憲寿「平成くん、さようなら」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月11日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

文芸 <9月>
論述文的な組み合わせのセンスで十分な強度の小説を成立させる新鮮さ  古市憲寿「平成くん、さようなら」

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毎回、何か前口上のようなことを書いてきた記憶があるが、冷静に考えてみれば、別に不要なのである。今回は読んだ小説の本数自体が少なかった。
文學界2018年9月号()文藝春秋
文學界2018年9月号

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個人的には、古市憲寿「平成くん、さようなら」(文學界)が突出して印象的で、八月発表作のなかでは最も読ませる作品だった。一九八九年一月八日生まれ、平成への改元日に誕生した平成ひとなり(ファーストネーム)は、たまたま原発の功罪をテーマとした卒業論文が、二〇一一年三月一一日の震災を機に書籍化の対象となり、瞬く間に文化人・評論家の枠でメディアの寵児となった主人公である。何事も自分で割り出した公式にもとづいて行動することで、悩みを寄せ付けず、まるでロボットのように裏表を持たず、ために過度の欲望も抱えず、感情の表出を制御し、スキンシップ(肉体的接触)を毛嫌いする人物である。これが平成世代の典型だとは思わないが、いつの世にもある若者の得体の知れなさ・・・・・・・を今時の形に凝縮した人物造型とはいえそうだ。その「平成へいせいくん」が、二〇一九年五月予定の改元にあわせて、安楽死による消滅を密かに望んでいる。ちなみに、ここに描かれる日本は、積極的安楽死を合法とする安楽死の先進国である。その点においてのみ、我々の現実世界と異なるパラレルワールドの設定になっている(海外からの「自殺ツーリズム」が流行し、「安楽葬」なる新しい葬儀の形式が、メディアの格好の取材の対象となっている)。恋人として同棲する「私」は、彼の決断を半ば思い留まらせようとしながらも、合理的な最適解を譲らない彼の性格に対する諦めから、その消滅を看取る立場を引き受けていくほかはない。

予想される批判をあげるなら、前作の「彼は本当は優しい」のときにも少し言及したが、文章の運びが論文的であることが一つ。文体の細部の問題ではない。ポストヒューマン、安楽死、セックスレス、人工知能といった、ホットで解決困難な社会的問題(論争点)を骨格として配置する。それを具体的な物語で肉付けてみて、一体どのような行動や生活や人生の形態(=社会的関係)が浮かび出るのか、一種の思考実験をする手つきなのである。コアな「文学」の砦である言表不可能性や言葉の固有性の問題に向き合ったりする気配はさらさら見られない。本作を評価しない文学好きは一定数いるはずだ。他に、テーマのオリジナリティにも疑問がある。ポストヒューマンな時代の倫理基準の混乱を描くのは、村田沙耶香の十八番である。また、ミライという猫(名前の選択がいかにも計算高い)と平成くんの関係はフィリップ・K・ディックの古典的SF『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を思い起こさせるところもある。また、スマートスピーカーから発せられる声が、本人が応答している声なのか、人工知能が合成した不死の声なのか、わからないまま存在を消滅させていく―それなりに感動的な―エンディングにも、どこぞのSF映画で得たような既視感は拭えない。そして、終わりゆく元号(時代精神)に殉死するのは、かの夏目漱石『こころ』の題材でもあった、などなど。分解していけば特別な独創性があるわけでもないのである。それでも本作を佳品と考えるのは、そのような論述文的な組み合わせのセンスで十分な強度の小説を成立させてしまう新鮮さからくる。加えて、文章的なうまさとは違う、人間観察の鋭い、はっとさせられる描写が意外にも多い。前作に際して、身体性を忌避する傾向が強いと記したが、本作では、平成くんの論理的コントロールをたえず裏切る対照的な要素として、身体性の働きがビビッドに描かれている(結局、安楽死の動機もそこに関わっていることが明らかになる)。つまり、平成くんはロボットのような無欠にはほど遠く、存在的矛盾を露わに抱えている人物なのだが、彼はそのことを知っていてなお、それを等閑視して生きてみせる以外の選択肢を持たない。そこに哀しさがあり、また妙なリアリティがあるのだ。

鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(新潮)は、逆に凝った手法が全面を覆っていて、短い時評では扱いにくいタイプである。阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』(一九九七)を想起させる自意識過剰系というかメタフィクション系の作品。主人公の「僕」が属するダンチュラ・デオという名のバンドは、かつてCIAのスパイとして旧ソ連圏に拠点を置いていた同名の―粛正にあって今は隠滅した―グループのコピーバンドであるという設定を使って活動している。旧ダンチュラ・デオはイマジナリーな存在のはずだったが、CIA、旧共産主義の残党勢力、日本政府の陰謀が絡むパラノイックな物語設定が肥大していくにつれ現実化していき、殺傷を伴うレベルの抗争に「僕」らは巻き込まれていく。だが、本作のユニークな点は、ほぼ小説全体に相当する記述がウィキペディアの記事の体裁になっていることだろう。そのため、虚実混淆が進む話の展開すべてがバンドのプロモーションのための創作にすぎない可能性を多分に残して終わる。つまりは、メタフィクショナルな作品である。ただし、ウィキペディアの記事としては到底ありえない物語の記述が、そのフォーマットに丸ごと埋め込まれている形にちぐはぐ感があるのは否めない。最初に普通の小説を書き、あとから全体の物足りなさを補うために―構成的に複雑化するために―装飾的にウィキペディアを被せたことを疑わせるほどに。主人公である「僕」は実は一人称ではなく、アーティスト名としての三人称なのだという設定も一見斬新だが、もともと一人称で書いていた内容を、ウィキペディアの記述ルールに合わせるために施したアクロバチックな弥縫策に見えてしまう。さほど有機的に働いているアイデアには見えないのである。個人的には、手法を露呈させすぎる書き方を好まないので、良作・・という印象はないのだが、何か〈新しいもの〉をという志が感じられる力作・・を素通りしたくない気持ちもある。他の人の評を聞いてみたい作品である。

青来有一「フェイクコメディ」(すばる)も、虚構に現実が乗っ取られていくような話であるが、作風の印象は全くちがう。「わたし」が館長を務める長崎原爆資料館を、ある日秘密裏に見学しにきたトランプ大統領。フェイクなTV番組制作に立ち会っているか、あるいは夢を見ているとしか思えない、異常な事態が進行していく。先に登場する元米国国務長官キッシンジャーの挙動から、夢野久作の作品を最初は意識していたのではないかと思った(久作は、新聞記者であっために時事ネタの扱いに長けていたと同時に、出口なき虚構の迷宮に囚われてしまう人物をよく描いた)。が、出来上がりの作風からその面影は感じられないので、無関係なのだろう。久作とは逆の生真面目な語りのために、題材のわりに驚きや盛り上がりの波がやって来ず、少々退屈な読書になったというのが正直な感想である。トランプ大統領に関しては、一連の描写を通して、肉体的存在としては普段意識しない肖像的人物に変に馴染みになった錯覚を覚えるところもあって、なるほど現実をフィクションにくぐらせることの効用はこういう形で働くのだなとは実感できた。

佐藤友哉「アイスピック」(新潮)は、近親相姦というタブーを扱った短編。とはいえ、「わたし」が直面しているのは一つの殺人事件である。近親相姦は、それを機に記憶の中から掘り起こされてくる子供の頃の事件である。少しずつ謎が明かされていくのは、サスペンスの描き方の定番だが、やはりドキドキして読み進めてしまう面白さがある。ただ、遠い過去の近親相姦と、成人して自分の子供を持った歳になってからの殺人を直接に結びつけてしまうと、社会道徳的に過ちを犯す人間は性的にも生来の欠陥を抱えているのだとでもいうような、ネガティヴな意味での性的アイデンティティの思考を固めかねない点が若干気になったところ(気にするほどでもない気はするが)。加えて、エンディングの性急さは、他の形にするのは確かに難しそうだといえども、やはり無理を感じる。

最後に、西村賢太「羅針盤は壊れても」(群像)と四元康祐「わが神曲・放射線」(群像)について一言ずつ。前者は、いつもの貫多が主人公だが、今回はトラブルの渦中から外れて観察者的なポジションにいるので、何だか妙にいい人になってないか? という点で若干の食い足りなさがあった。後者も、手術やリハビリセンターなどの山場を過ぎ、日常生活に同化した放射線治療の段階に来たために、前回以前に比べるとずいぶん希釈された印象になっている。一読後半月を経た今、ほとんど内容を思い出せないのだから、やはり物足りなかったのだろう。ただ双方とも、安心して読めるクオリティは保証できると思う。最後にいちおう言及した由である。
この記事の中でご紹介した本
文學界2018年9月号/文藝春秋
文學界2018年9月号
編 集:文藝春秋
出版社:文藝春秋
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