天地に燦たり 書評|川越 宗一(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月8日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

“礼”を根底のテーマに
スケールの大きな新人作家の出現

天地に燦たり
著 者:川越 宗一
出版社:文藝春秋
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天地に燦たり(川越 宗一)文藝春秋
天地に燦たり
川越 宗一
文藝春秋
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豊臣秀吉は一五九二年と一五九七年の二度にわたって朝鮮出兵(文禄・慶長の役)を大名たちに命じた。この不毛に終わった戦の模様を描いた作品は数多くある。近年では朝鮮側の資料を使って、朝鮮国と大明国の両国が抱えていた事情を描き出した作品も多い。

本書は第二十五回松本清張賞を受賞した長編で、秀吉の朝鮮出兵を題材にしている。だが、この作品の特異な点は儒教の“礼”の概念受容を根底のテーマとして、島津の侍、朝鮮国の非差別民の少年、琉球国の密偵の三人の視点から描き出しているところだ。

物語は島津の侍大将・大野久高おおのひさたかが「俺は、いつまでこんなことをしているのだろう」と思うところから始まる。この思いは、その後もしばしば出てくるもので、久高が幼い頃に学んだ儒学の影響によるものだ。儒学では人が人たる所以ゆえんが“礼”であるとされる。人は「天地トさんナルベシ」(天地と並び立つ崇高な存在)になれるのだろうか、と戦場で戦ってきた久高に“礼”は遥か遠いものでしかなかった。

明鐘は朝鮮国の理不尽な身分差別に怒りを燃やし、釜山で道学先生に儒教を学ぶ。琉球から来た真市まいちと出会い、琉球国は礼を守るくに、と教えられる。真市は諸国の情勢を偵知する官人で、交易と情報収拾のために薩摩へと渡る。

天正十八年(一五九〇)、秀吉の北条征伐に参陣した久高は、島津の御曹司・久保ひさやすの、吾は天地と参なる人が集うにふさわしい王になりたい、という言葉に打たれる。

文禄元年(一五九二)、文禄の役に島津勢は義弘を総大将とする一万の軍勢で参陣。久高も陣中家老として戦場に出た。

明鐘は倭軍襲来の混乱に乗じて戸籍簿を焼き、身分を偽って下級官吏となる。

大明・朝鮮軍の大敗に終わった碧蹄へきていの会戦で、久高は朝鮮の義兵に加わっていた道学先生を撃ち殺す。

慶長二年(一五九七)二月、大明国との和平交渉が決裂。十四万の倭軍が再び出兵し、島津勢は七千の軍勢で三万の大明・朝鮮軍と泗川しせんで戦う。この戦闘に加わった明鐘は倭軍の捕虜となり、牢に入れられる。真市は明鐘を牢から救い出し、琉球国へ連れ出す。

慶長三年(一五九八)八月の秀吉の死で、倭軍は十二月中に撤退を完了。帰国後の久高は空虚感を抱えて生きる。

慶長五年(一六〇〇)の関ケ原の大戦で西方に与みしたものの何とか旧領が安堵された島津家は、慶長十四年(一六〇九)三月に、三千の軍勢で琉球を攻めて降伏させた。総大将は久高であった。

首里城の門前で久高は真市と明鐘に出会う。明鐘は久高に「相容れない者同士が敬しあい共に生きるための術が礼」と言う。人が天地の間で尽くした思いや営みは決して砕けず、天地に燦たる褪せぬ煌めきを生むのてはないか、と久高は思うのだった。

儒学の“礼”を『礼記』などから引用して、久高、明鐘、真市、道学先生に語らせて儒学問答のようなペタンチックな面はあるが、登場人物たちの生き方の模索と密接に結びついているために邪魔にはならない。むしろ、それぞれの受容の違いを語りを通して浮き彫りにしてみせている。朝鮮の地での、そして琉球での戦闘場面も迫力ある筆致で描き出している。

久高、明鐘、真市の三人の“礼”に対する思いはそれぞれに異なるものの、現代の国際情勢を考える上で貴重な考察を与えてくれる。スケールの大きな新人作家の出現に立ち会った感動があり、今後の活躍を期待したい。
この記事の中でご紹介した本
天地に燦たり/文藝春秋
天地に燦たり
著 者:川越 宗一
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
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