胃袋の近代 食と人びとの日常史 書評|湯澤 規子(名古屋大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月8日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

現代につながる課題 
格差を拡大していく近代国家の一つのひずみを象徴する

胃袋の近代 食と人びとの日常史
著 者:湯澤 規子
出版社:名古屋大学出版会
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著者は、本書のタイトルの副題「食と人びとの日常史」に「人々」と表現せず、「人びと」とした点を自著紹介の中で説明している。すなわち、「人々」の「々」は、「同じ」あるいは「くりかえし」という意味であるが、本書に登場する彼らは、唯一無二の固有の存在であることを示すために、あえて「人びと」としたという。本書の序章には「人びと」の具体的例が挙げられている。

本書の中に、外部から見た研究者としての客観的な目と、「人びと」の側から語ろうとする目の両方を感じるのは、「人びと」への意味に込めた著者の思いがあるからだろう。

本書の構成は、序章から終章までの間に七章を設け、第一章、一膳飯屋と都市、第二章、食堂にみる人びとの関わり、第三章、共同炊事と集団食のはじまり、第四章、胃袋の増大と食の産業化、第五章、土と食卓のあいだ、第六章、台所が担う救済と経済、第七章、人びとと社会をつなぐ勝手口としており、近代の日本が産業化を推進する中で、手足となって底で支えた人びとやそうした社会から排除された人びとを中心に、彼らに賄われた食を通して近代史を描いたものといえよう。

一般には、日常食に関する具体的な記録は残りにくく、多くの人びとは、日々の食事を文字に残すことはほとんどないため、その実態を把握することが困難で、日常食に関する研究は多いとはいえない。

本書では、近代以降調査された史料や工場等の共同炊事の史料以外にも広く史料の発掘に努め、それを丁寧に整理、分析し、その結果を多くの表やグラフ、写真などを用いて具体的に提示することで、読者もともに「人びと」の目線に誘うことにつなげている。例えば、名古屋を中心とした工場などの共同炊事の現状について、具体的な日々の献立をあげ、朝食は、ご飯に味噌汁と漬物、昼・夕はこれに一菜がつく程度で、健康を維持することは難しそうな献立が示されている。しかし、行事などには魚や菓子が振舞われたという記述もあり、成長期の若者たちにとって栄養的にはどの程度だったのだろうかと想像させられる。

漬物は、江戸時代以前からどの階層でもハレの食、日常食にかかわらず必須であり、特にたくあんは庶民にも普及した。江戸の練馬村等では、大根生産に加え、たくあんや浅漬けを加工して江戸百万の人びとの胃袋に届けたが、本書によれば近代の共同炊事では、さらに重要な位置を占めたことが、献立だけではなく大規模な生産者側からの記録からうかがえて興味深い。
最後の七章の残飯屋の項は、近代だけでなく現代につながる課題をかかえている。日本の産業の発展は、前代とは異なる新しい格差を生み出した。明治以降、西洋の食材や料理、近代科学である栄養学、衛生学などが導入されたが、残飯屋の登場は、この新しい文化とは無縁で、近代国家の一つのひずみを象徴するものといえよう。

本書を読みながら庶民の生活を克明に描いた、宮本常一著『忘れられた日本人』を思い出した。「進歩」や「発展」は、人びとを幸せにしてきたのか、誰かの犠牲の上に築かれたものではないのか、むしろ退歩しているところもあるのではないか、とは食の歴史を見るとき筆者も常に感じるところだが、本書を読んでそうした思いをより強くした。

<「まっとう」に生きているつもりの私たちに潜む残酷さを認めなければならない>と自戒を込めた結びもまた、読む者にとっても例外ではないと思い知らされる。
この記事の中でご紹介した本
胃袋の近代 食と人びとの日常史/名古屋大学出版会
胃袋の近代 食と人びとの日常史
著 者:湯澤 規子
出版社:名古屋大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
「胃袋の近代 食と人びとの日常史」出版社のホームページはこちら
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