創造する魂 沖縄ギラギラ琉球キラキラ 100+2 書評|長濱 治(ワイズ出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月8日 / 新聞掲載日:2018年9月7日(第3255号)

長濱治のフォトグラファーとしての人生の最終答案

創造する魂 沖縄ギラギラ琉球キラキラ 100+2
著 者:長濱 治
出版社:ワイズ出版
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この写真集にはざっと数えてだが、男が七十二人、女が三十四人、子供が五人登場する。

ネクタイしている人は二人しかいない。長濱治が生涯をかけて追いつづけた沖縄の文化風土というテーマの、背後に沖縄、あるいは琉球の地霊が写りこんでいるような人間写真ばかりが並んでいる。どの写真からも沖縄の情念と痛ましさと強烈な土俗のエネルギーがあふれ出てくるような気がしながらこの写真集を見せてもらった。

わたしはここで十年ほど前に彼から個人的に聞いた、彼がこの本のなかで説明していない、沖縄にこだわる個人的な事情を本人になんの断りもなく書き添えておこう。なぜ沖縄を撮りつづけてきたのか。彼はこういった。
「オレは十六歳まで名古屋で育ったんだよ。子どものころ、名古屋の疎開先なんだけど、小牧の米軍基地のそばにいたことがあるんだよ。ものごころつくころから、米軍のジープとか軍隊の制服とかブーツとか、カッコいいなと思いながら、いろんなものを見ていた。それこそギブミーチョコレートの世界ですよ。近所にいい女のオネーチャンがいて、それが兵隊のオンリーでね、くさるほどチョコレートをもらって帰ってくる。オレたちはその後をついて回ってギブミーチョコレートってやっていたのよ。ちょっと大きくなってから鉱石ラジオで進駐軍放送聞いて、デューク・エリントンとかグレン・ミラーとか、音楽がかっこよくてビックリした。そのせいでアメリカが大好きだった」

彼の最初の写真集は一九七二年に発表した『暑く長い夜の島』だ。そのころの沖縄で撮った写真をまとめたものだが、これはいま、古本屋で二十万円の値段がついて売っている。長濱が沖縄に行き始めるのは、六〇年代の後半からで返還前でまだ占領下である。

そのころの沖縄には彼が少年時代に経験した《アメリカ》がそのまま残っていたという。

そして、彼の沖縄にはもうひとつ、まったく別の大きなこだわりがあった。写真集の途中に、終戦時の沖縄県知事・島田あきらの戦没慰霊塔の写真が唐突な感じで載っている。
「女房と結婚して、オレが沖縄に写真を撮りにいってくるといったら、わたしの伯父さんは島田叡といって、太平洋戦争があった時の最後の県知事だったというんだよ。調べてみたら、大変な人でね。東大を卒業して官僚になった人だった。戦争末期に米軍が攻めてきたらコテンパンにやられると分かっていて沖縄県知事を引き受けて、『誰かがどうしても行かなきゃならないのならオレがいく。人に死んでくれとはいえない』といって、沖縄に赴任して、知事不在で進まなかった県民の疎開や食糧の確保の問題に取り組んで、最後は米軍の上陸戦に抵抗して戦い、負傷して自決したっていうんだ。その話を聞いたとき、オレは使命みたいなものを感じたんだよ。オレにできることというのは写真を撮ることだけだからね。どうなるか分からないけど、《沖縄》を撮りつづけようと思ったんだよ」

最初に沖縄に行ってみようと思ったきっかけは沖縄出身の大学時代からの友人に招かれてだった。

その人物が真喜志勉だった。真喜志は一九四一年生まれ、六十四年に多摩美術大学洋画科を卒業している、長濱と同年齢、同窓である。二〇一五年に物故しているが、この写真集はたぶん長濱と彼との“男の約束”によって作られたものである。

長濱治は多岐にわたる分野で写真を撮りつづけてきた人だが、たぶん、この写真集が、彼のフォトグラファーとしての人生の最終答案なのではないか、そんな気がした。
この記事の中でご紹介した本
創造する魂 沖縄ギラギラ琉球キラキラ 100+2/ワイズ出版
創造する魂 沖縄ギラギラ琉球キラキラ 100+2
著 者:長濱 治
出版社:ワイズ出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「創造する魂 沖縄ギラギラ琉球キラキラ 100+2」出版社のホームページはこちら
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