対談=河合香織×松永正訓 〈生命〉を選別して人は幸せになれるのか 河合香織著『選べなかった命』(文藝春秋) 刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月14日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

対談=河合香織×松永正訓
〈生命〉を選別して人は幸せになれるのか
河合香織著『選べなかった命』(文藝春秋) 刊行を機に

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二〇一一年、北海道函館市の産婦人科医院で、当時四十一歳の母親が胎児の染色体異常を調べる羊水検査を受けた。実際にはダウン症との結果が出ていたにも拘わらず、医師から「異常なし」と伝えられる。同年九月に母親は男児を出産。男児はダウン症で、ダウン症に起因する肺化膿症や敗血症のため約三カ月後に死亡。両親は医院と医院長に対して一〇〇〇万円の損賠賠償を求める訴訟を函館地裁に起こした。

二〇一四年六月五日、函館地裁は被告に一〇〇〇万円の支払いを命ずる原告側勝訴の判決を下した。

ノンフィクション作家の河合香織氏は右記の裁判をきっかけに出生前診断をめぐる様々な当事者に取材し『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(文藝春秋)を上梓した。本書は日本での優生思想の歴史、子ども病院の現場、ダウン症児を授かった親、ダウン症の当事者、ダウン症児を里子として受け入れる家族や支援団体などの声が収められている。本書の刊行を機にノンフィクション作家で小児外科医の松永正訓氏との対談をお願いした。命を選別することとは、生命倫理とは――。 (編集部)
第1回
NIPTを通じて8割が中絶

松永 
 河合さんが『選べなかった命』で取り上げられた裁判には僕も当時から注目していました。判決で下された一〇〇〇万円の慰謝料に値する損害とは一体何なのか。これが河合さんの論の立て方です。中絶を自己決定する機会を奪われたことに対する損害なのか、ダウン症ではないと言われたのにダウン症の赤ちゃんが産まれてきて両親が精神的な衝撃を受けたことが損害なのか、あるいはダウン症による合併症で子どもを失った悲しみに対する損害なのか、もしくはダウン症で産まれたこと自体が損害なのか。一体この裁判で何が争われたのかを主軸にしながら生命を選別することが法的に正しいのか、倫理的にも正しいのかを多角的に書いている本だと思います。

新型出生前診断(NIPT)が始まったのが二〇一三年ですから、それ以降に生命倫理や出生前診断に関する本はたくさん出ています。その中にあって『選べなかった命』は圧倒的に惹き付けられる本でした。ぜひ多くの人に読んで欲しい本です。「生命倫理には答えはない」とよく言います。ジャーナリストの世界では「立場のない立場はない」との考え方も強くあります。今回の取材においても河合さんは完全な中立ではあり得ないと思います。それはダウン症児「天聖くん」を産んだ母親「光さん」に寄り添っている。その中で光さんからよく話を聞けましたね。それがまず驚きました。
河合 香織氏
河合 
 最初はなかなか取材に応じてもらえませんでしたが、私自身、妊婦健診で胎児にダウン症が疑われる首の後ろのむくみを指摘されたことがありました。出産後は敗血症となり生死を彷徨いました。そういった話をしていくうちに、徐々に光さんが心を開いてくれるようになりました。五年に渡り少しずつ取材をして、それでも最後の最後に「実は…」という話もありました。五年経ってやっと話せることが出てくる。人に話を聞かせてもらうということは、このように少しずつ関係を積み上げていくものなのだと思いました。

松永さんの『運命の子』からは取材対象者との信頼関係が伝わりますよね。障害を持って産まれた朝陽くんのご両親の生き方にとても学ぶことが多かった。子どもに対することだけでなく、人や社会との距離の取り方に心を打たれました。自分と同じような、いわゆる普通の立場の人が、子どもの障害を受け止めていく姿に感動します。光さんの場合も本当に普通の人です。報道だけみていると、私も批判的な立場の人と同じように「なんてことをしているんだろう」という疑問を初めは感じていました。松永さんもそう思われましたか?
松永 
 そうですね。周産期医療は産科医がいて新生児科医がいて小児外科医と色んな医師がいます。それぞれ立場が違うと哲学が違う。産科医は母体を守ることが何よりも大事です。一方、新生児科や小児外科は胎児や新生児を守ることに力を注ぎます。医者の基本は患者を尊重することです。「患者さんを尊重できる医者が良い医者である」という言葉を昔聞いて、そうありたいと思い続けています。この本で言えば患者は天聖くんで光さんは患者の親です。多くの場合、患者の親は子ども側に立つ味方だし、小児医療の世界では子どもの最高の利益の代弁者が親である、という前提があります。ところが、ごく稀にその前提が崩れ、親が子どもの敵に立つことがある。そういう状況になると小児科や小児外科の医師は親と対立します。そういう枠組みで見ると、今回の件では僕は光さんに対して全面的に同情する立場には正直に言うと立てません。

この裁判に関しては、二〇一四年六月六日に「一〇〇〇万円の賠償命令が下りた」と朝日新聞で報じられて、その日のうちに僕は投書して六月十一日に載りました。僕の主張は単純に一点だけです。「選択的人工妊娠中絶は法律では認められていないのに、司法が認めていいのか」と書きました。事件のごくごく一面しか触れられませんでしたけれどね。
河合 
 それは知りませんでした。一九九五年に京都でダウン症の子を持つ両親が原告となった裁判がありました。原告の請求はすべて棄却され、当時は出生前診断を受けること自体容認できるものなのか、という立場に判決は立っていたと思います。光さんの裁判の判決に傷ついた人がいるというのが松永さんのご意見ですね。

ただ判決では、障害胎児を中絶する権利を認めたわけではないと思います。確かに矛盾があります。母体保護法では障害胎児の選択的人工妊娠中絶は認められていないのに、NIPTを通じて少なくとも8割が中絶をしている実態がある。しかしメディアも違法であることを大きく触れません。数字だけに焦点があたり、法律の矛盾があることに焦点があたらないのはなぜでしょう。
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この記事の中でご紹介した本
選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子/文藝春秋
選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子
著 者:河合 香織
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
運命の子 トリソミー/小学館
運命の子 トリソミー
著 者:松永 正訓
出版社:小学館
以下のオンライン書店でご購入できます
「運命の子 トリソミー」出版社のホームページはこちら
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