石川啄木『一握の砂』(1910) ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
更新日:2018年9月18日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
石川啄木『一握の砂』(1910)

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石川啄木のこの歌に詠まれている「停車場」が現在のJR上野駅を指していることはけっこう有名であり、実際に上野駅の構内に歌碑が建てられている。啄木は周知の通り岩手県盛岡市の出身であるが、明治時代の上野駅というのは東北や北陸などの北日本から上京してきた者が必ず降りることになる、東京の玄関口だった。東京に経済や文化の拠点が集中するようになり、そして北日本にはまだ貧困にあえぐ寒村が多かった時代である。上野駅の乗降客数そのものは東京の中でもトップクラスというわけではないにもかかわらず、「夢への第一歩」という象徴性を担うことになってしまった。啄木もまた、故郷を追われるように出奔して詩人の夢に賭けることになった境遇の象徴が「停車場」に託されているのである。このような「象徴としての上野駅」は戦後にもみられる。阿久悠作詞の『津軽海峡・冬景色』(1977年)は、輝かしい上京とは逆に、上野駅から夜行列車に乗り、青森から連絡船で北海道へと帰るルートが嘆き節として歌われている。

近現代の日本は鉄道の時代であり、鉄道とともに都市文化も形成されてきた。鉄道網は都市と地方の隙間を埋めるかのようにみえながら、実は両者の奥底に断絶をもたらした。啄木の「なつかし」は単なる郷愁ではなく、取り戻せなくなったものへの断絶の感情である。「停車場」への視線は、まさに未来を見通していた。
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