豊かな差異に基づく多様性の肯定 フレデリック・ワイズマン監督 「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月18日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

豊かな差異に基づく多様性の肯定
フレデリック・ワイズマン監督 「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」

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フレデリック・ワイズマンの『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』が素晴らしい。ジャクソンハイツでは、世界中から来た移民が一五〇を超える言語を話し、性的マイノリティも活発に活動している。映画はこの地区の様々な姿を多面的に観察し、音楽に溢れる通りの日常だけでなく、社会の現状に関する討論も見せる。この地区は希望に溢れていると同時に深刻な問題に蝕まれてもいる。だが注意すべきは、自身の経験した苦労や直面している困難を集会で語る人々でさえ、豊かな身振りを伴うその語りがこの上なく魅力的に撮られていることだ。夏の陽射しに照らされた色彩豊かな通りの風景が素晴らしいというだけではない。集会での語りも、それを聞く人々の表情も、あらゆる立場の人々が皆見事に画面に収まっている。まさに映画のかけがえのない輝きだ。直線的でない物語の構成が細部のこうした魅力を一層引き立たせているが、そこで明らかになるのは、多様性が示す限りない豊かさに他ならない。

とはいえ、いかなる多様性なのか。全ては異なっていると言うだけでは十分ではない。この地区では、南米やアジア出身の移民たちがそれぞれ小さな共同体を形成している。富裕な白人の老人たちがリベラルを自認していようとも、移民たちの共同体と彼らの間には深い溝が横たわる。同質な者同士が結びついて異なる者と距離を取ることを前提とする多様性がここにある。それが悪い訳ではない。

類似に基づく知覚を前提とする映画においても、多様性は無限の混沌ではない。そもそも差異が同一性に従属するのが表象の基本的な性格であり、多様性は同一性や類似から解放されえない。だからこそ、ワイズマンは異なるものをただ併置するのではなく、同一性に基づく反復を構成と編集の基本に置く。冒頭の俯瞰ショットにラストの直前の俯瞰ショットが呼応する。イスラム教徒のモスクの場面にキリスト教徒の教会の場面が、また異性愛者のクラブの場面に同性愛者のクラブの場面が対応する。ペットショップでの犬の足の爪切りも、美容サロンでの人の足の爪切りの反復だ。紫のシャツの男が二人登場して巧みな語りを披露し、食料品店と市場の両方に野菜が並ぶ。さらに、ある女が清掃活動中の人々に、父のために祈ってと頼むが、この中年の白人女性は直前のショットで交差点に立つ若いアジア人女性を反復している。白人女性は白いヘッドホンを首にかけ黒いトップスを着ていて、アジア人女性は白いイヤホンを耳につけ黒いスカートを履いているからだ。また通りの描写で、大型車が画面を左から右へと横切るショットが二つ連続するが、車の色は黒と白で異なり、二台目の車は雨のなかを走る。別の通りの描写では、高架鉄道の走行が建物の外壁の上を走る影となって反復される。

類似したものが反復する時、反復の諸項の間に豊かな差異が生み出されることに注意しよう。ジャクソンハイツの社会構造が示すやや硬直した多様性との相違点がここにある。同質な者たちで構成される諸集団の間に差異があるというのではない。この映画では、あらゆるものが結びつくと同時に差異を示すのだ。全ては似ていて、全ては異なっている。ワイズマンは反復の遊戯を行ないつつ、豊かな差異に基づく多様性を力強く肯定している。

今月は他に、『SHOCK WAVE ショックウェイブ 爆弾処理班』『ゾンからのメッセージ』などが面白かった。また、特集上映で観た城定秀夫の『恋の豚』も素晴らしかった。

2018年10月中旬シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
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