人形論 書評|金森 修(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月15日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

科学文化論を突き抜けた文化史・文化論の大著 
――金森修の人間論研究の集大成――

人形論
著 者:金森 修
出版社:平凡社
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人形論(金森 修)平凡社
人形論
金森 修
平凡社
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科学思想史・科学論の分野で長年にわたって研究・著述をしてきた金森修(一九五四―二〇一六)は、二〇一〇年代以降、一種の人間論の探求を行なった。それは、生かすべき者と死へと遺棄すべき者とを弁別する〈生権力〉、人間ではないものとしての〈動物〉、ユダヤ教のラビが作る泥人形〈ゴーレム〉などを題材に、人間に達しない存在として扱われる〈亜・人間〉的なるものを通して人間を反照的に捉え返す一連の著作となった(『〈生政治〉の哲学』ミネルヴァ書房、二〇一〇年、『ゴーレムの生命論』平凡社新書、二〇一〇年、『動物に魂はあるのか』中公新書、二〇一二年)。その最後の成果が、金森が逝去する年に書き上げられた本書『人形論』である。本書は金森の人間論研究の集大成と言ってよい。だが、本書は、そのような人間論のための人形研究という枠をはるかに超えて豊穣である。哲学的議論のための出しとして芸術を使うような或る種の思想的テクストとは一線を画し、文化のなかで人形というものがどのような拡がりをもっているのか、真正面から論じられている。タイトルが端的に『人形論』であり、修飾語句や副題が一切ないのは、そのような堂々たる議論への金森の自負の表れと読める。

本書では、現時点での日本語の言説空間のなかで、人形について論じようとする場合に必須と思われるトピックをひとわたり扱った、人形論の鳥瞰的把握がなされる。それは金森によれば、著者自身の〈独創性〉を極力排するような形で書かれているという。たしかに本書は一種の教科書的な網羅性と概観性を備えており、金森の個性というべきものは表面上は希薄である。だが、既存の学問分野の概説書とは異なり、専門研究者と呼べる者が極めて少ない人形論という領域で、何が重要な問題となり、それを考える上では、どのような対象を選び出したらよいのかという視線には、金森の強烈な個性が反映しているように見える。あるいはむしろこう言ってもよい。その網羅的・概観的・鳥瞰的な把握を明晰な文章で伝えられる素養こそ、まぎれもない金森の〈独創性〉なのである(井山弘幸との共著『現代科学論』〔新曜社、二〇〇〇年〕、あるいは編著『昭和前期の科学思想史』〔勁草書房、二〇一一年〕の序章「〈科学思想史〉の来歴と肖像」で金森が披露する、当該分野の概観的把握を見よ。その的確さと明解さは、余人の追随を許さない)。

さて、本書の初めに金森は、人形の本質規定のようなことは、人形世界のもっているあまりに広大な文化的広がりを前に、とても不可能だということを確認する。そして、そもそも物質としての自存性を備えた人形について、言葉で語ることの根本的な不可能性を指摘する。しかし、その上で、それでもなお、人形世界のことを言葉で語り、人形の必須要素を抽出し、その相互関係を描き出すとすれば次のようになるという。まず、人形を構成する要素は、呪術・愛玩・鑑賞という三者である。これらを三頂点とする三角形から物質性という頂点に向かって立ち上がる〈人形三角錐〉のなかで、人形は捉えられる(これは九鬼周三『「いき」の構造』の六面体を思わせる)。

その上で、人形史の始まりを、金森は古代日本の土偶、あるいは這子・天児など憑代的な人形から説き起こす。人形三角錐で言えば呪術の頂点である。以下、雛人形、人形浄瑠璃、近代の創作人形、ハンス・ベルメールの球体関節人形に着想を得た四谷シモンの人形、等々、日本の人形史を通史的に戦後まで概観する。

ついで彫刻との比較から人形の物質的自存性をめぐる美学的議論、西欧と日本の自動人形(オートマトン/からくり人形)の歴史、人が人形を自分の思い通りに作り出しそれに恋をするピュグマリオン・コンプレックスの諸相、天野可淡から三浦悦子に至る現代日本のゴシック・ドールの文化、トマス・ハーディ、ホフマン、ピエール・ルイス、野上彌生子、乱歩、横溝、川端、三島、『ブレードランナー』等々、東西の文学や映画のなかの人形表象など、〈人形ワールド〉の探求が縦横無尽になされる。科学論研究者である金森の人形論であれば、当然、動物機械論やロボット、サイボーグといった現実の科学技術の話題が中心になると思う読者もあろうが、本書ではむしろ、芸術やサブカルチュアの領域に属する話題が豊かである。

圧巻なのは延べ三百個になんなんとする膨大な巻末註である。註のなかでは本文から、ときに「自由連想」的に類似・関連の事象が参照される。そこには金森の文学史・美術史・映画史に関する該博きわまる知識が披露され、それらは、本書のために集中的な文献調査を行なうだけでは到底把握できなかったはずの、長年の金森の知的来歴のみが可能にしたものである。そして、例えば本文で或る小説中のファム・ファタール的な女性人物を「娼婦のように、あるいは淑女のように」と記述した箇所に註を附し、その人物ほどでないにしても「そもそも女性とはそのようなものではないか」と、驚くほど主観的で告白的な言わずもがなの補足がなされるのには、或る種の苦笑を禁じ得ない(この自由な註の付け方はバシュラールを思わせる)。末尾のリストに掲げられた文献・映像作品は、日・英・仏あわせて五百点に及ぶ。人形ワールドへのきわめて有益な導きとなるだろう。

金森は文体や文字面をきわめて意識的に構築する書き手であり、とくに論旨を明瞭にするために、〈山括弧〉や傍点を多用するのだが、後年、それをやりすぎて、却って読みやすさを損なっているような作品や、晩年の限られた時間のなかで悪化しゆく健康を抱えての編纂作業となったためであろう、表記の不統一や誤植が目立つ論集も、実は存在する。だが、最晩年に書き下ろされた本書、重い病を得てもっとも辛いはずの時期に余命を摩滅させて書き継がれた本書、その跋文に「二〇一六年 穀雨」という時点を書きつけてから約一箇月後に著者が帰天した本書に、文章の乱れや焦りはまったく見られない。整った文章と、約物・傍点・欧文原語などを最小限におさえ簡素で読みやすい字面となった版面には、書き手の平静で清澄な心が反映されている。金森の最期まで徹底した職人芸を見る思いがする。

その美しい文章に、編集者やデザイナーが全力で応えている。ゆったりとした文字の組み方、角背の瀟洒な造本、ミルキィ・イソベによる装幀、本文と註に大きなサイズで膨大に差し挟まれる人形写真、表紙に使われた中川多理の人形、それらのすべてが魅力的である。本書のもつ魅力は、耽美的な人形世界に魅了されながらも〈人形たちの夜〉(中井英夫)というべき世界に耽溺しきれない金森がもつ、或る種の理知的な明るさを備えた独特なものである。

晩年の金森は、システム論的な見方で社会のなかの科学を捉えそれを批判する〈科学批判学〉の必要を説く一方で(『科学の危機』集英社新書、二〇一五年)、科学を語るとき、そんな風にしか語れないのか、何か違う語り方がないのかという模索を続けた。文化全般のなかで科学をとらえる作業を試み、それを〈科学文化論〉とも呼んでいた。三百頁を超える本書は満を持してまとめられた科学文化論の全面的な実践であり、完成したこの書物は、科学文化論を突き抜けた文化史・文化論の大著となった。そして、これが遺作となった。

金森が若き日に熱中したフランスの思想家バシュラールは、科学論研究からその学問を始め、その経歴の半ばで、詩的想像力の研究へと転じ、その後、科学論と詩論を往復した。金森もまた、そのような自在な転身を願ったのではないか。金森はバシュラール研究に沈潜する以前の学問的来歴の始まりに、パウル・クレーやサルバドール・ダリ、曽我蕭白らの研究を行なった。奇想的な画家たちの研究から始まった〈金森ワールド〉は、その後、長らく科学論の探求を続け、最後には人形たちの幻想のなかに幕を下ろした。本書の最後の章は「カーテン・コール」と題されている。
この記事の中でご紹介した本
人形論/平凡社
人形論
著 者:金森 修
出版社:平凡社
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