ベートーヴェン像 再構築 書評|大崎 滋生(春秋社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月15日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

ベートーヴェン像 再構築 書評
鮮やかな発見が随所に 
最新の研究成果に基づきながら、世界に向けて発信

ベートーヴェン像 再構築
著 者:大崎 滋生
出版社:春秋社
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時代を経るにつれて積もり積もった塵芥を取り除き、往年のオリジナルの姿を甦らせる。…こうした試みは、絵画の世界のみならず、音楽の世界においても顕著に見られるようになっている。たとえば再来年没後二五〇年を迎えるベートーヴェンの場合、彼が生きていた時代の古い楽器(あるいはその複製)をあえて用い、当時の演奏習慣を積極的に取り入れようとする動きが、ここ20年ほどの間ですっかり定着した。つまり、一九世紀半ば以降ベートーヴェンの作品に与えられてきた「重厚長大」なイメージを剥ぎ取り、彼が元々意図していたはずの作品像を、鮮烈なスピードやビートをきかせた解釈であらためて浮き彫りにしようという狙いである。

そんな動きがベートーヴェン研究にも現れて行った結果、これまで出てこなかった資料や見解をも含む、新たな書簡全集、会話帖全集、楽譜新全集(およびその校訂報告)、そして新作品目録が現れることとなった。本書は、そうした最新の研究成果に基づきながら、日本から世界に向けて発信する形で、ベートーヴェンをめぐる様々な言説を塗り替えようとする試みに他ならない。『ベートーヴェン像再構築』というタイトルが、それを如実に物語っている。

それでは、本書が「再構築」しようとする「ベートーヴェン像」は、元々誰によって作られたものだったのか? 代表格の一人が、シントラー。晩年のベートーヴェンに秘書として仕え、彼の死後にその伝記を書いた。ところが、そこには様々な事実の捏造や虚偽が含まれていることが早くから取り沙汰され、そのベートーヴェン伝自体がどうやら信頼できないということが分かり始める。そうした状況を受け、ベートーヴェン像を構築したもう一人の代表格として登場したのが、セイヤーだ。アメリカ出身の彼は、ベートーヴェンについての科学的・学術的な研究を展開し、一九世紀後半においてもっとも信憑性に足るベートーヴェン伝を執筆した。そしてそれ以降、セイヤーの業績こそが、ベートーヴェンを語る際に欠かせない資料として、不動の地位を保ってきたのである。

いや、もしかするとセイヤーのベートーヴェン伝は、不動の地位を保たざるをえなかったのかもしれない。というのも著者によれば、「セイヤーを乗り越えた事実関係が構築できないので、抜本的に新しい視点の持ちようがなく、ある意味で教科書的にならざるをえない、というのがこの一世紀間のベートーヴェン伝記記述であった」から。だが、今やセイヤーの頃には思いもよらなかったような新資料が続々と登場してくる中で、機は熟した。そしてこのような新たな動きの中にあって、本書は、科学的アプローチを重んじるあまりセイヤーに欠けていた「全体像」を描き出すこと、言葉を変えればベートーヴェンに関する単なる年代記を開陳するのではなく、「事件の意味づけ」を与えようとする姿勢に貫かれている。

ベートーヴェン像の再構築にあたっては、多角的なアプローチが必要になることは言うまでもない。本書が、「体系的考察」「歴史的考察」の二部(さらに終章として「ベートーヴェンの経済生活について」が加わる)構成に基づきながら、その中に夥しい章や節を含み、全三巻、総ページ数一三〇〇を超える大著になったゆえんである。しかも、様々な事件の意味づけをおこなおうという著者の基本姿勢は、たとえば「体系的考察」においては、ベートーヴェンが関わった様々な出版社との生々しいやりとりを、「歴史的考察」においては、耳の病に侵されたベートーヴェンが書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」と同時期に作られたと伝えられてきた、意外なまでに明るい『交響曲第2番』との「関係」を炙り出すといった具合に、本書全体にわたって貫かれている。

評者が特に興味を惹かれたのが、ベートーヴェンが四十歳代半ば以降スランプに陥ったと言われてきた、数年間の時代。本書では当然のことながらこの時期についても、丸々一章を割いて論じられているのだが、その章の見出しは「生涯全開期はなぜ“沈黙の時代”と呼ばれたのか」という刺激的なものだ。えっ、沈黙の時代がなぜ生涯全開期なの?と思ってしまうが、著者曰く、「後世は作曲家を『作曲行為』に絞ってしか見ないで来たように思われる。曲を書いて終わりではまったくなく、それを社会に送り出すまでが作曲家の『創作活動』であった(…)」という記述を読めば納得できる。むしろ、ベートーヴェンの死後様々に変化した社会的な価値観の中で、意識するとせざるとにかかわらず、彼に対するイメージが勝手に作り上げられ、それが現在に至るまでまことしやかに伝えられてきてしまったという事態に、きっと気付かされる。

著者の生涯をかけた文字通りのライフワークとして、けっしてすらすらと読める内容でないことは当然だ。だがそれでも、はっと驚かされる鮮やかな発見が随所に存在しているのは、本書が単に新資料に基づいているからだけではあるまい。「歴史解釈はすべて仮説でしかない。しかしこれだけのデータを前にするとこう考えざるえを得ない、というぎりぎり」を狙った、著者の身を挺した冒険心ゆえの結果である。
この記事の中でご紹介した本
ベートーヴェン像 再構築/春秋社
ベートーヴェン像 再構築
著 者:大崎 滋生
出版社:春秋社
以下のオンライン書店でご購入できます
「ベートーヴェン像 再構築」出版社のホームページはこちら
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