アジアの戦争と記憶 二〇世紀の歴史と文学 書評|岩崎 稔(勉誠出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月15日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

文学的想像力と歴史的想像力が接する場所から思考する

アジアの戦争と記憶 二〇世紀の歴史と文学
著 者:岩崎 稔、成田 龍一、島村 輝
出版社:勉誠出版
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ヘイトスピーチや歴史修正主義が標準的な感性を組みかえつつある現在、戦争をめぐる記憶は、中傷的な憎悪が支配する言説のなかで、葛藤にさらされている。「アジアの戦争と記憶」を考えることには、重たい困難がつきまとっているといえるだろう。

本書は、そうした状況に向き合い、文学的想像力と歴史的想像力が接する場所から思考する可能性を問いかける論集である。序言「東アジアのコモンとは何か」で岩崎稔が提示しているのは、新自由主義とナショナリズムが相互依存的な効果を発揮する世界の論理に対し、ナショナリズムの価値でも、資本の価値でもない「未決定な状態」に立って、東アジアのコモン、すなわち公共性や共同性の価値を、未来に向かって模索しようとする姿勢である。公共性には正負の両義性がはらまれるが、経済化の暴力によって公的空間や公共性の倫理が解体され、消滅の危機にある現状をみると、この「未決定な状態」から、アジアの「あいだ」に身を置いて考えるという視座は、きわめて重要であろう。日本と中国の研究者が集った国際シンポジウム「一九世紀以降の東アジアの変容する秩序」(中国・清華大学、二〇一三年)での議論をもとに編集されたという本書には、「未決定であり、開かれていて異質なものと共存するという姿勢」(序言)から出発した、思考の地平が広がっている。

各論は論者それぞれのテーマ設定から展開されているが、なかでも、個別的な文学テクストを出発点に、歴史的な物語を、一人一人の個人がもった具体的な想像力に結びあわせようとする分析が興味深かった。竹内栄美子「東アジアの終わらない戦争」は、戦争をめぐる過酷な体験が、多くの場合、被害の実態として語られがちであることに注意を促した上で、堀田善衞の小説に含まれる、被害と加害の重層性に着目している。むろん、帝国と植民地の、大次元での加害と被害の位置関係は否定できないが、暴力をめぐる構造は、入り組み、より細分化した構図をもっているからである。被害者のなかにある加害意識や後ろめたさを描出する小説の言葉は、加害者の位置にあるものが、相手の側に分け入って、痛みを分有する視点を創出し、他者の視界と重ね合わせるようにして全体を意識することを可能にする。竹内の議論は、このような視点から、集団的なアイデンティティに自閉するのではない、開かれた記憶や物語の可能性があらわれ、共同性の構築がはじまることを示唆している。同様に、渡邊英理「沖縄から開くアジア像」では、崎山多美の文学を、加害と被害の重層性を可視化するテクストとして読解している。支配する権力構造に対する抵抗だけではなく、「傷、痛み、怒り、悲しみの声ならざる声」をすくいとる小説の言葉の力を読み取った上で、文学的な想像力が、地政学が不可視にしてしまうアジアの時空を開くものであることが論じられている。

また、歴史的な記憶をどのように名づけ、語るのかという視点から、現在の歴史意識そのものを問う議論として、汪暉「二十世紀中国史という視野における朝鮮戦争」は、日本での「朝鮮戦争」は、北朝鮮では「祖国解放戦争」、韓国では「六二五事変」または「韓国戦争」、アメリカでは「Korean War」、中国で「抗美援朝戦争」と呼ばれることに触れ、「命名における政治」が「記憶における政治」であるという観点から戦争の記憶を問題化している。高榮蘭「グローバリズムと漢字文化圏をめぐる文化政治」は、「漢字文化圏」という造語が誕生した過程を、ベトナム戦争と日韓国交正常化という文脈から捉え返し、その政治性を論じている。すなわち、「漢字文化圏」の枠ぐみは、「中国」と、日本の帝国主義の記憶をはずした上で、近代以前の歴史的時間を現在に呼び寄せた構造になっている。現代の日本で、未来の可能性として「漢字文化圏」が語られるとき、帝国と植民地をめぐる暴力の記憶は空白化され、日本語の歴史が物語化されているのだ。こうした高榮蘭の批判は、現在時にあらわれた文化の領土性が、歴史的文脈を不可視にする政治的力学をともなうことを鋭く問題化したものであり、対話の回路を創出するために必要不可欠な視点だといえるだろう。

本書の最終章に収められた、成田龍一「友好の井戸を掘る」は、実業家であり、文学者であった辻井喬のしごとに触れ、歴史性をもった認識と文学的感性にもとづいた行動の実践を論じている。辻井の実践をとらえた成田の議論からは、過去を相互の関係性に根ざした物語として認識し、現実の行為につなげる個人の意志こそが、未来に向けた持続的な共同性を構築する道筋であることが見えてくる。

一人一人の個人が、行動の実践に立ち返って思考することの意義を、読者に伝えてくれる一冊である。
この記事の中でご紹介した本
アジアの戦争と記憶  二〇世紀の歴史と文学/勉誠出版
アジアの戦争と記憶 二〇世紀の歴史と文学
著 者:岩崎 稔、成田 龍一、島村 輝
出版社:勉誠出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「アジアの戦争と記憶 二〇世紀の歴史と文学」出版社のホームページはこちら
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