マン・レイ 軽さの方程式 書評|木水 千里(三元社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月15日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

マン・レイ研究に新しい風 
語りにくさの背景を問う

マン・レイ 軽さの方程式
著 者:木水 千里
出版社:三元社
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マン・レイという作家は語りにくい。さまざまな意味で語りにくい。「光線の人」というきわめて象徴的な名は、美術の世界を超えて広く知られているにもかかわらず、いざ本格的な研究となると、意外にもその蓄積が薄いことに気づく。

著者は、序にあるように、この意外なギャップがいかにして形成されたのか、その条件を問うこと、つまりは、マン・レイの語りにくさの背景を問うことを本書の出発点としている。したがって、調査の眼差しがマン・レイの周囲に形成された人や言説の網目とその変遷へと伸びることになるのはことの必然だが、一九一〇年代から半世紀以上にわたって米仏を往還しながら活躍したその足跡とそれを包む「場」の構造を包括的に考察するのは、生半なことではない。英仏両語はもちろん、日本語も含め、広く資料や先行研究を渉猟しそれを完遂した著者の労力をまずは称えたい。実験的なレイヨグラフから注文生産の肖像写真まで、まさに多角的というほかないマン・レイの仕事の全貌を知るための基本文献となることは間違いない。

「多角的」を言い換えれば「越境的」ということになろう。そして、通読しながら思ったのは、彼の越境性への志向が、単に自らの表現に付加価値を上乗せするための操作ではなく、むしろエントロピー的な拡散性あるいは「逃走性」とでもいうべき一貫性を持っていたということであり、本人もまたそれを自覚的かつ戦略的に、絡みつく言説への抵抗として追求していたのではないかということだ。国境という枠組み、純粋芸術と応用芸術という枠組み、あるいはシュルレアリスムなどの前衛運動という枠組み、それらすべての枠組みに半身だけを預けながら、あとの半身はつねに別の接続可能性へとひらかれているという具合に、マン・レイは、つねに既存の「場」ときわどい交渉しながら「あいだ」の空間に、自らの「場」を切開しようとしていた作家であることが、異なる角度から考察される各章を読み進むうちに立体的に見えてきた。

元が博士論文であるためか、時折、論証の手続に忠実であろうとするあまり、筆が生硬に感じる部分や論旨に強引さを感じる部分もあったが、一読者としては大いに学ばせてもらった。ことに、シュルレアリスムとモード写真の隣接性と親和性を身を以て証した活動(とその危うさ)を考察し、さらにポートレート写真を、パリの芸術界に食い込むための一種の「パスポート」として使った戦略的な態度に光を当て、ピエール・ブルデューの「場」の理論を通じて分析した一部には、これまでのマン・レイ研究にはない新しい風を感じた。さらに、マン・レイにおける「レプリカ」という概念の特殊性とその実践の意味を「文字」という概念を通じて解き明かそうとした四部の議論は、そのさらなる掘り下げの可能性も含め、大いに啓発された。

読後やってきたのは、美術史の不自由さへの嘆息である。国境やジャンルを自然な前提としがちな美術史の言説の構造こそが、これまでマン・レイのような作家を語りにくくしてきたことが逆照射され、ほかにも多くの「移民作家」や越境的な作家たちが同じような憂き目にあっていることが思い起こされた。今、美術史研究者たちの多くは、そのことに気づきつつある。本書は、その観点からも、今後の発想の組み替えをうながす重要な成果と言っていい。
この記事の中でご紹介した本
マン・レイ 軽さの方程式/三元社
マン・レイ 軽さの方程式
著 者:木水 千里
出版社:三元社
以下のオンライン書店でご購入できます
「マン・レイ 軽さの方程式」出版社のホームページはこちら
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