美意識のありか  万葉のこころが育てた感性 書評|樹下 龍児(弦書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月15日 / 新聞掲載日:2018年9月14日(第3256号)

日本の美意識を示す教科書図版  
生活に直結する一般教養として学んだ戦前

美意識のありか  万葉のこころが育てた感性
著 者:樹下 龍児
出版社:弦書房
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本書の魅力は、学制発令以降、戦後初の検定まで日本の美意識を示してきたという、教科書図版の数々にある。たとえば、春夏秋冬を取り揃えた一枚図における四季の配置をみよう。現代ならば季節の循環に沿って時計回りに並べそうだが、二十世紀初頭のレイアウト感覚は縦書きに準じる。右の行に上から春と夏、左に同じく秋と冬が並び、左下と右上の分離が、あたかも句点で終わらないと始まらない新たな文のように、年の始めと終わりを画然と示す。盆暮れ正月という余裕のない現代社会からみると新鮮である。

科目もよく言及される読方のみならず、著者本来の文様への関心に沿った写生、図画、また唱歌や裁縫に拡がる。今なら専門的で教えにくい、学びにくいといわれそうなこれら実習科目も、一般科目「読方」に呼応していた。既製服にほぼ頼らなかった当時、装飾という行為、使われる文様、その背景となる季題を、戦前の生徒は生活に直結する一般教養とその延長として学んだのである。中学校以上の美術・技術・工芸はおろか、小学校の図工すら、教員や教材の予算と授業コマ双方の確保が困難になった今日、このことは示唆的である。手でものを作る機会は、元々家庭に十分あったところ、多少は行き届いた設備を見込める公教育に一旦外部化されて生活から分離し、今や消滅しつつあるのだ。

新聞連載エッセイの再構成である本文は、段階を踏んだ論述ではなくトピックの並列である。四季(しかしこの列島に今後「教科書通り」の四季がくるのだろうか)、人間を越えた大小の存在、雪月花に代表される風雅、日常生活。ただし日本の伝統の喪失や時代の変化を嘆く論調は「紋切型」に属する。伝統の変容がすべて占領軍に帰すわけも、検定教科書が社会のすべてを決定することもない。かつてほど装飾を要せず、話題にもしなくなったのは私たち自身である。他人の服の柄を云々したのはいつが最後だろう?

とはいえ『日本の文様――その歴史』『風雅の図像――和風文様とはなにか』などの既刊で歴史や主題に沿って整理された、主に古代中国と日本列島を貫く著者自身の該博な知識に照らせば、文様には卍や渦巻のように洋の東西に共通の起源を想定できるものがある。唐草や波線のように同じ文様が、信仰や伝説、現地の植生などに伴い、異なる意味や名前を背負うこともある。異文化の影響の後も、変化や多様化こそあれど存続する。人類の起源に根ざし、ときには民族の混交と成立をも示す存在として装飾一般を捉えたい。

一九一〇年代から、和服の柄には創作図案が導入され、日本画を学んだ画家たちは絵はがきや印刷物の表紙・カット画など出版メディアに進出した。文様はそれらの一要素となる。伝統に則った装飾が作者を通じた表現に宗旨を変え、客観性と機能を併呑してデザインへと転化する戦前の動きは、制度・身分の解放により、あるいは啓蒙・進歩的な響きを伴いながらも(ここが反発の元だろうか)、戦後に解凍され広く社会に浸透できた。

今日、たとえば歴史展示の内容を子供向けの装いに大きく割り振った北欧の博物館群のように、伝統を現代の教育と調和的に提示することが、断絶を越えて知らない者を包摂する大切な態度だろう。ごく新しい運動競技すら伝統の名の下に秘教化し、教育に相応しからぬ事態を生む。教養としての装飾を柔軟に現代に取り込む視座を醸成したい。
この記事の中でご紹介した本
美意識のありか  万葉のこころが育てた感性/弦書房
美意識のありか  万葉のこころが育てた感性
著 者:樹下 龍児
出版社:弦書房
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