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更新日:2018年9月25日 / 新聞掲載日:2018年9月21日(第3257号)

五十年来の大豪雨惨害

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九月三十日夜来、東京付近の豪雨は十月一日の払暁に及んで最も強烈を極め、その雨量は中央気象台開設以来五十年来未曾有の新記録を示し、三十日の午後六時より一日の午前六時までの雨量は一坪に付き四石六升三合余の最大量に上り、東京を始め各地の水害激甚を極めた。(『歴史写真』大正十四年十一月号)

「五十年来の大豪雨惨害」という見出しにひかれて思わず選んだ写真である。

平成最後の今年、日本列島は台風が立て続けに襲ってきて、「何十年ぶり」という豪雨が各地を襲った。その直後には北海道で震度七の地震が起きて、胆振地方の山地に数えきれないほどの地滑りが発生して死者を出し、全道が停電するという初めてのアクシデントで、北海道を麻痺させてしまった。

写真の大豪雨に東京が襲われたのは、大正十四(一九二五)年九月三十日夜から翌未明のことだ。掲載した『歴史写真』同年十一月号によれば、「十二時間で一坪に付き四石六升三合」(一坪三・三平方メートル、一升一・八リットル)、現在の降水量表現とは異なるので即座に比較はできないが、中央気象台開設以来、つまり五十年来で初めての記録的な量だという。

三枚の写真は、右上が五反田付近の浸水、左上が開局間もない東京放送局(現在のNHK放送博物館)下のがけ崩れ、左下は死者二名を出した飯田町(現千代田区)のがけ崩れの現場だが、大震災から二年しかたっていない時期に被災した市民の苦難が思いやられる。

この日の豪雨は東京ばかりか、同じように大震災で壊滅的な被害を受けた横浜も襲った。

がけ崩れで、本牧など各所のがけ崩れで死者は十六名・不明一名のほか、負傷者も少なくない被害(『東京朝日新聞』大正十四年十月二日付け)になった。

崖下の住居の危険性は、都市化が進むにつれて増していったのだった。

豪雨のさなか、第二回国勢調査が行われ、同時に「失業統計調査」も実施された。第一回は五年前に行われていた。

「一番厄介なのは浮浪人(ママ)の調べ、浅草公園だけを中心としても三四百人浮浪者を有する、浅草区ではあげ鉢巻の体で、九時というにもう下検査を始め、十時には同勢七十人が区役所に集まり」と体制を整えて統計課長を先頭に提灯を追ってというから、午後十時の開始でドシャ降りのなかを、寺の境内に立ったままいねむりをしている「ホームレス」に聞き取り調査をした(『報知新聞』大正十四年十月二日付け)。

大正時代は関東大震災や丹後地震などの大震災、大正六年の大水害などが襲っている。日本列島がどれほど自然災害のリスクを背負っているのか、都市が大きくなればそれだけ被害も増大することを、現代に暮らす私たちは知っておきたい。

東京の水害史をひもとけば、維新直前の安政三(一八五六)年九月二十三日から翌日にかけて関東地方を襲った台風が、江戸の町に大きな被害をもたらしていた。

暴風もさることながら、高潮と洪水が江戸の町だけでなく、関東一円に広がって、死者はおよそ十万人とされている。その前年に起きた「安政の江戸地震」に倍する被害だと記録されるほどで、江戸は水浸しになって壊滅状態、そのさなかに地震も起きていた。

嘉永六(一八五三)年に黒船が来航して幕末動乱が始まるが、その直後から日本列島に大地震が立て続けに襲い、安政二年江戸地震では死者四千余りの惨事だった。

その大地震を上回る被害を出した「安政の大台風」は映像記録もなく、維新という歴史の大転換の陰に埋もれた。大正十四年台風の写真は、現代とあまり変わらない被災現場の様相を生々しく伝える歴史の「証人」だ。
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