暗黒 上 書評|アロイス・イラーセク(成文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年10月28日 / 新聞掲載日:2016年10月28日(第3162号)

暗黒 上 書評
一七二〇年代チェコの人々の生活と精神世界を描いた歴史小説

暗黒 上
出版社:成文社
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本書は、多くの歴史小説を執筆したチェコの作家アロイス・イラーセク(一八五一~一九三〇)の晩年の代表作『暗黒(Temno)』(一九一五)の邦訳である。描かれているのは主として、一七二〇年代チェコの地方貴族とその周辺の人々の生活と精神世界、とりわけ隠れプロテスタントの森番一家を襲う宗教的弾圧である。この時代は、チェコのプロテスタントがカトリックに致命的な敗北を喫した、三十年戦争初期の「白山の戦い」(一六二〇)から既に百年が経ち、三十年戦争も遠い過去となって、チェコではもはやカトリック教会が揺るぎないものとなり、劇的な大事件には乏しいものの宗教的には複雑な時代である。このような日本人には縁遠いチェコの過去に入っていくことは簡単ではないかもしれず、多くの訳注は役に立つものの、歴史的背景などについてもっと詳しい概括的な解説を付けた方がより親切だっただろう。

ルターより百年前のチェコの宗教改革者ヤン・フス(一三七〇頃~一四一五)を指導者としてチェコには宗教改革が広がり、カトリックよりもフス派が優勢になって、一時はフス派の国王イジーが選出されさえした。だが、イエズス会を先頭にカトリック教会が対抗宗教改革を推し進め、プロテスタントとの対立が高じると、一六一八年にプラハから三〇年戦争が始まった。チェコのプロテスタントは「白山の戦い」で致命的な敗北を喫し、勝利したドイツ系ハプスブルク家の国王は王位を世襲制にしてチェコ国家の主権を骨抜きにし、同時にプロテスタントの信仰を禁止した。その結果、多くのプロテスタントが国外に逃れ、代わりに入って来たドイツ人の進出などにより、チェコではドイツ語が優勢になっていき、文語としてのチェコ語も衰退していった。

しかしながら、実は数百年にわたってプロテスタントの伝統が強固に根付いていたチェコでは、強力な対抗宗教改革によってもその伝統を簡単に根絶することはできなかった。チェコ国内にとどまった住民の中には隠れプロテスタントがいて、カトリック教会は彼らを見つけ出し、追及し、改宗させることを重要な仕事とせざるをえなかったのだ。本書の一つの軸となっているのは、「白山の戦い」から百年後にもまだ残っていた、そのような隠れプロテスタントの過酷な運命とイエズス会の対抗宗教改革的活動である。
それと連動するもう一つの軸は、ネポムツキー崇拝である。ネポムツキーというのは、フスに好意的だったヴァーツラフ四世の王妃の聴聞司祭である。ヴァーツラフ四世は王妃の貞節を疑ってその告解の内容をネポムツキーから聞きだそうとしたが、告解の秘密を守ろうとした彼は拷問にかけられて殺されたとされる。ネポムツキー崇拝は根拠が曖昧で怪しいものなのだが、ヤン・ネポムツキーはヤン・フスと同時代の人物で、名前のほか幾つかの共通点があったため、フス崇拝を消すためにカトリック教会が積極的に利用した。チェコ出身のネポムツキーは一七二一年に福者、二九年に聖者に列せられ、チェコ全土に無数のネポムツキー像が設置された。本書には、ちょうどネポムツキーが福者から聖者に格上げされる時期の迷信的・狂信的で排他的な宗教的雰囲気が描かれている。

ただし、この『暗黒』という題名は、ややミスリーディングなものである。この題名は、チェコ国家とチェコ語・チェコ文化が没落した対抗宗教改革の時代をかつて「暗黒時代」と呼んでいたことの反映なのだが、現在のチェコ史学ではこの時代を一面的に「暗黒時代」と見なす見方は否定されていて、チェコ・バロック文化が栄えた文化的興隆期でもあったとされ、またかつては「暗黒」性が誇張されていたと言われているからだ。

この作品は、イラーセクが史料も使って書いたリアリズム的な歴史小説だとはいえ、史書ではなく小説なのだから、作家の歴史解釈は気にせず、事細かに描かれているチェコ後期対抗宗教改革時代の出来事、とりわけ信仰によって引き裂かれる家族と若い男女の愛の物語をフィクションとして楽しめば良い。(浦井康男訳)
この記事の中でご紹介した本
暗黒 上/成文社
暗黒 上
著 者:アロイス・イラーセク
出版社:成文社
「暗黒 上」は以下からご購入できます
暗黒 下/成文社
暗黒 下
著 者:アロイス・イラーセク
出版社:成文社
「暗黒 下」は以下からご購入できます
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