アフリカ眠り病とドイツ植民地主義 熱帯医学による感染症制圧の夢と現実 書評|磯部 裕幸(みすず書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月22日 / 新聞掲載日:2018年9月21日(第3257号)

アフリカ眠り病とドイツ植民地主義 熱帯医学による感染症制圧の夢と現実 書評
新しい医学史の道標を目指して 
実験室の普遍性と地域の持つ複雑性

アフリカ眠り病とドイツ植民地主義 熱帯医学による感染症制圧の夢と現実
著 者:磯部 裕幸
出版社:みすず書房
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1929年の7月にイギリス・南アフリカ科学推進協会が南アフリカ自治領で開いた学会は、19世紀末から現代まで続く、科学・医学と発展途上地域の関係の一つを象徴している。

その学会はケープタウン、ヨハネスブルク、プレトリアの三大地域で全6週間にわたって開催され、イギリスからだけでも500人、アフリカからも数百人が参加する巨大なものとなった。アフリカ農業・獣医学会と、国際地理学会も同時に行われ、互いに関連する主題がとりあげられていた。特に重要な演説は、イアン・ホフマイヤー(1894―1948)が行ったものである。ホフマイヤーはアフリカーン系でローズ奨学金を受けてオクスフォード大学で古典学を学び、帰国してリベラルな政治家になっていた。彼の演説は、アフリカ大陸の自然環境で起きている多様な現象は、科学に大きな実験室(ラボラトリー)を提供しているというヴィジョンであった。アフリカでの科学と医学は、自然現象を観察するだけではなく、実験室で行われる壮大な現象を記録する機会であり、アフリカで観察される動物や植物は、博物館のはく製や標本とは異なり、研究室の実験生物と同じであるという。ここにはパリの生理学者クロード・ベルナール(1813―1878)の『実験医学序説』(1865)の響きが感じられるだろう。ある地域が「生きた実験室である」という言葉は、アフリカだけでなく世界各地、あるいは日本の僻地の風土病についても多くの医学者たちが口にした言葉であり、現在にいたるまで実験室が作り出した普遍性の明るさを感じさせるものであった。

それに対して、実験室の普遍性とはおそらく正反対の、複数の原理が重層的に重なりあう個別の現実が現れているありさまを描いたのが本書である。本書は、もともとはコンスタンツ大学に2008年に提出され、2009年にドイツ語で刊行された著作をもとにした書物である。テーマは20世紀前半のドイツ植民地のアフリカの疾病であり、いわゆる眠り病と呼ばれているものである。眠り病は、原虫トリパノソーマが起こす疾病で、ツェツェバエによって広まり、ヒトと野生動物や家畜などの動物が感染する疾病である。19世紀末から20世紀初頭にかけてコンゴを中心に大流行があり、数十万人が死亡した歴史をもつ。その後も南アフリカでは継続して現れていたが、21世紀に入って患者数が大きく減少している。しかし、ウシなどの家畜における流行はいまだに大きな損失を出している。

本書の主題は第2章から第7章で展開され、20世紀前半ドイツのアフリカ植民地において、複数の構成を持つ眠り病の植民地医学が形成されたという議論である。ローベルト・コッホやパウル・エールリッヒなどの優れた医師たちも活躍したが、それぞれの地域で異なった対策が現れた。東アフリカ、トーゴ、カメルーンの三つの地域におけるドイツ植民地では、大きく異なった植民地医学が構成されたのである。この三地域は、当時のアフリカが経験していた、経済、労働コスト、社会、エコシステムの違いの拡大に大きく影響を受けて、それぞれ異なった植民地医学を形成した。ほぼ同じ時期に起きた、南アフリカの鉱業労働者における結核の拡散や、HIV/AIDSとチンパンジーが罹患するウィルスの拡大など、移民と社会的な変動と国際的な対立などと重なる優れた議論である。

日本語版に新たに付与された第8章「戦間期ドイツの眠り病研究」は、さらに面白い方向への発展である。第一次大戦の敗戦に続いた屈辱的な扱いのため、ドイツは世界各地の植民地をすべて失うこととなった。そのため、イギリスやフランスなどとの緊張関係をもとにした医療に関する論争を起こし、その脈絡で現れたのがバイエル社製造の新しい薬剤「ゲルマーニン」である。このキャンペーンは、薬剤としての効用だけでなく、ナチスの時代にはゲルマーニンを主題にした小説や映画が現れて、ドイツの医学と植民地医学の優越性を示すようになる。この部分の磯部による分析は非常に面白く、医学や科学における映像研究への道を開いている。

磯部の書物は、医学と科学がある層において持っている世界のどの地域でも通用する実験室の普遍性は、それぞれの地域が固有な形でもつ文化社会的な複雑性と併存していることを実証的に示した優れた書物である。次の課題は、普遍性と複雑性が併存することを示すことだけでなく、共存・・することを考えてそれを歴史学で実証すると、新しい医学史の道標となるだろう。
この記事の中でご紹介した本
アフリカ眠り病とドイツ植民地主義 熱帯医学による感染症制圧の夢と現実/みすず書房
アフリカ眠り病とドイツ植民地主義 熱帯医学による感染症制圧の夢と現実
著 者:磯部 裕幸
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「アフリカ眠り病とドイツ植民地主義 熱帯医学による感染症制圧の夢と現実」出版社のホームページはこちら
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