生命倫理学  自然と利害関心の間 書評|ディーター・ビルンバッハー(法政大学出版局)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月22日 / 新聞掲載日:2018年9月21日(第3257号)

生命倫理を考えるための必読文献 
重要な意味を持つ訳書の登場

生命倫理学  自然と利害関心の間
著 者:ディーター・ビルンバッハー
出版社:法政大学出版局
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本書はドイツの応用倫理学者ビルンバッハーが一九九〇年から二〇〇三年にかけて執筆した論文をまとめた論文集である。書名は『生命倫理学』であるが、論考の対象は幅広く、生命・環境倫理学と呼べる内容をもつ。全体は、(一)倫理学、人格、尊厳などの基本概念の検討から始まり、(二)環境倫理の問題、(三)脳死を含む生と死の問題、(四)ニューロサイエンスやクローン、ES細胞、幹細胞研究等の最近の技術的発展に関する問題へ至る一六章、四部構成である。これらのテーマはいずれもおなじみのもので、あるいは新味がないように見えるかもしれない。しかし、そこで展開される議論は、ことに英語圏の議論によって生命倫理を理解してきた者の多い日本の読者にとっては、きわめて新鮮なはずである。生命倫理が狭い医療倫理の場面を対象に現状の先導と追認を事とする手続き論になり果て、問題への感受性を疑わせるような議論だけが目立つ日本の現状を思えば、本書は必読文献であるとさえ言える。

本書の第一章は倫理学の課題を分析、批判、構成、道徳の実用化の四つに求めながら、倫理学者には謙虚さが必要なことに注意を促す。倫理学者は規範に関する特別な権威を有しているわけではないからである。そのうえで、生命倫理で主流の倫理的立場の検討を介して、採用すべきは問題を原則間の対立に帰着させるにとどまるいわゆる原則主義ではなく、原則の根拠を示す基礎づけモデルでなければならないことが主張される。こうして、功利主義が基礎づけを可能とする立場として採用されることになる。

ビルンバッハーによれば、功利主義は形而上学なしの倫理学を提示し、公平性要求をかなえ、普遍妥当性の要求も満たすという利点をもつ。ただし、採用されるのは古典的功利主義であり、英米をはじめとする生命倫理で幅を利かせている規則功利主義ではない。古典的功利主義の特徴は二つ、間接的と感情的という点にある。功利主義の基本原則は社会的な功利の最大化にある。古典的功利主義はその基本原則を行為に直接応用するのではなく、あくまでも間接的に応用可能なものとみなす。しかも、受け入れ難さといった抵抗感や不安感を背景とする反応や態度(これらは功利主義的根拠づけが不可能である)にも十分な重要性を認める。この立場からすれば、主流の規則功利主義は厳しく批判されなければならない。第二章以下、続く各章はその批判を具体的に例示したものにほかならない。そこでは、間接的・感情的という古典的功利主義の利点が十分に発揮される。間接的ということでは功利主義の原則が直接出てくることがないため、それぞれの問題に合わせた多様な視点からの考察が可能となっている。また、感情的ということでは、規則功利主義者たちがお得意の、論理性が冷酷な無感覚に結びつくような議論は徹底的に批判される。たしかに、学者に期待されるのは「役に立つことよりも真理の方を優先すること」(一七四頁)であり、その点では応用倫理学者には理性的であることが求められる。しかし、「功利主義的な尺度に照らしてみても、いつでもただ理性的であるだけというのは、必ずしも理性的であるとはかぎらない」(二一六頁)。こうして繰り出される議論のうちでも精彩を放つのは、人格、自然、人間の尊厳などのように、有無を言わせず議論を「打ち切る手段ストッパー」(一〇四頁)となってきた概念の検討である。たとえば人格概念についてはカトリック神学に代表される立場とともに、いわゆるパーソン論の立場も批判される。また、ストッパー概念による天下り式の断定に終始するハンス・ヨナスに対して諸処で語られる批判も鋭い。

ビルンバッハーはしばしばドイツの法的・概念的枠組みの特殊性に言及している。しかし、その制約が独自の議論の深化に結びついているのは明らかである。本書を見ると、ドイツをはじめ、フランスなど、ヨーロッパ大陸での生命倫理の議論がむしろそうした特殊性、制約のゆえに豊かな可能性を内包していることに気づかされる。その点でも、この訳書の登場は日本での生命倫理にとって重要な意味をもつように思われる。(加藤泰史・高畑祐人・中澤武監訳)
この記事の中でご紹介した本
生命倫理学  自然と利害関心の間/法政大学出版局
生命倫理学  自然と利害関心の間
著 者:ディーター・ビルンバッハー
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
「生命倫理学  自然と利害関心の間」出版社のホームページはこちら
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