花まみれの淑女たち 書評|歌川 たいじ(KADOKAWA)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月22日 / 新聞掲載日:2018年9月21日(第3257号)

花まみれの淑女たち 書評
この時代に人間として生きること 
「すべての二人のため」の人間讃歌小説 

花まみれの淑女たち
著 者:歌川 たいじ
出版社:KADOKAWA
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 本書は、「お仕事小説」、「超高齢社会小説」の皮をかぶった、「すべての二人のための純愛」を核にした、人間讃歌小説である。

「再来年にスカイツリーができる」2010年、今から8年前の東京。32歳のトップ営業マン筒美由佳が、リーマンショックで倒産しかけた会社からリストラされ、無職になる。母からマウンティングされているようなプレッシャーを感じる中で、由佳は宅配業者の岸田俊輔に出会う。彼は二十歳で東北訛りで、姿勢が真っ直ぐで彫刻のように端正な美しい顔の青年だ。

オレオレ詐欺をしている緒方、「花まみれビル」に暮らす生命力マックスな「おばあさん」たち、その中の、実は男性で同性愛者のレナラ。みな、由佳の恋を励ます。由佳を励ます。

岸田が同年代の女の子と破局する。「そうか、この人は成長したがっているんだ」由佳は岸田の心を読む。

「二人きりで会いたい。でも、どこで?」岸田への思いは募る。「このまま、ずっとこうしていたい」岸田への恋が深まるに従い、母への恨みから解放されてゆく、由佳。

「あの、まっすぐな姿勢で、彼は草原のガゼルのように凛として立っていた」
「もどかしい、ここが駐車場であることが、もどかしい。彼と私が別々の命であることも、たまらなくもどかしい」「彼はギアを『男』に入れて、しっかりステアリングを握ってくれた」

恋愛は結局、相手に自分の理想を見ているだけだから、きりがないのかもしれない。意味などないのかもしれない。けれど、生きている限り、私たちはそれを止めることが出来ない。

「あの、岸田俊輔との初めての夜、私と彼がどんなに電流を流しあったか」「私が経験したのは、感度も解像度も信じられないくらい上がり、五感からすべての刺激が激流となって入り込んで、なにもかもが細胞に刻みつけられる、そんなレベルの出来事だった」

仕事だとか社会だとか常識だとか、そういうもの一切が、全く関係なくなる瞬間がある。雑音だらけのカオスの中に、二人だけにしか通じない周波数を見つけてしまったような。どんな世の中になろうと、人は愛と名付けるしかないその導きに従うために、困難を泳ぎきる。「私はいま、あまりにも彼のことが好きだ」

しかしどんなに激しい恋愛も、やがて凪になる。「私との関係がいつか終わったら、私は単なる練習台として記憶の波間に消えていくのかもしれない。でも、不思議と苦しかったり怖かったりはしない。どちらにしても、私には進むべき道がある。この店で、人々に与え続けていくこと」

与えることしか生きることにはならない。与えることでしか個は立つことは出来ない。本書でしばしば引用される、ぶなの木がそうであるように。レナラに真っ直ぐ告白する、もうすぐ80歳の男性の言動にも、由佳は激しく揺さぶられる。

本書に頻出する「自分に期待して」は、真実の愛を知っている作者の、急がば回れ的究極の処世術、そして生き方の極意なのだろう。そこからしか、始まらないし、始まれない。

誰もが100歳まで生きる時代の、何でもアリで何回でもやり直し可で、何にでも手が届きそうな……。

けれど本物の恋愛や本気の自分は、時間をかけて、肉体と魂で試行錯誤しながら涙まみれにならなければ、手に入らない。近い将来「お仕事」は全てAIに譲るとしても。

この時代に人間として生きるには、とんでもなく人間らしくなければならないことを、本書はドタバタ、時にしんみり教えてくれる。
この記事の中でご紹介した本
花まみれの淑女たち/KADOKAWA
花まみれの淑女たち
著 者:歌川 たいじ
出版社:KADOKAWA
以下のオンライン書店でご購入できます
「花まみれの淑女たち」出版社のホームページはこちら
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