日本という不思議の国へ 書評|赤坂 憲雄(春秋社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月22日 / 新聞掲載日:2018年9月21日(第3257号)

日本人も忘れてしまった日本 
何を汲み取るのかは読者の問題

日本という不思議の国へ
著 者:赤坂 憲雄
出版社:春秋社
このエントリーをはてなブックマークに追加
多くの西洋人が「不思議」を求めて日本という国を訪れ、その体験を紀行として書き残した。本書はこの一五〇年の間に異邦人によって記された紀行類を取り上げることで、日本という国はどのような国であったか、それがどのように変節してきたかを提示したものである。したがって、本書は異邦人の旅を地図上で辿る書ではない。著者自身が「はじめに」で述べているように、「異邦人のまなざしが捉えた日本人の立ち姿」や「文化のありよう」を紹介し、そこから「日本という自画像の書き換えを」「求める」書である。

本書は明治十七年に日本に降り立ったパーシヴァル・ローエルの紀行から、現在、四十歳のエマニュエル・マレスの『縁側から庭へ』まで、七名の西洋人とその書を扱っている。ほぼ、年代順に並べられているが、著者の真なる配列意識には、日本がいまだ「不思議の国」の様相をはっきり残していた時代、それが素朴に賞讃された時代から、日本が「不思議」を失い、西洋からの旅人も母国にいた時の日本に対する認識が幻影であったと気づき始めた時代、さらに、そのような「不思議」を失った日本で暮らすことで、異邦と意識しつつも日本に同化しようと試みて、もう一度、日本の「不思議」を捉え直そうとする時代へ、と並べることがあったことが見えてくる。

著者は忘れられたもう一つの日本の発見としての東北学を提唱した民俗学者である。その原点には、「神秘なる日本についての、考察の書」を書いた岡本太郎への共感があるとのことであるが、「はじめに」では、これが本書の「ひそかな起点」であるとも述べている。このことからすれば、本書の目論見は日本人も忘れてしまった「不思議の国」である日本の発見ということであろう。「不思議の国」の喪失は東北に限られたことではなかった。中心であったはずの日本も同じことで、それは近代以前の日本であり、著者の文学的表現で言えば「自然/女としての日本」ということでもあった。

ただ、このような著者のいわば思想は、強く主張されているわけではない。本書はあくまでも異邦人による日本の見方の紹介であって、著者の影は、その紹介の中での、「なんとも魅力的であり」などのもの言いに、「あとがき」での「異邦人が勝手に抱いた幻想」から「成熟した社会のあり方」を「構想しなおすことができるのではないか」などとの言葉に、稀に表面化するだけである。「あとがき」で、大学の講義で学生に「なにを言いたいのか、わからない」と指摘されたことを告白して、自分の講義は「結論など、ない。考える素材を幾通りも用意すること」と述べているが、本書も同様の立場での著作と言える。

異邦人は日本に関心を持って、日本の不思議を見聞きしてきたが、そこから何を自分の生活、思想として構築していくかは、異邦人それぞれの責任であるのであろう。このような模索の必要性は本書の後半に次第に明確に示される。最終章でのマレスは、現代日本で失われた「縁側」を知るためには、「外から一歩踏み込んで内に入」らざるを得ないとして、庭師としての「実践を重ねる」が、それは現代日本人にとっても同じことであるのであろう。

著者は本書で、失われた「不思議の国」を異邦人の目から、ほとんどコメントを付けずに紹介した。そこから何を汲み取るのかは読者の問題であるということなのに違いない。
この記事の中でご紹介した本
日本という不思議の国へ/春秋社
日本という不思議の国へ
著 者:赤坂 憲雄
出版社:春秋社
以下のオンライン書店でご購入できます
「日本という不思議の国へ」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
赤坂 憲雄 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >