連 載 シネフィリーの二つの世代 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く75|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2018年10月2日 / 新聞掲載日:2018年9月28日(第3258号)

連 載 シネフィリーの二つの世代 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く75

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中央にドゥーシェ
HK 
 ドゥーシェさんの次の世代、60年代の『カイエ』の批評家たちは、黒澤明を重要な映画作家だとして、彼らの批評の一角においていたようです。正確な理由はわかりませんが、本当によく黒澤の名前が出て来ます。『どですかでん』を、最も美しい作品だと繰り返していました。おそらく、ドゥーシェさんが名前を挙げた日本人映画作家の中で唯一生き残っていたのが理由かもしれません。もしくは、『カイエ』の黄金世代によって打ち立てられていない映画批評を模索して、新しい映画批評を生み出すために、ドゥーシェさんたちが選択した溝口ではない作家を選ぶ必要があったのかもしれません。
JD 
 はい。私たちの次の世代は黒澤を重要視していました。しかし、黒澤は新しい映画作家ではありません。それどころか、最も古くに認知された日本人映画作家です。日本映画というものは、古くから存在していましたし、わずかながらヨーロッパで認知されていました。
HK 
 1963年にシネマテークで組まれた日本映画特集が大きなきっかけになったはずです。
JD 
 それはラングロワが、「日本映画」というものが存在することを見せることに意識的になった時期です。しかし、日本の映画が発見されたのは50年代を通じてです。例えば、その年代において、中国映画は無名でした。それに加えて、それほど重要なものでもありません。反面、多くの映画との出会いがありました。ポーランド映画のようなヨーロッパ中央の映画が見出されたのも、1945年ごろからです。ブラジル映画のような南アメリカの映画はまだ存在しておらず、それほどの重要性もありませんでした。
HK 
 今日では多くの研究者や映画批評家が、40年代・50年代の大衆映画のようなものを取り扱っています。ドゥーシェさんとは、映画に対する見方が大きく異なるのではないでしょうか。批評家によって無視され、その後の時代に見られることもなくなった作品を社会的分析の対象として扱っています。
JD 
 そのような態度は昔から存在し、これから先にも続いていくはずです。映画を社会的にしか見れない人々には、不快感を覚えます。映画を社会的分析の対象としてみることには、いくつかの明白な要因があります。社会的分析を信じる人たちは、映画が何であるかなどは気にかけていません。それが、大きな問題なのです。映画が芸術であることを証明しようとする争いは長年に渡って続けられて来ました。50年代の知識層にとっては、本当に、全くもって受け入れがたいことでした。バザンと私たちの世代、そしてその後の世代にとっても、問題の核は「映画とは何か」です。それが、私たち『カイエ』の批評家が、バザン以来とり続けて来た立場です。そして、世間一般にそのような見方を広めるために多くの時を必要としました。一方で今日の世界でも、妄信的なまでに、映画は社会的機能を持たなければいけないと信じ続けている人もいます。好ましい見方ではありません。社会的機能は、核心にはありません。映画は、疑いようなく、社会の中になければいけません。しかしながら、プロバガンダのような考えをとりなすべきではありません。

〈次号につづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
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