手話の歴史 上 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで 書評|ハーラン・レイン(築地書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月29日 / 新聞掲載日:2018年9月28日(第3258号)

異なる者への不寛容さ 
ろう者の物語はあらゆる社会的少数者の物語でもある

手話の歴史 上 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで
著 者:ハーラン・レイン
翻訳者:前田 浩
出版社:築地書館
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手話とはどんなものか、私は本書を読むまで知らなかった。口話を一文字ずつ置き換えた「指文字」か、あるいはジェスチャーのようなものだと漠然と思っていた。実際には、手話は口話とは異なる文法を持つ、独立した言語である。音声という一次元の制約に縛られず、三次元の空間に単語を並べて概念を伝える。多くのろう者にとっての母語であり、社会的つながりを作る大切な言葉である。

ところがろう教育の場では、驚くべきことに、手話は長い間抑圧されてきた。ろう学校では口話教育が重視され、発語と読唇の訓練に膨大な労力が費やされてきた。手話に頼ると口話が身につかないとして、生徒の手を縛ってまで手話を禁じた。手話中心の教育を受けられる学校は、現在でもわずかしかない。

どうしてこうなったのか。聴者である著者のハーラン・レインは、一人のろう者の名で語り始める。「私の名前はローラン・クレール。」ろう教育がもっぱら手話で行われていた時代の、フランスと米国のろう者コミュニティの中心人物である。

ろう者はかつて、人間らしい思考ができないと誤って考えられ、教育を与えられず家庭に閉じこめられていた。革命前夜のパリで、世界で初めて公立のろう学校が設立され、そこでは手話による教育が試みられた。入学したクレールは先生や級友から手話を教わり、あらゆることを手話で学んだ。やがて教師になり、新大陸に渡って米国初のろう学校を開く。寄宿舎に集まった生徒たちは、ろうの教師や友人と手話で交流し、自我を確立し、友人や伴侶を得た。クレールにとってのろう教育の目的は、ろう者の自己実現であり、それには母語である手話を使うのが最適だと考えていた。
しかしクレールの死後、ろう者も口話を使うべきだとする口話主義が広がった。その旗手は、電話の発明者として名高いグラハム・ベルであった。難聴の母親と妻を持つベルが生涯にわたり没頭したのは、声による会話と、優生学であった。ろう者を人類の変種ととらえたベルは、ろう者コミュニティの拡大を防ぐべきだと考え、ろう者同士の結婚の禁止、寄宿制ろう学校の閉鎖、そしてろう学校からの手話の排除を説いた。ベルにとってのろう教育の目的は、多数派である聴者との融合であった。

ベルの論は影響力を持ち、手話は聴者たちの「善意」により執拗に攻撃された。手話は書き言葉がなく原始的である、抽象的な概念を表現できない、わずかな人にしか理解されない、云々。少数言語の価値を否定するときの常套句である。

口話主義者たちはろう学校で生徒たちの発表会を開いては、ろう者もこんなに言葉が話せるようになる、といって寄付を募った。しかしそれは常に、同じ言葉を生徒に何度も訓練させたうえでの演技であって、実際は限られた生徒が限られた言葉を話せるにすぎなかった。自分の発する言葉が聞こえないろう者にとって、発話の習得は過酷な訓練を経てもきわめて難しい。日常生活ではほぼ役に立たず、訓練をやめるとすぐに衰えてしまう。

1880年、聴者たちはミラノで国際会議を開き、ろう者のいない議場で、ろう教育は口話で行うべきであると宣言した。この決議が20世紀のろう教育を支配しつづけた。不毛な労力を口話に費すあまり、ろう教育の学力水準は低下してしまった。

しかし教育の場から手話が排除されても、ろう者たちは家族や友人と手話で語らい続けた。そして近年、手話コミュニティを言語的少数者マイノリティと位置づけたところから、手話は復権しつつある。

自分とは異なる者への不寛容が、日本でも世界でも広がっている。多様性への恐れから多数者が少数者を迫害するとき、そこで行われることにはパターンがある。読者はきっと、本書がろう者の歴史を語っていることをいつしか忘れ、多数者が少数者についてあまりに無理解なまま一方的に抑圧する様々な状況を想起するだろう。ろう者の物語は、あらゆる社会的少数者の物語でもある。(斉藤渡訳)
この記事の中でご紹介した本
手話の歴史 上  ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで /築地書館
手話の歴史 上 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで
著 者:ハーラン・レイン
翻訳者:前田 浩
出版社:築地書館
以下のオンライン書店でご購入できます
手話の歴史 下  ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで/築地書館
手話の歴史 下 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで
著 者:ハーラン・レイン
翻訳者:前田 浩
出版社:築地書館
以下のオンライン書店でご購入できます
「手話の歴史 下 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで」出版社のホームページはこちら
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