大江健三郎全小説 3 書評|大江 健三郎(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月29日 / 新聞掲載日:2018年9月28日(第3258号)

大江健三郎全小説 3 書評
シンボル化に抗っての六〇年 
「セヴンティーン」「政治少年死す」で主題化された天皇の物神化

大江健三郎全小説 3
著 者:大江 健三郎
出版社:講談社
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一般に「国民作家」として思い浮かべるのは、二葉亭四迷、夏目漱石、森鴎外というような、近代日本の黎明期における小説家の名前である。あるいは、芥川、谷崎、川端といった固有名だろうか。それらの名前と同列に、大江健三郎という固有名もまた「国民作家」のカテゴリーに入るはずである。しかし、さきにあげた名前と大江のあいだには、質的な差異とでもいうべきものがある。たとえば、漱石が書いた作品は、それが何であっても評価される。それは、日本の近代文学の枠組みそのものを作りあげたのが漱石だからである。つまり、漱石がつくった枠組みで漱石を評価しても、トートロジーになる他はないのである。それが古典であるということの意味するところである。しかし大江健三郎の場合は、そうではない。

大江、あるいは三島由紀夫以前の国民作家にとって、小説家として活動するとは、大宅壮一のいう「文壇ギルド」のなかで生息することを意味する。一方で、大江健三郎はこのような中間集団に媒介されることなく、直接的に「日本国民」の文化的シンボルとして表象されるポジションに立っている。たとえば大江、江藤淳、石原慎太郎、谷川俊太郎といった、当時若手であった文化人とともに、「若い日本の会」を、デビュー翌年の一九五八年に結成している。つまり当時の若手文化人は、もはやギルドに承認されることではなく、アソシエーションを志向していたことになる。しかし、それはあくまで「文化的シンボル」のアソシエーションなのであり、その内部に矛盾をかかえることになる。

ひとことで言ってしまえば、大江健三郎にとって、小説家デビューしてからの六〇年というのは、戦後日本の文化的シンボルであり続けた六〇年間なのである。右派だけでなく左派からも、ときに理不尽な理由によって、彼が攻撃されるのは、そのためである。おそらくこうした存在の様態に最も近いのは、他の小説家などではなく、むしろ天皇ではないのか。もちろん力量のある小説家が文化的シンボルになってしまうのは、小説というジャンルが「独占」によって成立しているからである。そう考えると、ノーベル賞以降の作品群は、どうあがいても文化的シンボルにならざるをえない自身を、アレゴリー化する試みとして評価できるだろう。

*  *  * 
美学、あるいはヨーロッパにおける美術史の領域では、象徴と記号という言葉は、厳密に区別されている。それはヘーゲルの「美学」から始まるものである。すなわち、象徴には記号とその対象との関係に必然性がみられ、記号には記号とその対象のむすびつきが恣意的であるという、いまでは周知の図式である。しかし、この説明をよくみてみると、象徴、記号を定義づける際に、「記号」が使われていることがわかる。記号は、たとえば人間の頭部とおなじく、それ単体でひとつの「全体」であると同時に、全体の「部分」でもあるような存在なのだ。そして象徴において、記号は象徴化を実現するための「道具」の位置にたつことになる。

この記号の従属的な位置づけ、記号の蔑視は、政治的なコンテクストにおいてみれば、一目瞭然である。すなわち「日本国の象徴」であり、また「日本国民統合の象徴」であるという、憲法の「天皇」にかんする条項である。この条項における「象徴」を「記号」におきかえてみるとどうなるか。ここで可視化されるのは、象徴という記号の恣意性である。現行の憲法であろうと、旧憲法であろうと、条文における天皇の「意味」は、そのときの為政者、もしくは憲法制定権力によって「恣意的」に決定されているのである。それは、当事者の利害といったものとは関係ない。むしろ近代国家の根源にかかわる問題なのである。

そのような観点からみてみると、大江健三郎の天皇観がいかに特異なのかがわかる。大江は、一貫して天皇制を否定している。注目すべきは、天皇制を彼がどのように規定しているのか、という点である。

ここで一九八七年に発表されたエッセイ「ポスト戦後世代と正義」を参照しよう。とある講演会で、自分には信仰がないと述べたことに対して、ある参加者から大江は批判される。なぜそんなに簡単に信仰がないと言えるのか。なにか信仰を断念した経験があるならそれを言え、というのだ。その批判に答えて大江が言うには、自分が信仰を断念したのは、アブラハムが、自分の子であるイサクを、生贄にささげよと、神に命じられるという、「創世記」のエピソードのためである。大江は、自分がアブラハムとおなじ立場になったら、いったいどう判断するのかと自問する。そしてついに信仰を断念する。そのような経緯を、批判者に説明するのである。
ここで問題となるのは、大江が、アブラハムと同じ立場というのを、どのように想像しているのか、という点である。いまでは想像もできないが、十代の彼は、天皇から自分の息子を捧げよと命じられたらどうするのかについて、真剣に悩んでいたのである。つまり彼は、天皇という存在を、一神教における神のようなものとして考えていたのである。こうした自問のすえに、大江は、神のような存在からあたえられた「義」ではなく、自身でつくりあげた「義」を選択することになる。擬制的な一神教であった天皇制からの「転向」を、大江はそう弁明するのであった。

*  *  * 
こうした天皇の物神化という身振りは、「セヴンティーン」「政治少年死す」という二部構成の小説において主題化されている。「セヴンティーン」の冒頭は、「飼育」「芽むしり仔撃ち」をはじめとした、初期の大江作品のパロディのような書きだしから始まる。すなわち、野生動物のような生命力と、飛翔する想像力といった様態が、こんどは十七歳の青年が没頭する「マスターベーション」として描かれているのである。彼の性器は活力にみちあふれ、完全な球体のように自足している。そのさまを、詩情あふれる口ぶりで、十七歳はうたいあげる。しかし、この自足した世界は、鏡にうつった自身の姿をみることによって、すぐさま惨めなものへと転落する。生命力にあふれた自身の性器を礼賛する、即自としての少年時代から、惨めな男の自意識へと転落するところから、話がはじまるのである。

ここで注目すべきは、セヴンティーン二部作が「おれ」という人称を採用している点である。これは他の初期作品の多くが「ぼく/僕」という人称で語られていることと対照的である。これらの作品で採用されている「ぼく」は、第三世界のメタファーである。たとえば「飼育」では、市民社会から隔絶された「村」が舞台になっている。村にとって戦争とは「伝説」であり、敵の飛行機もまた「珍しい鳥」の一種にすぎない。このように現実における敵対を、空想の世界へと変換する機能をもっているのが、話者である「僕」なのである。この「僕」が語る世界によって、現実における敵対に巻き込まれることなく、想像的な「緩衝地帯」をつくりだすことが可能になるのだ。

一方で「おれ」という人称は、きわめて両義的な人称である。つまり、ファリックであると同時に、その去勢を含意するような人称なのである。たとえば筒井康隆の小説におおく登場する「おれ」は、この両義性を前提にしている。また筒井に限らず「おれ」を人称とした小説の多くに、ある種の情けなさがただようのはそのためである。

この「おれ」は、失われた全能をもとめて、やがて天皇による法悦の体験にたどりつくが、これも宗教的なエクスタシーのパロディのようなものとして演じられている。「ああ、おお、天皇陛下! 慄然たる太陽の天皇陛下、ああ、ああ、おお! やがてヒステリー質の視覚異常から回復したおれの眼は、娘の頬になみだのようにおれの精液がとび散っているのをみた」(『大江健三郎全小説3』四二頁)。

そこから第二部「政治少年死す」の方に話がうつるが、この「おれ」は、エクスタシーの瞬間を求めて、やがて敵対する党の「委員長」を刺殺することになる。しかし、その時はこない。彼は未成年であるため、死刑どころか、保護の対処として丁重に扱われてしまうのである。失望した「おれ」は、自死を選ぶことになる。首をくくるために、肌触りの良さそうな素材を選ぶその様子は、さながら自慰に似た何かとして描かれている。この自死が痛ましいのは、自足した性に象徴される、少年的なものが、十七歳にの「おれ」に回帰しているからである。つまり、十七歳のマスターベーションによって生み出された「即自」が、十七歳の縊死へと転移する、というのが、この二部作の骨子であり、この「おれ」の孤独の秘密なのである。
この記事の中でご紹介した本
大江健三郎全小説 3/講談社
大江健三郎全小説 3
著 者:大江 健三郎
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
大江健三郎全小説 7/講談社
大江健三郎全小説 7
著 者:大江 健三郎
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「大江健三郎全小説 7」出版社のホームページはこちら
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