明日の前に 後成説と合理性 書評|カトリーヌ・マラブー(人文書院)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年9月29日 / 新聞掲載日:2018年9月28日(第3258号)

脱構築は、新たな生を開始する 
カントにおける「超越論的なもの」をめぐって

明日の前に 後成説と合理性
著 者:カトリーヌ・マラブー
出版社:人文書院
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哲学者カトリーヌ・マラブーの最新著である本書『明日の前に』は、彼女のはじめての本格的なカント論である。これまで、ヘーゲル、ハイデガー、フロイトらのテクストを、脳科学や神経科学の知見を踏まえて読みなおすという大胆な仕事に取り組んできたマラブーのスタンスは、本作においても変わらない。いや、伝統的な大陸哲学のテクストを、自然科学を経由しつつ脱構築せんとするその野心は、本書においていっそう先鋭化していると言えるだろう。本書においてマラブーは、『純粋理性批判』第二版に登場する「純粋理性の後成説の体系」という表現に注目しつつ、前成説と後成説、さらには現代の遺伝学や脳神経科学の理論を導きの糸として、カント哲学の根本的な読みなおしを図るのだ。

なぜそのような仕事に着手する必要があるのか。ひとことで言えば、それはカント以来の大陸哲学の根幹をなしてきた「超越論的なもの」が、こんにち大いに疑問視されているからである。大陸哲学の内部からは思弁的実在論(メイヤスー)が、その外部からは脳科学や神経生物学が、「超越論的なもの」の乗り越えや自然化をさかんに唱えている。むろんこれまでにも、カントの超越論哲学に対する疑念はさまざまな仕方で提出されてきた(本書にも登場するその最大の批判者はハイデガーである)。しかしメイヤスーの『有限性の後で』以来、そのような趨勢は決定的なものとなり、いまや「〈超越論的なものの放棄・・・・・・・・・・〉が、ポスト批判哲学的な新思想の合言葉となる」(七頁)にいたっている。

これに対して、マラブーの取る戦略はおおよそ次の通りである。彼女によれば、カントにおける「超越論的なもの」は、たんに経験に先立つ可能性の条件として安定した地位を占めるものではまったくない。むろん、そのような読みを許す記述もカントのテクストには少なくないが、それは本質的に発生・変化・進化しうるものであり、カントの時代の生物学の用語でいえば、それは胚の漸進的な形成を唱える後成説にこそ対応するものである。マラブーは、カントが経験の対象とカテゴリーの一致を論じるさいに用いた「純粋理性の後成説の体系」という表現がたんなるアナロジーではなく、むしろ「超越論的なもの」そのものに当てはまるという驚くべき指摘をおこなう。そのうえで、メイヤスーがまっすぐに有限性(=カント)の「後」へと向かったことを批判しつつ、その明日の「前」に踏みとどまることの意義を訴えるのだ。

カントの読解、メイヤスーへの批判、そして哲学と自然科学の対峙といった複数の線がもつれあっているために、本書を読み進めるにあたっては少なくない困難が伴うはずである。しかし、カントが(おそらく何気なく)用いた「後成説」という言葉への着目といい、さまざまな先行研究をもとにその含意を詳らかにしていく手つきといい、広範な知識と構成力に裏打ちされたその議論のオリジナリティには瞠目すべきものがある。ともすれば見過ごされがちな些細な修辞から、ついにはその哲学体系を組み替えるまでに至るその筆の運びは、著者が師デリダから受け継いだ脱構築的実践の好例と言ってよいだろう。

とはいえ同時に、その脱構築が、デリダのそれと同じでないことも明らかだ。本書の最後でマラブーは、思考にとっての根源的な他者としての「生」概念の練り上げに着手している。カントの『判断力批判』第二部から剔出される生とは、現代思想にしばしば登場する生政治的なそれではなく、彼女の言い方によれば「思考を脱相関化する力」(三一二頁)としての、われわれの思考にまったく「無関心な生」(三六頁)である。この意味で本書もまた、マーティン・ヘグルンドやフランチェスコ・ヴィターレら若きデリダ研究者たちの「生―脱構築」の流れに棹さすものと言えるだろう。マラブーの表現をもじって言えば、こうした流れとともに、いまや脱構築は新たな生を開始しつつあるように思われる。本書は、紛れもなくそのひとつの胎動である。(平野徹訳)
この記事の中でご紹介した本
明日の前に  後成説と合理性/人文書院
明日の前に 後成説と合理性
著 者:カトリーヌ・マラブー
出版社:人文書院
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