実在とは何か マヨラナの失踪 書評|ジョルジョ・アガンベン(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年9月29日 / 新聞掲載日:2018年9月28日(第3258号)

実在とは何か マヨラナの失踪 書評
人間の群れの統治と量子の群れの統治というアナロジー

実在とは何か マヨラナの失踪
著 者:ジョルジョ・アガンベン
出版社:講談社
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ジョルジョ・アガンベンと言えば、類稀な神学的・文学的・哲学的センスでもって政治理論、特にそのなかでも統治の理論について、ヨーロッパの想像力の奥深くにまで遡る系譜学的な研究によって世界的に知られたイタリアの哲学者・思想史家だ、というのがおそらくはアガンベンの著作に触れたことのある人々の大部分によって共有された彼の印象だろう。ところが、である。そのアガンベンが、この上村訳によって届けられた新著のなかで、大方の予想を裏切り、量子力学と確率・統計モデルについて主題的に論じているのだ。これは思想的な事件であると評しても過言ではなかろう。

このアガンベンの新著は、アガンベン自身による五〇頁ほどの小論、「実在とは何か――マヨラナの失踪」と、その小論の主人公(ほとんど「概念的人物」と言えるまでに仕立て上げられた哲学的な主人公)であるエットレ・マヨラナが生前(これがいつのことであるのかについては二〇年代という主張と三三年から失踪までのあいだという二説が、訳者解説のなかで紹介されている)書き残し、その失踪から四年後の一九四二年に『スキエンティア』という雑誌に掲載された「物理学と社会科学における統計的法則の価値」という邦訳で二〇頁に満たない論文の二編から構成されている。私たちの手に届けられたその邦訳では、アガンベンが同小論のなかで重要な箇所で参照することになる近世数学者ジェロラモ・カルダーノの手による「偶然ゲームについての書」の本邦初訳と、上村忠男氏による訳者解説およびあとがきが加えられている。上村氏はアガンベンの他の著作、とくに〈ホモ・サケル〉シリーズの一連の著作の翻訳者としても知られており、アガンベンのこれまでの著作全体と今回の新著との関係について非常に示唆に富む解説を読むことができる。

エンリコ・フェルミーに見出された才能あふれる若き物理学者の失踪という実際の未解決「事件」は、このアガンベンの解釈によって決定的に解決されたと言える状態からは程遠いままではあるものの、ある新たな光に照らされることでこれまでとは異なる相貌を示すことになる。それを一言で述べるには、訳者解説に付された題名を引用するのが好ましい。すなわち「科学はもはや実在界を認識しようとはしておらず、実在界に介入してそれを統治することだけを目指している」という姿だ。

この主張がアガンベンの手によってどのように論証されるのかについては本書をじっくりご覧になっていただきたい(そこではシモーヌ・ヴェイユの科学論が重要な役割を果たすことになる)。ここではただ、この主張についての簡単な補足的解説と参照的な広がりを確認するにとどめておこう。初期近代、ケプラーやガリレオの努力のあとデカルトやニュートンによる体系化を経て、科学は実在を客観的に認識するほぼ唯一の手段としての地位を確立し、その後もその地位を順調に拡大し続けてきた。実のところコイレによって明らかにされたように非常にプラトン的な影響が色濃く反映された初期近代の認識枠組みにおいて、認識と行為あるいは実践を峻別する傾向性はとても自然なものであった。それは物理学の内部においても理論物理学と実験物理学を峻別する動機付けとしても機能していた。ところで、フーコーが言うように、あるいはそれを受けてハッキングが詳細に検討したように、一八世紀末から一九世紀の初頭に登場した人間科学を科学として支えることになる確率と統計モデルからなる知は、実在を認識することを一次的な対象としてもはや欲しておらず、実在に介入し制御することを意志していた。社会科学がどれほど物理学に憧憬を抱き、物理学に近づくことが学としての確かさを条件づけると考えていたとしても、実際にはそのあいだには本性的な知の傾向上の差異が刻み付けられていた。しかしながら、一九二〇年代から量子力学の最先端にい続けたマヨラナは、その量子力学によって学問として要求される認識枠組みの変更(これはしばしば〈非〉古典物理学への移行と称される)が、物理法則における確率と統計モデルの不可欠性を導き、ひいては近代科学それ自体としての欲望、つまり実在を認識(観照=テオリア)するという欲望を挫き、社会科学が先行して示していたように「実在に介入しそれを制御する」学となることを受け入れさせるものであることを覚った。マヨラナ論文はまさにこのことに気が付いたマヨラナ自身の葛藤と躊躇と少しばかりの絶望の匂いを漂わせながら論を閉じている。

人間の群れの統治と量子の群れの統治というのは、アナロジーというよりもむしろ、プラトンの問答法における綜合の技を思い起こさせる。牧人と政治家のテクネーが同じ類に属するということを示したあの綜合の技である。生、賭け、確率、群れ、統治、リスク、知、実在界というキーワードを巡る思考を、この小著は刺激してやまない。(上村忠男訳)
この記事の中でご紹介した本
実在とは何か マヨラナの失踪/講談社
実在とは何か マヨラナの失踪
著 者:ジョルジョ・アガンベン
出版社:講談社
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ジョルジョ・アガンベン
ジョルジョ・アガンベン(じょるじゅあがんべん)イタリアの哲学者。
(Giorgio AGAMBEN) 1942年ローマ生まれ。イタリアの哲学者。著書に、1970年『中味のない人間』(人文書院、2002年)、1977年『スタンツェ』(ありな書房、1998年;ちくま学芸文庫、2008年)、1979年『幼児期と歴史』(岩波書店、2007年)、1982年『言語と死』(筑摩書房、2009年)、1990年/2001年『到来する共同体』(月曜社、2012年/2015年)、1993年『バートルビー』(月曜社、2005年)、1995年『ホモ・サケル』( 以文社、2003年)、1996年『人権の彼方に』(以文社、2000年)、1996年/2010年『イタリア的カテゴリー』(みすず書房、2010年)、1998年『アウシュヴィッツの残りのもの』(月曜社、2001年)、2000年『残りの時』(岩波書店、2005年)、2002年『開かれ』(人文書院、2004年;平凡社ライブラリー、2011年)、2003年『例外状態』(未來社、2007年)、2005年『瀆神』(月曜社、2005年/2014年)、2005年『思考の潜勢力』(月曜社、2009年)、2007年『ニンファ その他のイメージ論』(慶應義塾大学出版会、2015年)、2007年/2009年『王国と栄光』(青土社、2010年)、2008年『事物のしるし』(筑摩書房、2011年)、2009年『裸性』(平凡社、2012年)、2011年『いと高き貧しさ』(みすず書房、2014年)、2012年『オプス・デイ』(以文社、2019年)、2014年『身体の使用』(みすず書房、2016年)、2015年『スタシス』(青土社、2016年)、2016年『哲学とはなにか』(みすず書房、2017年)、2016年『実在とは何か』(講談社選書メチエ、2018年)などがある。
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