鼎談=成相肇×細谷修平×平沢剛/インタビュー=ヴラスタ・チハーコヴァー <「1968年」の芸術表現とポリティクス> 千葉市美術館「1968年 激動の時代の芸術」展開催を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年10月5日 / 新聞掲載日:2018年10月5日(第3259号)

鼎談=成相肇×細谷修平×平沢剛/インタビュー=ヴラスタ・チハーコヴァー
<「1968年」の芸術表現とポリティクス>
千葉市美術館「1968年 激動の時代の芸術」展開催を機に

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第3回
山口昌男とエンツェンスベルガーの言説

成相 
 そうですね。美術のバロメーターで言えば64年前後の方が大きな山だったでしょう。東京オリンピック開催、そして読売アンパン閉幕の年。センセーショナルな前衛の活動はすでに68年以前に明らかに顕在化していました。68年は、記号としての「2020」を控えた現在と同じく、予め与えられた舞台を自覚して作家たちは活動していたように思います。70年安保とエキスポ70という切断ないし転換が来ることを承知した上での前夜祭のような。ニューヨークでは70年代にヒッピーカルチャーと絡んで都市における表現が盛り上がってきますが、その点東京は都市と芸術が結びつくのがとても早かった。例えば中西夏之や高松次郎らのハプニング、いわゆる「山手線事件」が1962年。他の都市と比べて過密化が激しく、さらに発表の場が極端に少なかったこともあって街への関心が強まったのでしょう。「1968」として括られる表現は60年代前半から見えていた。今回の1968年展がその前後の幅をどの程度見るのかは気になるところです。

その上で、1968年という現象に伴った表現を考える時に参照したい言説を二つ提示しておきます。一つは人類学者の山口昌男による「「社会科学」としての芸能」(1970)。山口は1968年前後の社会的な動きを「空間の占取をめぐる政治」と捉える。人が空間に干渉することで意味的機能が付与されるという人類学的主題を敷衍して、この時代に最も象徴的な場所として街路を挙げます。都市の街路こそ、体制側と反体制側の対決が演じられた、もしくは演劇的な触発が生じていた際たる空間であると。先に言った通り都市のストリートや鉄道といったインフラにおける美術表現が現れ始めた後、それを引き継ぐかのように60年代末に駅を中心とする都市部、特に新宿に若者がたむろするようになる。むろんそれは一面ではヒッピーカルチャーの輸入であったわけですが、ともあれ芸術と同じように、この行為は本来は流通する場所を遮ってしまう。そこに劇場、シアターが生まれたのだと山口は指摘します。

流れるべき場所が止まることによって、空間の機能転換が起こった。たむろする若者はまさに芸人のような異装に身を包んでいました。大島渚の「新宿泥棒日記」に描かれるのも新宿という舞台空間です。そして新宿西口フォークゲリラ。西口地下広場における集会の過剰な盛り上がりに対して、駅の管理側が「ここは道路交通法上は通路だ」という言い分で人を流そうとしたのはまさに「空間の占取をめぐる政治」です。ある空間に単一機能を与える支配・管理者の論理に対して、その機能を開放したりストップしたりするのは人類史的な芸術(芸能)の役割でした。門付などの放浪芸やテキヤなどもこれですね。言うまでもなくこの文化表象には学生運動やデモも含まれてくるわけです。本来は流通する場所で行われる抗議活動やバリケードによって、流れが遮られ、シアターが各所に生まれた。68年頃を頂点とする、流通空間における文化の発生、いわば肉体による地政学が芸術を生んでいたというこの山口の論は、制度論に集約されない視野を与えてくれる重要な補助線です。

もう一つはエンツェンスベルガーです。著書『メディア論のための積木箱』(1975)で彼はパリの学生運動に対しておもしろい批判をしています。すでに新しい複製技術は普及しているのに、わざわざ学生たちはプラカードや看板を作る(日本ではゲバ文字が流行しました)など、旧メディアにやたらと依存すると。学生たちは伝統的なオデオン座を占領したが、なぜ放送局ではなかったのか、とエンツェンスベルガーは皮肉る。反体制とは、一面では文明敵視あるいは文明恐怖的な反近代運動として現れた。

なぜそれを参照したいかと言うと、1968年を振り返るとき、当時の新しいメディア、特にソニーのポータパックの開発を契機とするヴィデオ機器の革新や、それに伴う録画再生環境の変化がほとんど話題にされないからです。映像の内容よりも、個人がヴィデオを扱い、民主的なブロードキャスティングを行い得るようになったということ自体がすこぶる重要だった。山口の論は街路という実体的な流通空間の話でしたが、一方で情報の流通空間でも同様の事態が生じたわけです。テレビやラジオで一方的に情報を受け取るような管理関係が転換した。デモの現場が放送局になることだってあった。受け手と送り手という二極が不分明になった。これは、客席と舞台の差を無くした寺山修司の市街劇を代表とする、「客席を無くせ」という60年代の演劇人の最大のテーマともシンクロしています。流れているものを停滞させたり、止まっているものを動かしたり、あるいは一方通行を逆向きにしたり。そこでもまた空間の占取、陣取り合戦が為されていた。このように新しいメディアを駆使して情報の支配関係の操作に着手しようとした作家たちこそ、後の文化に貢献が大きかったように思えます。
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