鼎談=成相肇×細谷修平×平沢剛/インタビュー=ヴラスタ・チハーコヴァー <「1968年」の芸術表現とポリティクス> 千葉市美術館「1968年 激動の時代の芸術」展開催を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年10月5日 / 新聞掲載日:2018年10月5日(第3259号)

鼎談=成相肇×細谷修平×平沢剛/インタビュー=ヴラスタ・チハーコヴァー
<「1968年」の芸術表現とポリティクス>
千葉市美術館「1968年 激動の時代の芸術」展開催を機に

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第4回
表現の革新性、資本と国家の介入

娑婆留闘社《獄送檄画通信(三)》1970年 千葉市美術館蔵(C)1970Akasegawa Genpei
細谷 
 受け手と送り手ということで言えば、『メディアの政治』(1974)といった著書で、68年前後から先鋭的なメディア論を展開した津村喬は、書き手の一方的で無条件な優位性を指摘し、読み手の存在とその往還を見出しています。こうした往還関係が顕著に表れるのがビラやミニコミだと思いますが、グローバルな情報資本主義が加速化する現在において、手触りをもった「ビラの精神」はその速度を減速させるものとして見直されるべきではないでしょうか。

ゼロ次元に話が戻ってしまうのですが、万博破壊共闘派を結成して、加藤は独特な文体或いはアジテーションとして「万博破壊活動第一宣言」から「第四宣言」までを書いています。少し読むと「博覧会は見る所ではなく、99%に見られる所なんだ。見る所を見られる所にしてしまうことが革命なのよ。」、「巨大なハプニング会場が我々を喜々として待っているのだ。ゲバ棒を持つことが革命であるように、万博会場では白手袋を片手であげて30分以上歩こうではないか!」とあります。

つまり、ただ単に受け身になって万博を見物するのではなく、万博会場の占拠を発想した。自分たちが参加する場としてその場を変えてしまおうとしたのが、万博破壊共闘派のたどり着いた思想といえるでしょう。設定されたところをひっくり返してしまうのは成相さんの話と繋がるかな。
成相 
 「99%に見られる所」というのがおもしろいところで、70年の万博は会場をテレビモニタで監視した初めての博覧会です。テレビやマルチスクリーンの作品が披露された万博は、監視実験の場でもあった。これもやはり空間の陣取り合戦と言えますね。
平沢 
 確かに物理的な空間を占拠することはあったわけですが、敵と味方による陣取りという発想は、68年における問題提起とかなりズレていると思います。議会制民主主義的な議席の奪い合いや、国会前での二項対立的な頂上決戦とは無縁に、例えば、大学や街頭という政治的プロセスに意味も持ち得ない場において、新たな自律的な空間概念を生み出そうとしたのが、68年的な闘争の本質だったからです。また、街頭において、あらゆる領域が流れ込んでいる混沌が興味深いわけですが、実際には、同じ都市空間を共有しながら、その差異が大きかったという事実も細かく見ていく必要があるのではないでしょうか。例に挙げられていた新宿一つとっても、西口のフォークゲリラと東口の新宿騒乱では、その政治性や文化はかなり異なっているし、大島の創造社や状況劇場、ヒッピーのグループなども同様です。

そしてメディアの話が出ましたけれど、街頭闘争の渦中にありながらメディアに主戦場が移行したことをいち早く指摘したのが津村であり、70年代半ばには、広告批評懇談会などを立ち上げていく。映画でいえば、松田政男、足立正生が展開した風景論や報道論、写真でいえば、中平卓馬や多木浩二ら「プロヴォーク」によるメディア論が、こうした議論を先駆けていった。他方で、万博でいえば、前衛芸術家たちを新しいメディアテクノロジーへ招待する形式になり、個別の表現でヴィデオになると、メーカーが作家に機材を提供して実験を進めていました。ですからその表現の革新性に注目するのであれば、同時に資本と国家の介入という全体的な構造も分析すべきではないかと思います。
成相 
 当時よく引用された本にダニエル・ブーアスティンの『幻影イメージの時代』がありますが、複製メディアやエレクトロニックメディアの台頭とともに「虚」「幻」「影」といった語彙が流行しました。実際に幻や虚を主題とする作品もたくさん作られた。その一方で、自分にとって一番実感のあるもの、「私」という言葉を使った表現も出てきました。荒木経惟の「私写真」や鈴木志郎康の「極私的現代詩入門」などです。プライベートを撮る写真は昔からあるけれど、あえて「私写真」と言わなければいけないオブセッションが当時あって、それはまさに資本の流入の脅威や危機感であったはずです。それも反文明的なところかもしれない。

1968年前後の表現を評価する時に、今までは反文明的な、というか商業分野に反抗した人たちをやや偏向的に評価してきたのではないかという思いが僕にはあります。むしろ初期のテレビなど、産業界にいて面白いことをやっていた人たちがもっと掘り起こされていい。
平沢 
 それらを美術館で展覧会として見せる場合、どのような形態であれ、作品としてフォーマット化される。大衆芸術や産業芸術は、本来であればそのジャンル的な枠組みのなかで消費されて終わるものです。それを美術館のホワイトキューブに移動させた場合、「アート」として新たな価値や意味が生み出されることになります。前例がなければないほど、何を展示するかというキュレーターの取捨選択による決定が強くなるのではないでしょうか?
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