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更新日:2018年10月8日 / 新聞掲載日:2018年10月5日(第3259号)

閉ざされた皇居前広場 ――ポピュリズムと公共性――

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9月14日、首相官邸前で安倍政権への抗議デモがおこなわれた。自民党総裁選が告示された9月7日に予定されていたが、北海道地震の影響で延期されたものだ。いくつかの論考(山本圭「ラディカル・デモクラシーと精神分析」『思想』9月、斎藤幸平「革命と民主主義」『nyx』05ほか)でラディカル・デモクラシーについて議論されているが、2011年の脱原発デモ以降の国会議事堂前や官邸前での抗議活動はラディカル・デモクラシーだったといえる。実際にそのようにみなす論者もいる(松本卓也『享楽社会論』)。「野田やめろ」「安倍やめろ」「民主主義ってなんだ」「国民なめんな」といったシュプレヒコールは内容がないとしばしば批判されたが、さまざまな運動が連帯するための「空虚なシニフィアン」(ラクラウ)といえなくもない。世界を席巻しているポピュリズムは、自由主義と民主主義の「結婚」が破綻したいま、民主主義により比重をかけることで、現状を打開しようとする試みだといえる。ラクラウが認めるとおり、それはラディカル・デモクラシーと言い換えてもよいものだ。

しかし、日本のリベラルはポピュリズムと結託したことで劣化したと與那覇潤は指摘する。リベラルの「アーレント・コンプレックス」がその原因だという(「リベラル派の凋落は自業自得だ」『Voice』10月)。アーレントは「多様性をたっとび、議論を楽しむ」という古代ギリシャのポリスを理想化したが、しかし、それはポリスの市民が「活動」するために、多くの奴隷を「労働」させる世界だった。日本のリベラルには「しょせんポリスの市民のように、社会の恵まれた上澄みにすぎず少数派」だという自意識がある。そのため、大衆と一致できる政治トピックがでるやいなや、なんの考えもなしに飛びついてしまう。世間の関心が、財務省の公文書改ざん事件から財務次官のセクハラ「#MeToo」問題へとすぐさま飛びうつったように。長期的、構造的に分析する知性を失ったことが、昨今のリベラルの凋落を招いた原因であるというわけだ。その背景にあるのはTwitterといったSNSだ。
「私自身の経験からもわかるのですが、大衆との一体感を追求する上でSNS、とくにTwitterは「よく出来すぎた」ツールです。脱原発やSEALDsの運動の側も積極的に活用していたように、「いまは、これが『誰もが認める正義』だ」「コイツは『誰もが認める悪』だ、叩け」という潮流に乗って発言すれば、膨大なRT(リツイート=拡散)を得て、流れの一部になった気持ちを味わえます」

かつて與那覇が教鞭をとっていた大学の学生もこの悪習に染まっていたという。学生たちはゼミを「「論破」や「無双」するためのテクニックを学ぶ場だと誤解」していたそうだ。

トランプ大統領誕生直後、いきすぎたアイデンティティ・ポリティクスでリベラルは自滅したと主張したマーク・リラも、同様の指摘をしている(会田弘継『破綻するアメリカ』)。リラは、アイデンティティ・ポリティクスの特徴として「討論の拒否」を指摘する。告発には慎重な事実確認と問題解決に向けた話し合いが持たれるべきだが、当事者らは他者の意見に耳を傾けない。結局はみずからのアイデンティティの「地位比べ」に終わっているのだ、と。やはり、その背景には自分の意見を「いいね!」と肯定した人とだけ結びつくFacebookといったSNSがあるとしている。

しかし、「論破」や「無双」に盛り上がるポピュリズムはリベラルだけの問題ではない。倉橋耕平は歴史修正主義が台頭した背景には「ディベート文化」があったことを指摘する。(「右派論壇の流通構造とメディアの責任」『世界』10月)。90年代、ビジネス書の自己啓発ブーム、オウムの上祐史浩の多弁なキャラクター、『朝まで生テレビ』といったテレビの討論番組の増加を背景に、歴史問題がディベートで扱われるようになった。資料や論理の実証性よりも、いかに相手を華々しく「論破」するか、がポイントとなる。この姿勢は、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言』から2ちゃんねるにまで受け継がれた。歴史修正主義者やネット右翼との「対話」は困難なのは「まったく異なる水準の「ゲーム」」をしているからにほかならない(『歴史修正主義とサブカルチャー』)。

與那覇や倉橋の指摘に共通するのは、公共性がないということだ。しかし、ポピュリズムを排して公共性を維持するには権威が必要となる。「多様性をたっとび、議論を楽しむ」という空間が大学でかろうじて維持されるのも、大学教員という知的権威をもつ與那覇がいて初めて可能だったわけだし、その知的権威をもってしても「対話」が成立しない相手は排除するしかなくなる。倉橋はヘイトスピーチ対策として刑事罰をふくめたさらなる法整備と不買運動を提案している。しかし、論壇誌だけでも『新潮45』『正論』『Voice』『HANADA』といった右派が市場を支配している。結局のところ、公共性を維持するためには国家による規制に頼らざるをえなくなる。しかし、Twitterでヘイトアカウントをスパム報告して、アカウントを凍結する程度の簡単な話ではないだろう。今年6月、ヘイト目的のデモに公園の使用許可を出さないようにと要望を受けた新宿区が、一部の公園をのぞいて、ヘイトだけでなくすべてのデモでの使用を制限したことは、どう考えればよいのか。

ポピュリズムが跋扈する空間はヘゲモニー闘争がおこなわれる政治的な空間でもある。ルフォールによれば、かつて王が占めていた権力の中心は、民主主義において「権力の空虚な場」としてあらわれ、いかなる権力者も一時的にその場を占めるにすぎない(『民主主義の発明』)。2011年以来の国会議事堂前や官邸前の抗議活動で、群衆が車道を埋めることが動員目標のように見なされたのも、車道をまさしく広場にかえるためだった。広場はしばしば公共空間とみなされるが、複数の勢力がヘゲモニーを争う「権力の空虚な場」としても表象される。警察の規制線を乗り越えんとする抗議者と、抗議者を歩道に押しとどめる警察は、ヘゲモニーを争っていたわけだ。

ラクラウ=ムフはラディカル・デモクラシー論において「左翼の課題は、自由民主主義的イデオロギーを否認することにあるのではなく、むしろ逆にラディカル(根源的)で複数主義的なデモクラシーの方向にそれを深化させ拡充していくことにある」と述べた(『民主主義の革命』)。たしかに日本の左翼ポピュリズムは戦後民主主義的リベラル・デモクラシーイデオロギーを否認することなく深化させ拡充している。

民主主義は権威主義に比べて安定した政体とされる。権威主義は民衆の不満が革命に直結しやすいのにたいして、民主主義は普通選挙というかたちで革命を制度化しているからだ。ラディカル・デモクラシーはルフォールの「権力の空虚な場」を革命の制度化として読みかえたといえる。しかし、制度化した革命とは単なる「ストレス発散」ではないか。2011年以来の運動の結果がしめすように、ひとびとの要求や不満は根本的な変革にいたることなく、いつのまにか終息した。安倍晋三は総裁選三選をはたし、冒頭で紹介した抗議活動も単なる「ストレス発散」で終わってしまった。

ところで、原武史が明らかにしたように、皇居前広場では太平洋戦争後に占領軍のパレード、左翼によるメーデー、日本国憲法施行記念式典といった政治的セレモニーが次々とおこなわれた(『皇居前広場』)。原もまた皇居前広場は「公共的空間」ではないと指摘していたが、「権力の空虚な場」を表象する空間だったといえる。王=天皇が神から人間になったあとにぽっかりとうまれた広場だったからだ。占領軍、左翼勢力、保守勢力が、ときには人間宣言をした昭和天皇もみずから登場して、日本の権力そのものを争った。しかし、サンフランスシコ平和条約が発効し、血のメーデー事件が起こった1952年以降、闘争空間とすること自体不可能となる。戦後民主主義の始まりと一致するのはあまりに象徴的だ。この「権力の空虚な場」を誰が占有して続けているだろうか。戦後民主主義はそれを覆い隠す幻想として機能している。
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