近代アジアの映画産業 書評|笹川 慶子(青弓社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月6日 / 新聞掲載日:2018年10月5日(第3259号)

興味深い発見に満ちた大著 
配給と興行の観点からアジア映画史を読み替える試み

近代アジアの映画産業
著 者:笹川 慶子
出版社:青弓社
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映画史を語ることは、近代を語ることと同義である。とりわけ帝国列強のもとに植民地・半植民地化を余儀なくされたアジアの諸地域で生じた、急速な近代化を理解するためには、その地における映画産業の発展のあり方を検討してみると、いろいろなことがわかる。これまでの映画史は20世紀初頭に欧米映画がアジアに到来し、ローカル映画を変容させていく過程を、もっぱら映画の作風やジャンルの変化という観点から論じていた。本書はそれを配給と興行の側面から再検討している。だから刺戟的な書物である。

のっけから思いもかけない二つの都市に焦点が投じられる。ロンドンと大阪だ。ハリウッドが台頭する以前、ロンドンは世界中に中古のフィルムを配給する、取引の本拠地であった。新作フィルムは値段が高いから、アジア側はセコハンの画質の悪いものしか配給してもらえなかった。大阪というと、台湾朝鮮といった植民地のみならず、東アジア中に日本映画を発信する中心地であった。シネフィルの立場からすれば、20世紀前半において重要なのは当然、パリや京都と相場が決まっているが、配給と興行を基軸としたときに浮上してくる映画都市は、こうしてまったく異なっている。この神話破壊は痛快である。

著者はこの立場に立って、環太平洋映画交渉史のなかで日本が占めていた地政学的位置を測定し、東洋汽船が手掛けた映画産業を世界流通システムのなかで検討する。最後にこうした一連の手続きを踏まえた後で、アジアの近代的経験の多様性と多層性に言及する。シンガポール、マニラ、上海、そして大東亜共栄圏における日本…紙数が限られているため、各章のすべてについて論じることはできないが、ひとつだけ、具体的な分析例を挙げておこう。

わたしは以前に皇民化政策期の朝鮮映画について調べていたとき、ある疑問に到達したことがあった。朝鮮では1920年代から朝鮮人による活発な映画制作がなされ、スクリーンで抗日を説く羅雲奎(ナ・ウンギュ)のような映画人までが輩出したというのに、台湾ではどうして映画産業が発達しなかったのか。日本の植民地主義による近代化は、台湾の方が朝鮮に先行していた。にもかかわらず、この映画的不振が生じたのはなぜなのか。

この疑問は台湾の映画史家の間でも長く問われていたようで、数年前に台北藝術大学で学会が開催されたとき、韓国を含めて、3か国の研究者の間で話題になった。決定的な結論を導き出すにはいたらなかった。日本統治時代の台湾には上海映画が、台湾語の弁士付きで公開されていたから、わざわざ台湾人観客のために台湾語映画を制作するまでに至らなかったのではないかという説はある。しかし公開された上海映画の本数は限定されており、居合わせた人々を説得させるまでには至らなかった。

本書の著者はこの問題を論じるにあたって、受容者としての観客論をまず排している。社会階層の問題を含め、現地での観客を一義的に定義することは不可能であるという理由からだ。その代わりに持ち出されるのは市場の論理だ。日本の台湾領有は、リュミエールによる映画の発明と同じ1895年であった。そのため台湾の映画市場は最初から日本の映画配給網に組み込まれ、西日本の地方都市と同様にして発展した。現地では独自の映画を制作する必要がなかった。それに対し朝鮮では、朝鮮人や在朝外国人による映画興行が開始された後に、遅れて日本の映画会社が到来し、市場を奪い合うことになった。台湾はもともと清国の一辺境にすぎなかったが、朝鮮は清国との服属関係こそあれ独立国であった。朝鮮にあっては日本映画の圧倒的な優位にもかかわらず、民族主義的な抵抗の気運が、民間資本による映画制作を促したのである。こうした市場環境の相違を証立てるものとして、著者は京城と台北における帝国キネマの興行のあり方の違いに着目している。

さまざまに興味深い発見に満ちた大著である。本書はこれまで日本で蔑ろにされてきた配給と興行の観点からアジア映画史を読み替える試みとして、「作家主義」を基軸としてきた映画研究家に少なからぬ刺激を与えることだろう。こうした立場の研究が、個々のフィルムの分析と有機的に結合したとき、アジア映画史、さらにアジア近代史がより実り多いジャンルとなることを期待したい。
この記事の中でご紹介した本
近代アジアの映画産業 /青弓社
近代アジアの映画産業
著 者:笹川 慶子
出版社:青弓社
以下のオンライン書店でご購入できます
「近代アジアの映画産業 」出版社のホームページはこちら
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