秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争 東方社が写した日本と大東亜共栄圏 書評|井上 祐子(みずき書林)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月6日 / 新聞掲載日:2018年10月5日(第3259号)

初公開、二〇〇枚の写真群 
細部を見逃さず写真の読み方を示す

秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争 東方社が写した日本と大東亜共栄圏
著 者:井上 祐子
出版社:みずき書林
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本書副題は「東方社が写した日本と大東亜共栄圏」。国内編、東南アジア編、中国編として、国内の陸戦部隊と航空、近代都市東京の街と人々、そして、マラヤ・シンガポール、フィリピン、インドネシア、華北、北京などアジア各地の社会や日本軍の動きを、すべて初公開の写真群で詳細に追う。

イギリス支配の終焉を象徴する「ラッフルズ像の撤去作業」(シンガポール、一九四二年)、現地住民によるぎこちない「竹槍訓練」(マニラ、一九四三年)、救護系と救火系を分担する「北京聖心女子中学校の防空訓練」(一九四三年)など、二〇〇枚で現地の様相をたどる。

一枚ごとの内容を文字化し社会背景や戦況を解説するのは、視覚メディア史が専門の井上祐子氏。細部を見逃さずに写真の読み方を示す本書は、戦中の日本やアジアを学ぶ資料集として学生にも薦めたい。

ところで、大東亜共栄圏で取材をしていた新聞社や通信社の写真は、敗戦前後にネガフィルムごと焼却処分されたものが多い。本書の写真は、なぜ今迄残っていたのだろう。

東方社は、陸軍参謀本部のプロパガンダグラフ誌制作の意向を受けて一九四一年に設立された民間の写真制作会社だ。翌年からグラフ誌『FRONT』を不定期刊行していたが、戦後すぐに改組改称して文化社となり、数年後に解散した。社屋だった建物を青山光衛氏が買い取ったところ、そこに一万七千五百コマものネガフィルムがあったのだ。

東方社時代のネガフィルムが焼却されなかったのは、懸命に撮影された大切なものという認識があったからだ。文化社解散後、複数の撮影者に渡されている。大量に残っていたのは、疎開などで連絡不能だったり、社命で撮影したという感覚で引き取りに応じないカメラマンもいたのだろう。それにしても、残ったネガフィルムを社屋もろとも処分するとは、体制と結びついて仕事をしていた組織の末路を象徴するエピソードだ。

曲折を経て、青山氏の親族が二〇一〇年に公益財団法人政治経済研究所付属東京大空襲・戦災資料センターにネガフィルムを寄贈された。本書コラムには、こうした来歴のほかに、東方社カメラマンについて、そして、撮影された者の記録「震天隊隊長青木哲郎のアルバム」などもあって、資料性を高めている。

さて、写真解説の中には、同じカットが『FRONT』や内閣情報部創刊の『写真週報』に使われているという記述が散見されるが、掲載例は限られている。写真とデザインの融合を特徴とする『FRONT』で同じ写真がどのように扱われたのか、プロパガンダでの使用例をもっと見たかった。

また、本書の写真には、NHKが共同研究で作成したネガフィルムのデジタルデータが使われている。ネガフィルムはプリント技術で諧調を整えて初めて「写真」になることを思えば、残念な画像だ。

デザインも諧調の整えもない硬い画像は、写真美に酔えない。しかし、写された内容とその背景に注目して頁をめくり続けると、東方社と戦時体制の蜜月ぶりが浮かび上がってくる。捨てられた秘蔵写真は、同社が文化人の隠れ里だったという「神話」が迎合の言い訳にすぎなかったことを証している。
この記事の中でご紹介した本
秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争 東方社が写した日本と大東亜共栄圏/みずき書林
秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争 東方社が写した日本と大東亜共栄圏
著 者:井上 祐子
出版社:みずき書林
以下のオンライン書店でご購入できます
「秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争 東方社が写した日本と大東亜共栄圏」出版社のホームページはこちら
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