鈴木薫×黛秋津=対談  新たな「世界史」の見取り図  『文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ』(山川出版社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年10月12日 / 新聞掲載日:2018年10月12日(第3260号)

鈴木薫×黛秋津=対談
新たな「世界史」の見取り図
『文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ』(山川出版社)

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このたび、人類の文明史全体を「文字」と「組織」という全く新たな視点からとらえた比較文明論『文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ』(山川出版社)が刊行された。オスマン史研究の泰斗である著者の鈴木董氏は、『オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家』(筑摩書房、新版/講談社学術文庫、二〇一八年)など数々の著作があるが、その探求の出発点は比較文明史・比較文化にあったという。
本書は半世紀近くにわたり奥深く広大なイスラム世界の実証的研究を続けてきた著者の知的営為の一所産に留まらず、グローバル・システムにおおわれた現代においても、世界の動向を展望し得る新しい見方を提示する。
本書の刊行を機に、バルカン史、ヨーロッパ・中東国際関係史を研究する黛秋津氏(東京大学准教授)を聞き手に、著者の鈴木董氏にお話しいただいた。

(編集部)
第1回
■なぜ「文字世界」なのか

――本書では、大文化圏としての文字世界の分布を、西欧キリスト教世界としての「ラテン文字世界」(ラテン語)、東欧正教世界としての「ギリシア・キリル文字世界」(ギリシア語と教会スラブ語)、南アジア・東南アジア・ヒンドゥー・仏教世界の「梵字世界」(ヒンドゥー圏のサンスクリットと仏教圏のパーリ語)、東アジア儒教・仏教世界の「漢字世界」(漢文)、イスラム世界の「アラビア文字世界」(アラビア語)という五つのカテゴリーに分け、説明する。
黛 秋津氏
黛 
 これまでの歴史研究者たちは言語の音声面に関心を持つ方が多くて、文字にはそれほど着目していなかったと思います。まず、今回鈴木先生は文字に着目し、文字の概念から世界史をスケッチする、世界史の新しい見方を提示する本を出されたわけですが、その着目のきっかけをお聞きしたいと思います。
鈴木 
 私は大学に入ってから文化圏の違いというのはどういう風に表現できるかという比較文明論に興味が出てきて、アーノルド・トインビーの大著『歴史の研究』の要約版やオズワルド・シュペングラーの『西洋の没落』を読んだりしていました。もっともトインビーの『歴史の研究』は後に原本十二巻の全訳が出だしたので、これも一応全部読みました。なかでも、トインビーの、文明(civilization)というのは「理解可能な歴史の範囲」という記述には大変感銘を受けました。当時はちょうどベトナム戦争の最中でもあったのでアジアとヨーロッパの文化圏の違いというのが大きい問題だったんです。それで当時、日本では情報がごく少なかったイスラム圏の独立国なら日本との比較の対象として面白そうだと考えて、オスマン帝国史を実証的にやろうと始めたのですが、やはり私の興味は明治維新と大航海時代にあって、そうすると研究対象となる時代は近世史になる。それでやっているうちにだんだん文化の分け方についての感覚が出てきたのです。
黛 
 トインビーの文明の定義というのは、鈴木先生が仰るところの大文化圏よりもやや小さいと思います。そのような文明の解釈という点で、トインビーの考え方はどのように見えたのでしょうか。
鈴木 董氏
鈴木 
 その頃はかなり新鮮でした。トインビーがなぜそういうことを考えついたのかというと、もともとトインビーはギリシア政府がロンドン大学に設けた「コライス記念ビザンツ及び近代ギリシア研究講座」の初代教授に確か二〇代後半で就任したんです。ところが、新聞の特派員も兼ねたトルコの調査旅行中にギリシア人がアナトリアでどんなに酷いことやっているかを見て正直に書いたところ、ギリシア政府が怒って大学をクビになってしまった。でもトインビーの評価は非常に高くて、ギルバート・マーレーという当時のギリシア文献学の最高峰の令嬢のお婿さんに迎えられたぐらいでした。その後はイギリスのシンクタンク「王立国際問題研究所」の主事になって、一九二〇~三〇年代に世界情勢を分析して国際関係論の専門家になった。それでずっとヨーロッパ史を見ていたので、「理解可能な歴史の範囲」という概念ができてきたのだと思います。

シュペングラーは、文化を有機体になぞらえ、無形のものが植物のように成長して文化となり一定段階に達し、都市化するとともに創造性を失って文化が文明と化し、衰退と死に向かうとして、文化の盛衰をライフ・サイクルでとらえようとしました。それはちょっとおかしいと思っていますが、ただその上でシュペングラーが為そうとしていた「世界史におけるコペルニクス的転向」すなわち西洋中心史観の否定は非常に正しいと思ったのです。そうしたことを考えているうちに文化分けの考えができてきました。アジアという概念にしろ東洋という概念にしろ、西洋人から見た日本も含めた異文化の世界をアジアまたは東洋というわけで、ギリシア・ローマから伝わって、東洋と西洋またアジアとヨーロッパという概念ができているのです。「一つの東洋」「一つのアジア」などというものは、本来はありません。それは「西洋」に対抗するために出てきた全く新しい概念なのです。それで考えてとりあえずは東アジア儒教世界とインドを中心としたヒンドゥー・インド世界とイスラム世界とヨーロッパの西欧カトリック・プロテスタント世界と東欧ギリシア正教世界でとらえられるんじゃないかと考えたのが、二〇代の末頃でした。そして文化と文明そのものをどうとらえるべきかも考え続けていたのですが、かなり後になって、文明と文化を人間活動の異なる位相をとらえるものと考え、「文明」については、「人間の外的世界(マクロ・コスモス)と内的世界(ミクロ・コスモス)についての利用・制御・開発及びその諸結果に対するフィード・バック能力とその所産の総体」、「文化」については、「人間が集団の成員として後天的に習得する、行動の仕方、ものの考え方、ものの感じ方のくせとその所産の総体」ととらえればと思うようになりました。そうなれば、言語も文字も、コミュニケーションの手段としては「文明」に属するが、文化的特性ももつととらえうるかと思うのです。
黛 
 トルコに留学されていた頃ですね。
鈴木 
 トルコにいると日本とは違って、隣の家の人が家では違う言葉を喋っていて、違う文字を用い、暦が違って年中行事が違って食べて良いもの飲んで良いものが違って、しかもそれが移民や出稼ぎで来た人たちではなく、トルコ人が来る前からあの世界ではそうだった。ですから非常に文化の違いが意識できたのです。ただ、文化圏を宗教イデオロギーで分けるのは曖昧で、考えてみると文明そして文化圏の広がりというのはどこかにイノヴェーションの中心ができる。そのイノヴェーションを受容して周りがだんだん開化していく。日本の場合はイノヴェーションの中心が中国で中国の文字を受け入れる。ただ文字を受け入れるというより共通の国際語として漢文を入れて漢語を受け入れる。漢語を受け入れると漢文を読めない人も、今の横文字のように漢語で受け入れて表現するようになって、漢文をまったく読めなくても日常生活で漢語も使って表現するようになる。
黛 
 文字とともにその概念も入ってくるわけですね。特に漢字は表意文字ですから、その概念も自然と入ってくる。
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この記事の中でご紹介した本
文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ/山川出版社
文字と組織の世界史 新しい「比較文明史」のスケッチ
著 者:鈴木 董
出版社:山川出版社
以下のオンライン書店でご購入できます
オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家/講談社
オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家
著 者:鈴木 董
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家」出版社のホームページはこちら
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