端正なカット割りが生む無限に豊かな表現  スーザン・ジョンソン「マイ・プレシャス・リスト」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年10月16日 / 新聞掲載日:2018年10月12日(第3260号)

端正なカット割りが生む無限に豊かな表現 
スーザン・ジョンソン「マイ・プレシャス・リスト」

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一九歳の娘キャリーが心理療法士のもとを訪れる。彼女がドアを開けてなかに入る最初のショットも含めて、この場面のほぼ全てが二人の顔を交互に捉える切り返しによって編集されている。それ以外のつなぎは、最後に二度使われるだけで、彼女がドアを開く時にカメラが寄り、一旦出て行った彼女が再びドアを開けて顔を出す時に今度は引く。どちらも同軸上のアクションつなぎだ。場面が替わり、彼女が飲食店に入る時にカメラが同軸上に引き、その後の店員や他の客とのやり取りのほとんどがまたも切り返しによって示される。こうした出だしのカット割りだけで、観客はスーザン・ジョンソンの『マイ・プレシャス・リスト』に魅了されてしまうだろう。

実際、この映画はほぼ全篇に渡って切り返しを編集の基本としている。メキシコ料理店でのキャリーのデートでは、時間の経過の省略とともにカメラが向きを変え、アンデルセン像の脇で彼女が父と話す時は、クロースアップが二人の親密さを示す。クラブのソファでの彼女と女性の同僚の会話では、ソファの背面からカメラが二人を捉え、会話のリズムとそれとは微妙に異なる切り返しのリズムが絡み合って出色の表現を作り出す。男性の同僚も加わったオフィスでの三人の会話では、一人と二人に分けて切り返しが行なわれる。クリスマスイブの夜の通りを彼女が男性と二人で歩く場面では、例外的に後退移動のカメラによる四分強の長回しが登場する。だがこれも、他の場面で切り返しが丁寧に積み重ねられているからこそ最大限の効果をあげるのだ。長回しが終わった後、男が女にコートを貸すのもとても魅力的である。この映画には奇を衒ったショットなどひとつもない。切り返しさえイマジナリーラインの一致の法則をきちんと守る。そんな端正なカット割りが無限に豊かな表現を生み出すのだ。

物語も派手さと無縁だ。キャリーは『美しく呪われし者』や『知の考古学』といった本が好きな才女で、わずか一四歳でハーバード大学に入学したが、卒業後は一人で引きこもっている。彼女は正しいことをしていて満足だと主張し、現実社会の矛盾を受け入れられずにいる。そんな彼女が、心理療法士が作ったリストの項目を実行することで徐々に変わっていくという物語だ。婚約者がいるのに異性との出会いを求める男との関係が興味深い。キャリーは最低な男だと思いながらも自分から会いに行くが、話してみると、彼はマサチューセッツ工科大学出身の想像以上に知的で真面目な人物なのだ。彼との関係はキャリーを傷つけて終わり、彼女は男性に対する不信感を強める。だが、それでも心の底では彼が一方的に悪い訳ではないと知っている。さらに、療法士の私生活も彼女の心を揺さぶるが、彼の実直な対応が彼女に男性への信頼感を取り戻させる。人間は不完全だが、それなりに真面目でよりよく生きようと悩んでいる。キャリーはこうして人間の不完全さを受け入れ、他人と豊かに関われるようになるのだ。

ラストで花火が予告されるが、それを待つ彼女の顔のクロースアップで映画は終わり、夜空の切り返しは示されない。この映画では、切り返しは人間同士の会話で用いられる。視線の対象を示すためだけでなく、何より人と人の関係を示すために使われているのだ。

今月は他に、『1987、ある闘いの真実』『ご主人様と呼ばせてください』などが面白かった。また未公開だが、ラモン・ツュルヒャーの『奇妙な子猫』も素晴らしかった。
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