たがめ・冬の川辺・蓬 書評|川村 亜子(作品社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月13日 / 新聞掲載日:2018年10月12日(第3260号)

日常に流れる時間の裂け目を見ることに熟達した書き手

たがめ・冬の川辺・蓬
著 者:川村 亜子
出版社:作品社
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川村亜子は善意の人である。
「たがめ・冬の川辺・蓬 川村亜子作品集」は二〇一七年八月に亡くなった川村亜子の学生時代からの小説、エッセイ、紀行文を集めた遺稿集である。著者は韓国文学の翻訳家としての業績を持ち、新聞各紙の訃報にも翻訳家と紹介された。この作品集をまとめた川村亜子氏の夫である川村湊氏は「私と妻は、大学の文芸サークルで知り合い、結婚し、二人の子供をもうけたが、互いに文芸の道を進むことを念願としてきた」とあとがきに記している。

手堅いリアリズムの文章の中に、夢想を開く扉が隠れているのは一九七八年発表の「姥湯宿の絵本」にすでに表れている。若い、そして大らかな才気を感じさせる作品だ。才気を支えているのは精神の根底にある善意だ。この作品集を読みながら、絶えず精神の根底にある善意をというものを感じ続けた。隣人に対する善意、旅先で出会う人に対する善意、家族に対する善意、そうしたものが、作品の底にひっそりと蹲っている。人間社会にたいする悪意を才気のある筆に載せる作者の作品は世間の人の不満を代弁するかたちで派手な歓迎を受けるが、善意を根底に持つ作者は往々にして地味な書き手として注目されることが少ない。地味な書き手と書いたが、私は地味という言葉を使うことに抵抗を覚える。精神の根底に善意を潜ませる書き手の作品は、派手な歓迎を受けることは少ないが、その作品は決して地味ではない。日常生活への豊饒な認識を持つことも珍しくない。川村亜子は日常に流れる時間の裂け目を見ることに熟達した書き手であった。
「姥湯宿の絵本」では夏目漱石や内田百閒の手法を連想させる場面も多いが、一九九二年発表の「蓬」では日常の中に潜んでいた異界への扉を描く手法は作者独自のものとして完成されている。成人した娘と老いた母。母は幼年時代の娘が蓬餅を好んだという微笑ましい記憶を作っている。その記憶は娘には共有されていないが、娘は強いて母の記憶を否定しない。蓬を摘みに出かけた山道で母が転んだことから幼年期の記憶がよみがえり、そこに隠された秘密に気づく。蛍見物と称して池の淵へ連れ出さた時、無理心中が企てられたのではないかと。不意に運命の深淵がのぞく瞬間を静かに日常へと戻す時、作品は美しいフォルムを持つ。虚構を構えることに慎重でありながら、人生の手触りを読者の掌に残す手腕だ。一九九五年発表の「冬の川辺」では離婚した父との面会日を競艇場で過ごすことになった娘のビギナーズ・ラックが父娘(おやこ)の別れになる切なさを描く。それが二〇一七年三月発表の「たがめ」になると、女性の車の趣味や突然襲ってきた水害の様子など興味深いディテールが詰め込まれ過ぎたような作品となっている。おそらく作者は自身の死を意識していたはずで、ぎっしりと詰め込まれたディテールがせつない。

虚構を仕組んだ小説作品で示された文章の手腕はエッセイ、紀行文では抑制や緊張を緩めたかたちで、筆ののびやかさを感じさせることは言うまでもない。即興的な要素が加わるので、そこに過ぎ去った時代の香りが漂う。川村亜子の作品に触れながら、文芸同人雑誌には、文芸を深く愛している書き手がいることを思わずにはいられなかった。
この記事の中でご紹介した本
たがめ・冬の川辺・蓬/作品社
たがめ・冬の川辺・蓬
著 者:川村 亜子
出版社:作品社
以下のオンライン書店でご購入できます
「たがめ・冬の川辺・蓬」出版社のホームページはこちら
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