野見山暁治 人はどこまでいけるか 書評|野見山 暁治(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月13日 / 新聞掲載日:2018年10月12日(第3260号)

野見山暁治 人はどこまでいけるか 書評
美のミューズに魅せられて 
画家・野見山暁治の九七年分の人生と絵

野見山暁治 人はどこまでいけるか
著 者:野見山 暁治
出版社:平凡社
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こころに響く言葉がある。腹を据えびくともしない本音を、「ほれっ」と素手でつかんで手渡してくれる、そんな言葉だ。

九七歳の洋画家、野見山曉治の言葉はどこか飄々と響く。自身の人生と絵について語りつつ、これまで何を選び、何を手放してきたのか、話の裾野はじわじわと広がっていく。

絵描きになりたいと思ったのは、わずか五歳のとき。だが筑豊(福岡県)の炭田屋の長男として生まれた以上、父の家業を継がなければならない。悶々とする野見山少年を絵描きへと押しすすめたのは小中学校の美術教師たちだった。それに“運”が味方した。

だが状況は一変。東京美術学校(現・東京芸術大)を繰り上げ卒業し、旧満州に出征。当然、絵は描けない。何の色もない世界。そんな時、凍てついた地面に透けて見えたカ―キ色のみかんの皮。世の中には色があったんだ、と心が震えた。

三十過ぎの岡本太郎が戦地で匍匐前進していたとき、目の前に揺れる小さな花を見て、震えるような感動を覚えたという体験と微妙に重なる。こうした体験が生涯画家として生きる、という決意になっていったとしても不思議ではない。

終戦を迎え、三一歳でフランスへ留学した野見山は、約一二年間一度も日本へ戻らず、ひたすら絵を描き続けたという。そして九三歳のとき文化勲章受賞。

その間のめざましい活躍は本書に譲るとして、彼は美術学校、絵画団体、留学先のフランスでも一律に絵の描き方を教え、同じような絵が並んでいるところからは容赦なく飛び出している。絵で食べていけるかどうかは二の次。まっしぐらに絵が好きなのだ。

現在も毎日、必ずカンパスに向かう。スランプの時こそ、無理してでも手を動かすという。

「でないと、ミューズの神さまに見放されるからね。はい、さよならって」

よく生きる知恵を体で知っているのだ。九七歳の画家は今日も進歩し続ける。あとに続く私たちも負けてはいられない。
この記事の中でご紹介した本
野見山暁治 人はどこまでいけるか/平凡社
野見山暁治 人はどこまでいけるか
著 者:野見山 暁治
出版社:平凡社
「野見山暁治 人はどこまでいけるか」は以下からご購入できます
「野見山暁治 人はどこまでいけるか」出版社のホームページはこちら
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