加藤 陽子氏ロングインタビュー 未来を創造するために 『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年9月30日 / 新聞掲載日:2016年9月30日(第3158号)

加藤 陽子氏ロングインタビュー
未来を創造するために 『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)刊行を機に

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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞を受賞した加藤陽子氏(東京大学大学院教授)が、その〈続編〉とも位置づけられる『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社)を上梓した。一九三一年の満州事変から一九四一年の真珠湾攻撃までの十年間、様々な選択肢がありながらも、なぜ日本は戦争への道を選んでしまったのか。それを決定づけた「三つの歴史的出来事」を中心に描く。「過去にあった出来事を正確に描くことで、未来を創造するための手助けをすることが歴史家の仕事」だと定義する加藤氏に、『戦争まで』刊行を機にお話しをうかがった。(編集部)


三つの選択に焦点

――最初に二点ほど、前著を踏まえておうかがいします。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、日清戦争にはじまり、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変・日中戦争から太平洋戦争まで、日本の近現代史を、「戦争」の視点から通史の形で描く一冊でした。今回は、同じ時代を扱いながら、テーマをより鮮明に打ち出されたのではないでしょうか。日本が究極の「選択」を迫られた三つの歴史的出来事(リットン報告書・日独伊三国軍事同盟・日米交渉)に焦点を当て、そこで人々が何を考え、世界と交渉し、最終的な決断を下したのか。このテーマに特化して歴史を語っていこうとされた、その意図を、お聞かせいただけますか。
加藤
少し遡ってお話をしたいのですが、前著を刊行する数年前、『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書、二〇〇二年)という本を書きました。その本を書きながら、日本というのは「戦争で戦争を説明してきた国」であり、国民自身も、そのような見方に強く影響されてきたのだと、つくづく感じたのです。たとえば日露戦争について、本来の開戦原因は、朝鮮半島に対する日本の完全なる政治的・軍事的支配権をロシアに認めさせるための戦争だった。けれども、日本の辛勝に帰した日露戦後、あるいは昭和に入り、国民に対して、どのような説明がなされたかといえば、ロシアによって占領された満州(中国東北部)を、日本が中国(清)に代わって取り返してあげた戦いだった、とこう説明する。少し細かくなりますが、一九〇〇年の北清事変をきっかけとして、ロシアは満州に進駐しました。露清間の約束では、段階的に撤兵するはずだったロシアはなかなか撤兵しない。よって、日本がロシアを満州から駆逐し、清に満州を取り戻すための戦争が日露戦争だったとの語り方がなされるようになるのです。満州事変時には、もうこのような語り方が優勢になっていました。つまり、日本という国は、開戦時の国際関係の実態ではなく、現在の事態に合わせて、戦争を用いて戦争を語ってきたのではないか。このように考えながら、日本が戦争への道を選ぶ際に、いかなる論理で国民に戦争を説得したのか、その論理を描こうとしたのが、『戦争の日本近現代史』であり、それを核として中高生向けに語る形で著したのが前著でした。戦争で戦争を語る、その際に生ずる、日本側の認識のかたちや論理といったものを描いておこう、それが念頭にありました。もうひとつ、我々が陥りやすい認識上の欺瞞ということでいえば、受動態で語りがちな戦争観に対して、再考を促したいという気持ちもありました。アメリカに石油の全面禁輸をやられたから、やむにやまれず開戦した、との語りがありますね。経済封鎖をされたから開戦せざるを得なかったと。そのように、受動態で戦争を語る人たちが、二〇〇九年頃までは多かった。むろん、今なお、このような説明は人気がありますが。このような論調に反論しておきたいという思いも、同時にありました。
では今回なぜ、一九三一年の満州事変から四一年の日米開戦という十年に絞り、三つの選択に焦点を当てたのか。これは、今という時代の変化と、私自身の意識の変化に関わって来ることです。前回の本の元となる、中高生を相手にした講義は、二〇〇七年末から翌年の一月にかけて行なわれました。日本が低成長に苦しみ、「失われた十年/二十年」という言葉で評された時代でした。ただ当時私は、日本は経済不況先進国であり、世界も今後同じような苦しみ方をするのだろうといった意識しか持っていませんでした。世界や日本の状況に対して、それ程切迫した感じで見ていなかったのです。
しかし、『戦争まで』を上梓するまでには、時代が自分自身の問題意識を追い越していくような感じがありました。二〇一五年に新たな安全保障法制が成立したことによって、憲法前文や憲法九条が規定する戦争放棄と平和主義をめぐる、国家と国民の関係がまずは変わりました。また、本を書き上げて以降の事態も含めますと、今夏、天皇自身による生前退位の希望も表明されました。そうなりますと、憲法一条をめぐっても、国家と国民の関係が変わろうとしているといえる。そのような変動期にあって、若い人たちに、社会の動きを柔軟に、冷静に考えてもらうためにはどうすればいいか。そのような思いが、今回の本には込められています。
国家と国民の関係が大きく動く時、どのようなことが起こるのか。六月になされたイギリスの国民投票を思い出してください。あの時、EU離脱派を中心に、「イギリスの主権を取り戻すのか」、それとも「EUという超国家の下で、主権が制限される中で生きるのか」といった二択のかたちで国民に選択を問うていました。しかし、このような選択肢は問題を正しく反映させていたでしょうか。問われていたのは、広域下での自由経済が保障された世界を選ぶのかどうか、という点でした。今回の英国の場合と同じく、日本でも近い将来、国民投票がなされる時が、必ずやって来るでしょう。そのような時、国やマスコミは、問われていることを正しく反映させて選択肢を国民に示すものなのだろうかとの懸念が、私に今回の本を書かせた原動力の一つでした。
「選択」というテーマについて、もう少し具体的な話をします。主要なアメリカの大学二年生は、グレアム・アリソンの『決定の本質』というテキストで政治学を学びます。一九六二年のキューバ危機、米ソが核戦争一歩手前までいった、その過程について、政治学的なモデルを使って解明した本です。ソ連(ロシア)と並んで最大の核保有国であるアメリカ国民の一人としては、キューバ危機の歴史的過程を学ぶ必要があるのでしょう。よって、そのための学問モデルもしっかり確立している。日本においても、集団的自衛権解釈が変更された今、日本も通常の軍事同盟が結べる国になったので、大学生が学ぶべき教養の内容も変わっていく必要がありそうです。ただ、『決定の本質』のような本を理解するには、合理的アクターモデルや政府内政治モデルといった、政治学の専門知識も必要となって来ます。ならば、そのような理論の前提知識がなくとも、まずは歴史上に起こった三つの史実を教えることはできるのではないか。過去の三つの「選択」の過程、失敗に帰した選択の過程を、当時の史料を丹念に読むという、歴史学の方法によって学んでおくことはできるのではないか、と考えたのです。
もうひとつ、執筆の背景にある、日本特有の問題についてもお話しておきましょう。大まかな印象ですので、あるいは間違っているかもしれませんが、才能に恵まれた高校生の七割位が理系や医系を志望するようです。その彼ら彼女らの九割は、受験科目として日本史を選択しないのです。文系志望の学生も世界史が必修ですから、世界史選択が多くなる。ですので、八割位の生徒が受験科目の制約から、日本史を通り過ぎてしまう。しかし本来、一九三〇年代の危機は、世界的規模における経済的危機であり、英米ソ日など、列国の角逐する極東の軍事的危機でもありましたから、世界史なのです。けれども教科の壁からくる無関心さから、世界の中心にいた三〇年代の日本の振る舞いを、八割方が知らない。これではさすがにまずいわけです。『決定の本質』の話をしましたが、アメリカの大学ではキューバ危機についてきちんと教えている。つまり、キューバ危機のような問題に直面した時に、いかなる選択肢があったのか、ということを学問的な態度で考える素地を、教養課程で育てるようにしている。
日本は建前上、「平和主義」の国でしたから、そのような責務もなかったし、核戦争を前にして合理的な選択を求められるような能力を研いでおく必要も、これまではなかったのでしょう。しかし、繰り返しになりますが、国民と国家の関係が大きく変わろうとしている今、このままではマズイのではないか。選挙権の年齢が引き下げられる前に、国民投票の投票年齢が「十八歳以上」と、既に決められています。参院選で自公が三分の二を取りましたので、将来的には、憲法改正に関する国民投票も行なわれるかもしれません。国民投票の場合は、一つの条項に絞って問われるでしょう。問題のありかが、正しく反映された選択肢が国民の前に示される訳ではないことが、イギリスのEU離脱をめぐる国民投票の例で実証されてしまった。あり得べき将来に備えるために、過去の三回の選択の失敗をきちんと教えておくことが大切だと思ったわけです。

――加藤さんの御著書では、『模索する1930年代』(山川出版社)、『徴兵制と近代日本』(吉川弘文館)、『戦争の論理』(勁草書房)といった学術書があり、一方で、専門的な内容を含みながらも一般向けに書き下ろされた新書『戦争の日本近現代史』や『満州事変から日中戦争へ』(岩波書店)があります。今回の二冊は、もう少し若い読者を対象に書かれた本となります。語られる歴史に違いはありませんが、初学者向けということもあり、多くの工夫が必要だったのではないでしょうか。
加藤
学術書と中間的な本と、中高生を意識した本と、三つに分けた時、書くのが一番大変なのは、中高生向けの本です。パソコンの梱包を開けて、コンピュータを組み立てて、立ち上げるまでの説明書を書くのと同じような苦労が必要になります。たとえば、日本と中国の関係が悪化していく過程を説明している時、一九一五年の「対華二十一ヵ条要求」が出て来たりする。そのような時、この歴史用語を、全体の流れをストップさせずに説明しなければいけない。トランプのカードゲームのルールを説明する際に、初心者でも戸惑うことなしにゲームに参加できる。それと同じような説明の仕方をしようと意識しました。自分の中で脳内対話をしながら、「この単語は中学生にわかるだろうか」と考えて、なるべくわかりやすく議論を進めていく。それでも落ちる情報があります。そこは複数の編集者の方に読んでもらって、具体的な意見を逐一伝えてもらいました。学術書のように詳細な「巻末註」という形をとる代わりに、ルソーとはどういう人か最初に想像できないで躓かないように、ルソーの戦争論の面白さに辿り着けるように、そこは、画家の牧野伊三夫さんの挿絵などによって、すっと入って行ける工夫がしてあります。

国家が「歴史」を書く時

加藤
 もうひとつの工夫は、ひとつの章の中で、言いたいことを、二つぐらいに絞ったことでしょうか。この本の元になった講義に参加してくださった生徒さんたちは、前回の栄光学園の生徒に勝るとも劣らない優秀な人たちばかりでした。感性が素晴らしい。でも、あまりにたくさんの事柄を取り上げ過ぎては、感動を生みにくい。彼ら彼女らからの疑問も生じにくくなる。ならば最初から二つと決めて、九十分の講義に臨むことにしました。たとえば1章では何を言おうとしたのか。ひとつ目として、昨年八月発表された「内閣総理大臣談話」を詳しく取り上げました。なぜ日本が軍国主義的な権威主義的な政策を採ったのか。英仏などの植民地帝国が、世界不況に際して経済のブロック化を進めた結果、日本経済は大きな打撃を受け、窮地に立たされ、そこでやむなく侵略の道を取ったと。「談話」もまた、受動的なインパクトに重きを置いた説明をしていました。しかし、実際はそうではない。経済の実績から見れば、一九一〇年代から二〇年代前半には、日本の工業製品輸出額は、かなり増大しており、世界規模で広く売れていたわけです。これは満州事変のあと、「満州国」や中国の占領地において資源を安価に手に入れ、独占的な販路を手中にしてからの影響が出る前のことです。日本の対植民地輸出も増えていた。その事実を踏まえれば、英仏などの植民地帝国に締め出されたから軍国主義的な経済体制を取ったという説明は効かない。逆に、日本経済の広域的で自由な力を認めた上で、なぜ植民地をぎゅうぎゅうと締め付け、密接な関係を築いていったのか。日本と朝鮮、日本と台湾の関係が、イギリスにおける植民地との関係と違ったのはなぜか。日本の少なからぬ人は、それを朝鮮・韓国の国民性に引きつけて考えるかもしれません。けれども、そうではない。一九三〇年代において、日本と植民地との関係は極めて密接でした。ここまで「合理的」に、九九パーセントまで無駄なく、本国と植民地との関係を築いた国はない。そこに、日本と朝鮮・韓国との、戦後の関係の困難さの歴史的要因があるのではないでしょうか。通常の植民地帝国とは違う支配の仕方をしたということです。これが1章で言いたかったことのひとつです。
もうひとつ、1章で新しい観点として話しているのは何か。国家が「歴史」を書く時とはどういう時か、ということです。安倍談話に対しては、マスコミや識者からさまざまな意見が出されました。ただ、この戦後七十年談話について、歴史家として私が注目したのは次の点でした。この談話は、国家が書いた「歴史」の一つだという点です。安倍内閣は、戦後長らく維持して来た集団的自衛権に関する解釈を変えました。これは憲法九条を解釈改憲して、まさに国家と国民の関係を変えるものでした。ルソーがいうように、戦争は、相手国が重視する基本的な社会秩序=憲法に手を突っ込んで書き換えることです。日本国憲法は、第二次世界大戦で連合国が日本を敗北させた結果、生まれたものです。その一部を実質的に変えた内閣であれば、論理必然的に、世界に対して、説明を行なう必要が生ずる。そのような時に歴史は書かれます。たとえば、七世紀、白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗北した日本は、唐に対して遣唐使を派遣しますが、そこでは倭国ではなく日本を名乗ります。また、歴史書である日本書紀も編纂しますが、これは唐に敗北した日本が、唐に向けて、新たな国家の証として歴史を書いてみせたという構図だと思います。古代でも、近代でも、国家というものは、対外的な緊張関係のもとで自覚を深めるという点で構造は同じです。このようなことを、第1章では論じました。

――他の章についてはいかがですか。
加藤
面白いとおっしゃってくださる方が多かった第3章に関して、お話をします。三国軍事同盟というのは、何のために結ばれたのか。ドイツが軍事的に強い国だから、そこに日本も付いていこうと考えたからではない。ひと言でいえば、ドイツを牽制するための同盟だったということです。日本側は、既にドイツの圧勝で第二次世界大戦が終結するという、「戦後」を夢想していた。そうであれば、ドイツに敗北したフランスやオランダが東南アジアに保有していた植民地の行方が問題となりますね。それをごっそりドイツが押さえるのを日本は阻止したかった。その結果が三国同盟でした。このような見方は、学術的には多くの先学によって説かれてきたものです。そして、以上のようなドイツ牽制のための同盟方針を決定していたのは、映画『シン・ゴジラ』に登場する官僚たちではありませんが、四十歳前後の中堅官僚だった。二点目。先にも述べましたが、二〇一四年七月の閣議決定によって、集団的自衛権の行使が可能になりました。日本は、普通の軍事同盟を結べる国になったので、軍事同盟の本質について、過去の例から教えておこうということです。軍事同盟には「仮想敵国」「援助義務」「勢力圏」、の三要素が必須となります。今後、日本が軍事同盟を他国と結んでいく時、最大の失敗の先例として、三国同盟締結までの歴史的過程を見ておきたかった。松岡洋右外相の想定の何が間違っており、また同盟に反対する勢力はなぜ反対し続けられなかったのかなど、同盟を普通に結べる国になった国を、将来担わなければならない若い人たちに知っておいて欲しいと思いました。

――関連した話ですが、日本が三国同盟を締結した理由については、当時の世界状況の中、「日本もバスに乗り遅れてしまってはいけない」という意識が働いたと説明されるケースがよく見られます。その意見についても、強く反論されています。 

政府・軍・国民

加藤
 まったくの間違いとまでは言えませんけれども、やはり史料をしっかり見ていくと、そうではないことがわかります。一九四〇年の夏までに、ドイツはベルギー、オランダなどへ侵攻し、パリへも無血入城する。ヨーロッパでドイツと戦っている国はイギリスのみとなってしまったわけですね。そのドイツの強さに幻惑されて日本も尻馬に乗ろうとしたと考えてしまうと、日本の軍事当局者や外務当局者の戦略的な観点への分析が落ちてしまう。彼らも当然、自国に石油がないのは自覚している。一方で、南方に進出すれば、米英両国を足した海軍力と石油資源を相手に戦わなければならないことも十分承知している。そのような不利を忍んでも、なぜ三国同盟を結ぼうとしたのか、その点について陸海軍や外務当局者の実際の言葉を史料から読み取り、明らかにしたかった。アリソンが「政府内政治モデル」という言葉で説明しようとしたことを、難しい言葉を使わず、若い人たちに向けて説明しようと意識しました。
日本の軍人たちは、組織の利害だけを考えて、国民のことも、総力戦における英米の軍事力のすごさも一切顧みずに、無謀な戦争に突入した。そんな歴史観がよく見受けられますよね。日本人は「井の中の蛙であった」と批判的に描くのはとても簡単なことなんです。それでは、本当に失敗した経緯を再現できたことになりません。再現できなければ、もう一回必ず失敗することになります。そこに気を付けながら、ここに出て来る軍人たちや政府指導者については、極力理性的に書こうと努めました。
それでは当時、国民の側はどうだったのか。一九四〇年代というのは、現代と地続きの大衆社会が成立していた時代です。ラジオは高い普及率を示し、新聞も数百万部の単位で発行されていました。国民に情報を届けるシステムは十分過ぎるほどにありました。しかし、その点にこそ問題が生じます。たとえばリットン報告書を報ずる新聞は、「支那側狂喜」、などといった煽動的な見出しをつける。リットン報告書は中国側の主張に肩を持った書きぶりではなかった。しかし、あたかも中国側の主張を全面的に認めたかのような書き方をして報じてしまう。それに国民も乗せられる。近衛文麿首相が日米交渉をしていた時でもそうです。せっかく近衛が大統領との直接交渉を切り出したのに、「ユダヤ的金権幕府」というレッテルを貼り、近衛内閣を排撃する国家主義団体が出て来る。そうなると国民も、「近衛は売国的な交渉をアメリカと行おうとしている」などと非難するようになる。ネガティブな言葉でレッテル貼りをして、追い込んでいく。これは現代でも容易に起こりうるのではないでしょうか。たとえば、中国や韓国と何か外交交渉を行なおうとする時、相手側に有利に見える態度を政府が取ったが最後、「売国的」というレッテル貼りがなされがちですね。国民を存亡の危機に陥れるようなことを国家が行なわないように、その点だけに留意して、現在起こりつつある事象を、過去の歴史を見るようなつもりで大局的に見る、これが大切です。誤った選択肢を選んでしまった歴史が、日本の過去にあった。過去を正確に学んでおけば、成熟した近代社会において、今後起きうる政治的な対立の渦中においても生きていく術が身につくと思います。

――中高生に歴史を教えることによって、逆に気づかされたことはありましたか。
加藤
講義を通じて、面白いなと思ったことがあります。我々大人は、大学や社会で多くのことを学んで来ていますから、自分の判断を支える参照ファイルのようなものを十個ぐらい持っていますよね。ある判断を下す時に、一番苦しまずに選択できて、摩擦の起きない形の選択とは何かを考え、ファイルから答えを探し出して来る。でも生徒たちが、たとえば日米交渉について考える時、教科書で学んだことがひとつだけ頭の中に入っています。加えて、私が差し出した日米交渉に関する史料・情報が目の前にある。その時に、二つがぶつかり合うこともあって、高校生たちは、一所懸命、自らの頭で考えようとするんですね。たった二つだけのファイルを武器として、矛盾なく答えを導き出すためにはどうしたらいいか。彼ら彼女らは柔らかい頭で考えはじめる。そして、わからないことに関しては、質問を投げかけて来ます。「(安倍談話に)なぜ日清戦争について書かれていないのか」とか、「相手国の憲法を書き換えるのが戦争である」というルソーの言葉に対して、「現在の中東で起きている戦争でもそうでしょうか」とか、本当にいい質問をしてくれました。生徒らが発した、そのような、いわば、小文字の「質問」を、大文字の「質問」に変えて、その質問に答えるのが、私のひとつの仕事だったと思います。どういうことかといえば、生徒の質問に、萌芽的に含まれていた質問の本来の意味を、私自身の言葉によって補完し、洗練させ、成熟させた上で、本来質問したかった問題を探り当て、その探り当てた地点に向けて、今度はその質問に答えるわけです。その生徒が、アリソンの『決定の本質』を学んでいたとしたら、このような術語を用いて問うている問題群なのだな、と考えて、そこに向けて答える。高校生との授業空間の醍醐味は、そこにあります。二つだけしか武器がない時に、それでも出て来る魂の叫びのような質問。それを学問体系から沿った形に転成させて、大文字の質問に変えて、生徒たちに返していく。彼らはその問いを、さらに考える。講義が「面白かった」と言ってくれた生徒は、その点に惹かれたのではないでしょうか。

長いものさしで歴史を見る

――史料をどう読み解いていくか、何が史料から読み取れるかということが、二冊の本を通じて、加藤さんが繰り返し訴えられていることだと思います。微に入り細に入り、ひとつの史料を読んでいく。そして別の史料とも照らし合わせて、当時の状況に想像をめぐらしていく。今加藤さんがいわれましたが、生徒たちは、ある時は迷いながらも、本当に自由な読みをしていきます。そこがとても面白い。実際に接していて、他にどのようなことを感じられましたか。
加藤
生徒さんは、私が気付かないことまで読み込んで来ます。目線のフォーカスが年齢によって違うことを感じました。彼らには「長いものさしで歴史を見るように」ということを、常々言いました。彼らは、たとえば人の顔を、全体のバランスで見るのではなく、赤ちゃんが母親の顔のホクロに手を伸ばしたりするように、ピンポイントで歴史を見ていく。まだ縮尺がうまく取れていないんですね。その生乾きの縮尺しか持たない生徒に、このように調整していけば、ちゃんと史料を読めるようになることを教えたかった。それが講義のひとつの目的でもありました。ひとつひとつの事件が起こった時点で残された記録を、正確に見ていくことで、様々な判断ができるようになっていく。たとえば日米開戦に際しても、日本は悪くなかったのではないか、悪かったのはアメリカだと、生徒が考えたとします。ならば、そのような自分の立論を、どのような史料や論理で裏付けられるのか。どのような方向に頭を動かせば、自らの立論に沿った論証ができるか、講義は、それを教えるプロセスだったと思います。

――関連した質問になりますが、史料に関して、一次史料以外に、多くの文献が引用されています。帯に「日本近現代史の最前線」という惹句がありますが、最新の歴史学の成果がふんだんに織り込まれている。そこを若い人たちにも伝えていこうという思いはあったのでしょうか。
加藤
たとえば城郭や武将などのテーマ性が豊かな中世史であれば、大河ドラマなどを見ていても、学術的な最先端の研究成果が、脚本にかなりフィードバックされて作られていることに気づきます。しかし近代は大河ドラマになりませんので難しい。ですから、意識して、政治的人物個人の魅力が史料から伝わるようにしました。NHKのBSでは『昭和の選択』などといった番組も作られるようになり、松岡洋右にスポットを当て、史料に基づき、国際連盟脱退過程の再検証も行なわれるようになりました。

――松岡さんの話が出て来たのでうかがいます。これまであった強面のイメージとは違い、かなり繊細かつ理性的な方で、熟慮に熟慮を重ねる外交官だったことがわかります。それは多くの軍人についても同様です。戦争映画などの影響もありますが、軍人たちが暴走したがために戦争に至ったという印象が、これまで強かったんですが、むしろ未来を見据えて、戦争回避の道を選択するよう求めた人も少なからずいた。『戦争まで』を拝読していると、そのことがよくわかります。
加藤
第二次世界大戦では、全世界で二千万人、アジアでは一千万人が亡くなったといいます。日本人だけでも三一〇万人が亡くなっている。その犠牲の多さを考えると、ある政治的個人や軍人、官僚などを理性的に描くだけで、弁明的だと批判されることもあります。「日本を誤った方向に導いた人間を、なぜ擁護するのか」と。けれども、日米交渉にあたった野村吉三郎大使にしろ、相手側のハル国務長官にしろ、最初から「開戦ありき」ではないですね。その交渉過程の厚みを、史料から描きたかった。それを知っておけば、今を生きる若い人たちが、同じような難しい関係・選択肢を前にした時に、考える余裕が生まれて来ると思うんですね。私が、はじめとおわりにしつこく書いたのは、そのことです。過去にあった出来事を正確に描くことで、未来を創造するための手助けをする。それが歴史家の仕事だと思っています。そして目の前に難しい選択を迫られた時、過去の人たちが何を考え、悩み、決断に至ったのか。いくつかのモデルを学んでおけば、それを参考にして考えることができる。別に「戦争」でなくてもいいのです。原発や基地に対する態度、そのような究極の問題を、決定しなければならなくなった時、あるいは憲法改正の国民投票がなされる時、何を基準に決断をくだすのか。そのような問題を考える際にも、きっと役に立つと思います。

2章でトヴェルスキーの実験について、詳しく説明していますよね。スタンフォード大学の学生向けに行なった、「選択」をめぐる実験です。要は、同じ問題でも、問い方が違えば、結果はまったく異なるものになる。過半数が逆転する程の結果の差が生じてしまう、衝撃の実験結果です。日本の問題に照らしていえば、緊急事態への対処法が現憲法では不十分だから憲法改正が必要、との主張があります(自民党の改憲案)。そのような場合、「日本は自然災害が多発する国であるから、緊急事態に対処するため、憲法改正が必要だ」、と問いかけるのと、「緊急事態に対処するため、行政の府である内閣が、立法の府である国会の定める法律と同一の効力を有する政令を出せるよう憲法改正が必要だ」、と問いかけるのとでは、賛否が大きく異なるのではないでしょうか。自然災害への対処という建前なら、緊急事態条項が必要だと考える方は多いのではないか。それに対して、立法権の制限という側面が前面に出される後者の問い方では、誰もが警戒的になるのは当然でしょう。問い方で、答えは大きく違ってくる。このような怖さを、若い人たちには、しっかりと伝えておきたかったわけです。おそらく現実にあっては、トヴェルスキーが行なった実験よりも、さらに複雑怪奇な問いの選択肢が提示されると思います。国家は、いざとなれば周到にメディア戦略を考え、国民を誘導し、自分たちの望む「選択」を選ぶように仕向けるのは必定です。

日本型「円錐台モデル」

―第4章についておうかがいします。日米交渉の舞台裏で何が起こっていたのか。政治家・官僚・軍人たちのあいだで、どのような綱引きがあったのかを、詳細に描いています。ひとつの政策が、どのような形で決定されていくのか。別の側面から見ると、「組織論」としても読むことができます。ここも現在の日本が抱える問題を考える上でも、とても参考になるのではないでしょうか。
加藤
日本型の決定の仕方に対して、政治学では「円錐台モデル」という言い方があります。「円錐」であればトップがあるけれど、「円錐台」は上の部分がない。中間層が情報を集めて政策立案し、担当大臣に伝えて、それを閣議などでいわせる。そこにトップの意志はありません。戦前の軍の組織のあり方も同じです。大佐や中佐が持って来た案を、海軍の軍令部総長が大本営で読み上げ、政府連絡会でも通ってしまう。それは外務省や内務省にしても同じことです。中堅の課長級が決定したことが、そのまま政策に乗る。自分自身で考え、それを交渉の場に持って来る大臣であれば、相手と折衝もできる。三つのうちの二つを生かして、ひとつは相手に合わせて捨てるとか、そういう判断も可能です。しかし、三つとも持たされたものだとしたら、すべてを通そうとする。結果的には、会議の中で不毛な話し合いしかできない。天皇すら望んでいないことが、通ってしまったりする。今回の本では、日本型の組織モデルについて、絵を使ったりして、わかりやすく書きました。この部分を読んで身につまされる方は多いと思いますね。なぜ日本は失敗するのか。決定者、最後に責任を取る人間がいないからです。それは取り上げた三つの交渉全てに共通していることであり、現在の日本も変わりはないのでは。

――今天皇の話が出ましたが、今回の本では、昭和天皇の苦悩も描かれていて、どうにかして戦争への道を回避しようと努力する姿が垣間見られます。その辺りは、少し踏み込んで書かれている印象を受けました。
加藤
ひとつには、『昭和天皇実録』(東京書籍)が刊行されたことが大きいですね。あの史料が出たことによって、かなりのことが明らかにされました。日本の場合、軍部、天皇、国民、三者のうち、どこに責任を帰すかで、それぞれの時代の学界潮流があった。軍部が悪いというのがひとつ。天皇・天皇制国家が悪いというのがもうひとつ。最近では、先ほども少し申し上げましたが、国民も実情をかなり知らされていて、国民自体にも道義的責任はあったといわれるようになりました。国民は国の行なっていることを知ったうえで、戦争を支持したという見方が、最近の研究の傾向だと思います。
――『昭和天皇実録』のみならず、『ブラックアース』など、ごく最近刊行された本まで紹介されています。またルソーや吉野作造にはじまり、内外の古典も数多く引用されていて、「読書案内」としても読める本ではないでしょうか。たとえば加藤さんが取り上げた書籍の中から十冊を読めば、歴史的視野が格段に広がる。高校生や大学生にとっても、最良の読書案内となるのではないでしょうか。
加藤
そういっていただけると、嬉しいですね。アメリカの例を何度も出して申し訳ないのですけれども、アメリカの教養過程の講義、もしくはそこで使われるテキストというのは、いろいろな学者が到達した学問的な蓄積を広く紹介しつつ、自らの議論を展開するようなものが多いように感じます。それに対して、日本の大学では、良くも悪しくも専門的です。「特殊講義」という科目名がありますが、自らの専門領域の研究内容を講義する。講義の内容自体は全く斬新で創造的なものとなりますが、逆にいうと非常に狭い話になる。このような狭さはよくないのではないかと私は考えてきました。天文学でも生物学でも、大学の学問を広くかつ最先端のレベルで興味深く社会に語れる先生方がたくさんいるわけですね。彼ら彼女らは、巨額な研究資金を獲得するため、社会へ説明する動機づけが非常にある。歴史学の場合、資金はあまり必要ありませんが、国民と国家の安全ということでは、社会へ説明する、高い動機づけがあります。
――補足しておうかがいします。満州事変から第二次世界大戦敗戦まで、歴史を振り返って読んでいくと、やはり暗い気持ちにならざるを得ません。ただ、終章の最後に「大東亜戦争調査会」について詳しく論じられています。その第一回総会における、幣原喜重郎総理の発言を引用されており、そこに加藤さんは「戦争への反省を踏まえた平和主義の精神」を読み取られています。七十年前に既にそういう考えを持つ人がいた。そのことに希望を感じつつ読み終えることできました。
加藤
「希望」を入れることについては、編集者さんからのアドバイスもありました。1章と終章は、特にそれを意識しつつ書いたもので、最後まで内容と構成については熟考しました。幣原がGHQ側に「戦争放棄」に関する提案をしたという説に関しては、この夏、東京新聞のスクープでも報じられました。もちろん諸説ありますけれども、幣原の言葉の使い方の深みから考えると、GHQの憲法条項が出て来る前に、幣原は平和主義が必要だと考えていた。これは日本に軍事力を持たせないというアメリカのスタンスとは違う方向から出て来た考えだったと思います。

戦争に学ぶ中国

――将来的な展望について一点おうかがいします。過去に照らし合わせて、今後、日本あるいは世界はどのような道を進んでいくとお考えになりますか。
加藤
ひとつ言えるのは、歴史は繰り返さないということ、「いつか来た道」といった脅かしではダメだということです。そのうえでのお話しとなります。国家の連合と国家の連合のあいだでの、総力戦という形の戦争はもう起こらないのではないか。第二次世界大戦は、いろいろな意味で、第一次世界大戦の「復讐戦/復習戦」でした。リベンジの意味と、教訓を復習するという意味があったわけです。まず「復習」について。第一次大戦時、ドイツはイギリスから経済封鎖をされました。そして大きな海戦もあったけれども、ほとんどは塹壕戦で、まったく状況は動かない中で何万人もの兵士が死んでいく。いわば防御が有効な手段となった戦争であり、食糧や資源に関する攻撃が重視される戦争だった。あの時ドイツは、七十万人ぐらい餓死したといわれています。だからこそナチスドイツは、第二次大戦時、国民への食糧配給に余念がなかった。食糧供給を誤れば、国民の支持を失い敗北すると認識していました。一方でリベンジの観点からいえば、第一次大戦後、ドイツは「ヴェルサイユ・ワシントン体制」によって、ある秩序を押し付けられた。日本も戦勝国ながら、ワシントン会議で主力艦の数を抑えられた。両国にはリベンジの気運が生じます。そのような歴史を踏まえ、今後を考えるとどうなるのか。米ソ中、三つの大国は戦勝国ですから復讐する必要はない。復習の面ではどうか。ひとつは、攻撃兵器や資源に関して不利な国家は、どんな先制攻撃を仕掛けても負ける。この教訓を一番よく学んでいるのは、中国だと思います。ですから、自ら好まざる時に開戦を強いられる道を選択することはないでしょう。もうひとつ、中国が警戒していると思われるのは、第二次大戦末期におけるソ連のような勝ち方をする国の存在でしょう。ドイツの正面を受けて立ったのはソ連の大変な貢献でしたが、アジアに関する戦争では、最後の最後に日本に侵攻することで、中国国民政府が戦争を賭して日本から取り戻すはずの旅順・大連を略取しようとする態度も見せていました。このような対応をする国の存在は、悩ましいのではないか。あり得べき戦争に際して、中国はどうすべきか。第二次大戦に学ぶとなれば、今の中国は、ふたつの陣営に分かれるような戦争状態が万が一に起こった時、以前のアメリカの役割を果たさせられる可能性が高い国となりそうです。経済力、人口、資源から見てそうなる。ただ、それは仕方ないにしても、最後に一番おいしいところを略取されてはかなわない。中国は、ロシアに対しては、実のところ相当警戒しているはずです。日本と中国との関係については、本の中で、嫌というほど書きましたので、ここでは繰り返しません。ただ、中国側が、国家に対する国民の求心力に訴えるためだけに抗日カードを切ったり、日本側が根拠のない中国共産党一党支配崩壊願望を抱いたりすることは、アジアの安定、ひいては地球規模の安定にとってマイナスですので、止めるべきですね。リットン報告書に対して日本側新聞が見出しに踊らせた、「支那側狂喜」といったリードが、二度といかなる新聞にも踊らないよう、留意したいものです。

――最後に一点。『戦争まで』は、「二〇一六年七月 参議院議員結果の報を聞きながら」という印象的な言葉で締めくくられています。ここに込められた思いをお聞かせいただけますか。
加藤
与党が衆参両院で三分の二議席を確保しましたので、国会では急速に様々な法案が通っていくはずです。そのことを覚悟しまして、将来的に二〇一六年を振り返って見た時どうか。定点観測といいますか、私の認識の、いわば三角点というものがここだという意味です。今後、憲法改正を含め、いかなる議論が進められていくとしても、いつかあの七月を歴史的に振り返る日が来るだろうと、そのような予感もあって、最後、あの言葉を置くことにしました。
この記事の中でご紹介した本
戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗/朝日出版社
戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗
著 者:加藤 陽子
出版社:朝日出版社
以下のオンライン書店でご購入できます
それでも、日本人は「戦争」を選んだ/新潮社
それでも、日本人は「戦争」を選んだ
著 者:加藤 陽子
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
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