対談=斉藤渡×前田浩/牧原依里 <手話を排除する歴史との苦闘> 書籍『手話の歴史』発売と、映画『ヴァンサンへの手紙』公開を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年10月17日

対談=斉藤渡×前田浩/牧原依里
<手話を排除する歴史との苦闘>
書籍『手話の歴史』発売と、映画『ヴァンサンへの手紙』公開を機に

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第3回
「ろう者らしく生きる」ために必要なこと

前回に引き続き、2018年6月に刊行された、フランスに生まれアメリカに渡ったろう者教師ローラン・クレールの語り形式による大河物語のようなノンフィクション『手話の歴史 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで』(ハーラン・レイン著:築地書館)。この翻訳を手がけたのが、斉藤渡さんで、監修・解説を担当したのが前田浩さんだ。
この2人に、10月13日よりアップリンク渋谷ほか全国で順次公開されるドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』(レティシア・カートン監督)をアップリンクと共同で配給する「聾の鳥プロダクション」の牧原依里さんに、お話を聞いて(見て/読んで)いただいた。
(フリーライター:小林 蓮実)


左から、ドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』(レティシア・カートン監督)をアップリンクと共同で配給する「聾の鳥プロダクション」の牧原依里氏、ノンフィクション『手話の歴史 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで』(ハーラン・レイン著:築地書館)翻訳者・斉藤渡氏、監修・解説者・前田浩氏。

斉藤 
 映画では、ろう者のステファヌが手話を教育する際、単語だけを教えるのでなく、目線の話をしたり、身体表現としての視覚言語の大切さを伝えたりしていましたね。
牧原 
 フランスの手話は図像(対応関係に基づいて意味内容にかかわっているイメージ)性が強いのが特徴。目でみてわかるというのが魅力です。さて、今までの話に出てきたように、ろう者と社会の間でさまざまな問題が起こっていますが、この問題に聴者にも関心をもってもらうにはどうしたらよいのでしょう。
斉藤 
 難しいですね。地道に努力し、具体的な場所で、その事情に合わせてやっていくしかありません。私は聴者とろう者双方の話を聞き、互いをつなぐという支援が仕事です。よい例があれば、それを広げていくということかと。私は大学3年生で初めて聞こえない人や聞こえにくい人と出会い、その人たちや聞こえるほかの仲間と一緒に、どうしたらお互いが通じ合えるのかを考えることから始めました。手話の使用についても悪戦苦闘しましたが、お互いがつながるために必要なものだったのです。また、京都の左京区の手話サークルに通うなかで前田さんとも出会いました。これらの経験が人とのつながりを考える基本となり、聞こえない人とのかかわりと自分とが切り離せないものになったのです。
牧原 
 なるほど。斉藤さんの言葉と、映画の主演でもある聴者のレティシア・カートン監督の「自分にとっての身近な人をテーマに撮影する」という言葉には共通するものを感じます。そしてやはり、手話に加えて「電話リレーサービス」などが普及すれば、生活はスムーズになり、聴者との交流も拡大していくのかもしれません。そこで前田さんは、日本のろうコミュニティの未来は、どのように変わっていくとお考えでしょうか。
前田 
 1980年代〜90年代前半、法改正の取り組みや手話通訳の制度化という差し迫った運動課題があり、手話の国民的認知が広がっていきます。地域の小中学校で手話の歌が歌われたり、さまざまな場面に手話通訳が派遣・配置されたりしていったのです。しかし、真の意味でろう者の生活のクオリティが飛躍的に向上していったか、ろう者自身の言語意識が高まっているかを考えるとき、福祉の文脈をはじめ、ろう者がどこでも伸びやかに生きられる土壌が必要です。『ヴァンサンへの手紙』にもありましたが、手話を用いる言語的マイノリティとしてだけでなく、日本語を用いる生活者としてのろう者も理解してほしいということです。
医療モデルの観点から現在進行中の大きな問題は、人工内耳の装用者が急速に増えていること。以前、耳鼻科の高名な先生が、「日本の耳鼻科は、アメリカの外科医学の『有効と判断すれば外科的手術に躊躇はしない』という考え方の流れの影響を受けている部分がある」と言っていました。人工内耳に関しては、生活上の制限や身体に残る手術痕などが指摘されてきましたが、子どもに人工内耳のオペを受ける判断基準はなく、自己決定権が十分でない状況で、保護者に決断が迫られるわけです。大学医学部の研修カリキュラムで、さまざまな障害者から直に学ぶ研修を入れていく必要があると思います。障害者当事者と数日間、共同の作業や取り組みをおこなうプログラムなど、企画はいくらでも可能です。単に理解してほしいと訴えるのではなく、さまざまな分野の方々に「一緒に勉強しませんか」と呼びかけていくスタンスが大切ですね。
斉藤 
 私が考えているのは、「与えることは奪うこと」について、考えなければならないということです。育児や教育の場で何かを与えることは、本人がそれ以外のことを受け取る機会を奪うことになります。また、手話を学ぶ機会や方法は増えていますが、手話通訳者が育成されているとは言えません。学ぶ人は、多種のノウハウが与えられることで、自ら挑む経験を奪われているのではないか。このような親や教師の限界を自覚していないと、マジョリティは独善的になります。
牧原 
 聴者がろう者を治そうとすることもそうですね。悪気ないその「善意」をろう者に与えることで、ろう者は「ろう者らしく生きることを奪われる」という解釈ができるようなエピソードが、『手話の歴史』にも頻繁に登場していました。私自身、将来は口話が主流となるろう者がさらに増え、手話を用いる人が「遺産」となってしまうのではないかという危機感を抱いています。そんななか、『手話の歴史』や『ヴァンサンへの手紙』は、ろう者が生きてきた歴史を受け継いでいく役割を背負っている大切な作品と言えると思います。本日は、ありがとうございました。(おわり)
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この記事の中でご紹介した本
手話の歴史 上  ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで /築地書館
手話の歴史 上 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで
著 者:ハーラン・レイン
翻訳者:前田 浩
出版社:築地書館
以下のオンライン書店でご購入できます
手話の歴史 下  ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで/築地書館
手話の歴史 下 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで
著 者:ハーラン・レイン
翻訳者:前田 浩
出版社:築地書館
以下のオンライン書店でご購入できます
「手話の歴史 下 ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで」出版社のホームページはこちら
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