静かに、ねぇ、静かに 書評|本谷 有希子(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月20日 / 新聞掲載日:2018年10月19日(第3261号)

読者に終わりなき思考を要求する確かな傑作

静かに、ねぇ、静かに
著 者:本谷 有希子
出版社:講談社
このエントリーをはてなブックマークに追加
本書におさめられている三つの作品は、すべて静かな悪意に彩られている。

「奥さん、犬は大丈夫だよね?」は、ある夫婦が別の夫婦とともにキャンピングカーに乗って旅行をする物語だ。主人公である「私」は極度のネット通販依存症であり、自分の旦那から徹底的に止めるようにと言われても自己を制御できない。そんな彼女は、ともに旅行しているメンバーがなんらかの危機に瀕した時ですら、その身を案じるのではなく、新しい買い物のきっかけができたというように考えてしまう。その病的な在り様を淡々と描く文体は非常に魅力的であり、同時に恐ろしいものだ。

「でぶのハッピーバースデー」は、突然二人して職を失った夫婦の話であり、とりわけ夫は、自分たちに「いろんなことを諦めてきた人間」という印が刻み込まれていると考えている。彼は妻であるでぶの「交通事故を起こしたみたい」にぐちゃぐちゃの歯を矯正しようとするが、そこには普通の生活を取り戻したいという欲望と、何をやっても印からは逃れられないという諦念が同居しているように映る。そもそも、妻は何故でぶと呼ばれているのか。そのことに対する一切の言及がない点も、本作における夫婦関係の歪さをそっと強調している。

これら二つの作品も十分な良作だが、本書において真に傑作として扱うべきは初めに収録されている「本当の旅」だ。本作は「僕」ことハネケンと、その友人であるづっちんとヤマコの三人が、マレーシアのクアラルンプールへ旅する場面を切り取ったものである。その旅は、極端なほどに現代的だ。彼ら三人は日本を経つ前からスマホで写真を撮ってそれをグループラインで共有し、貧乏旅行こそが正しいと考え、金のある人間の旅行を「可哀想」なものとして断じる。誰かの発言に対し否定の言葉を一切はさむことなく、「わかる」と連呼して共感をアピールする彼らの姿は、自分たちの世界に陶酔し他者を排除する不愉快なものとして描かれる。

言い換えれば、これはSNS時代における「意識高い系」への批判であり、内部しか存在しない共同体に安住する人間たちへのアイロニーである。彼らは自分たちを特別な人間と捉え、「普通」の人間を見下すことで、狭い領域で互いの承認欲求を満たしている。しかし困ったことに、私たちはこうした「意識高い系」を明確に否定するロジックを構築できない。

現実にフェイスブックやインスタグラムで料理や家族の写真を投稿し、ささやかな日常に「いいね!」のサインを求める人たちを、倫理的に否定することは可能だろうか? それを否定するのは、単に異なる文化の在り様にケチをつけるだけの狭量さしか持たないのではないか? そのような疑問が、本作を読み進めるにつれて湧き上がってくる。

この小説は、ガイド本の忠告を無視して黄色いタクシーに乗り込んだ三人が、運転手の男に山中へ連れていかれ、悲劇的な結末に至ることを暗示して終わる。彼らは自分たちの置かれた危機的状況に最後まで向き合わず、自分たちを追いこむ男たちなどいないかのように、スマホで自撮りを行う。その様は極めて滑稽であり、作品を通して「意識高い系」として振る舞ってきた彼らに迫る不穏さを見るのは読み手として痛快でもある。

しかし、それを痛快と感じた瞬間、読者である我々は、まぎれもなく違法性を伴った暴力の側に加担している。「意識高い系」の行動に苛立ちを覚える中で、暴力を行使する側に読者を同調させてしまうという構造にこそ、この小説の文学的企ての本質が凝縮されていると言えよう。

正当な悪意とは何か、読者はどこまで正義の側に立てるのか。そのような疑問を常時突きつけてくるという意味で、本書は確かな傑作であり、読者に終わりなき思考を要求するものである。
この記事の中でご紹介した本
静かに、ねぇ、静かに/講談社
静かに、ねぇ、静かに
著 者:本谷 有希子
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
「静かに、ねぇ、静かに」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
坂上 秋成 氏の関連記事
本谷 有希子 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学 > 異常な人々関連記事
異常な人々の関連記事をもっと見る >