ルーム・オブ・ワンダー 書評|ジュリアン・サンドレル(NHK出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月20日 / 新聞掲載日:2018年10月19日(第3261号)

新たな闘いを始めるシングルマザー 
昏睡状態の息子を目覚めさせるための冒険

ルーム・オブ・ワンダー
著 者:ジュリアン・サンドレル
出版社:NHK出版
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テルマ、半端ない。本書を読みながら、何度そうつぶやいただろう。

テルマは四十歳手前のシングルマザーだ。すらりとした体つきとはっきりした顔立ち、豊かな褐色の髪をして、自分の魅力を自分でよく知っている。勤めている化粧品会社は「女性の社会的な活躍を支援」すると謳うが、「執行役員に占める女性の割合が滑稽なほど低い」。そうした中で「上級ポストを狙っている」から、仕事中に「母親の片鱗を示すこと」はありえない。十三年前に一度だけ真実の関係をもった男性の子を身ごもったのだが、「かたちだけの家庭よりも片割れのままの家庭を選」び、妊娠したことを知らせずに別れている。そうして生まれた息子のルイは十二歳になって、体つきが少年から青年のものへと変わり、ひげも生えだしている。テルマはルイを自慢に思っているが、そのことを本人に伝えてはいない。

ある冬の朝、テルマはなかなか起きようとしないルイに腹を立てていた。どうにか支度させ、一緒に家を出て駅に向かう途中で、上司から電話がかかってくる。ちょうどルイが何か話しかけてこようとしていたのだが、それを無視して、テルマはその電話に出る。ルイは、「いつだって仕事のことしか頭にないんだから」と毒づいてスケートボードで坂道を下っていき、勢いあまってコントロールを失ってしまう。そこにトラックが現れる。十時三十二分、時が止まる。病院でテルマは、ルイが昏睡状態にあって目覚める望みは少なく、一か月様子を見て変化がなければ延命装置を外すと医師から告げられる。

テルマは闘う女だ。セクハラもパワハラも単なるジョークとしか考えない上司、干渉してくる母親、反発する息子と闘ってきた。その闘いぶりは実に見事だ。読んでいて拍手喝采したくなる。しかし、生死の境にあるルイを前にして、テルマは自分のことしか考えてこなかった己を責める。それは、日々の闘いに追われるあまり、何のために闘っているのかを見失っていたということなのかもしれない。どうだろう。誰しも胸に手を当てれば、思い当たる節があるのではないだろうか。

だが、悲嘆に暮れてばかりいるテルマではない。ルイがいつかやりたいと思っていた事を記した手帖を見つけると、そこに書かれている事を全て自分が実行し、その様子を録画して息子に見せつけようと決意する。そうすることで、意識のない息子が何かを感じとり、ずるいと思って起き上がるに違いないと考えるのだ。

そこから、テルマの新たな闘いが始まる。十二歳の男子の願望が何かは読んでのお楽しみだが、はっきり言って意義や生産性はない。だがそこに、新たな文化や人との出会いがある。知らなかった息子の、そして自分自身の一面を知ることにも繋がっていく。息子から与えられた課題を一つひとつクリアしていくテルマが、会社で闘っている時よりも輝いていることがひしひしと伝わってくる。人生を楽しむってこういうことだよと、ルイが教えてくれているようにも思える。

著者、ジュリアン・サンドレルは三十八歳のフランス人で、作中には初めて耳にするような土地、ゲーム、スポーツ、ミュージシャンなどが数々登場する。そうした事柄や人名を調べて感心したり、フランスの文化や習慣に驚いたりできるのも本書の面白さだろう。さあ、私たちもテルマと共に、「不思議の部屋(ルーム・オブ・ワンダー)」に眠るルイを目覚めさせるために闘おうではないか。(高橋啓訳)
この記事の中でご紹介した本
ルーム・オブ・ワンダー/NHK出版
ルーム・オブ・ワンダー
著 者:ジュリアン・サンドレル
出版社:NHK出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「ルーム・オブ・ワンダー」出版社のホームページはこちら
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