連 載 世界におけるヌーヴェルヴァーグ ジャン・ドゥーシェ氏に聞く78|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2018年10月23日 / 新聞掲載日:2018年10月19日(第3261号)

連 載 世界におけるヌーヴェルヴァーグ ジャン・ドゥーシェ氏に聞く78

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山形国際ドキュメンタリー映画祭で談笑するドゥーシェ
JD 
 ヴィンセント・ミネリのことも覚えています。彼と知り合ったのは、60年代初頭です。ヌーヴェルヴァーグが成功を収め、映画の世界の中に疑いが生まれていた頃です。40年近くに渡り映画の世界を主導してきたハリウッド神話が崩れ、そこで働く人々が知らずとも不安を覚えていた時代です。ミネリの目には、私が彼の映画をよく理解しているように映ったようで、他の批評家には語らなかったことまで語ってくれました。マンキウィッツとも、似たような形で知り合っています。彼らは、どこに向かっていけばいいのかわからずに、自分たちの映画を考察していました。ヌーヴェルヴァーグによって、ハリウッド映画は商業的にうまくいかなくなりました。それまでのハリウッド映画を支えていたスタジオなどの制度が機能しなくなっていきます。彼らの思いもよらないところから、システムが壊されたのです。日本の映画監督たちも似たような窮地に追い込まれたはずです。60年代を考えてみると、フランスのヌーヴェルヴァーグがあり、それに続くようにして世界中のヌーヴェルヴァーグありました。ある地域ではヌーヴェルヴァーグの功績により、良質の映画とは異なる、その国の映画が生まれました。そして別の地域、例えば日本を例にとると、大島のような新しい映画が姿を現しています。しかし、日本のヌーヴェルヴァーグはフランスのヌーヴェルヴァーグから直接的な影響を受けたわけではなく、日本映画の歴史を確認する中で生まれています。大島がいつも同じグループで映画を作っていたのは、小津や溝口と同じように、日本のスタジオのシステムに則っていたからではないでしょうか。
HK 
 日本の場合は、マンキウィッツやミネリの場合とはだいぶ異なると思います。両者とも映画スタジオのシステムの中に居場所がないのならば、スタジオから追い出される点では共通しています。日本の場合はそれまでのシステムをスタジオが保護して、ヌーヴェルヴァーグのような新しいものを産業とは関係ないところで作らせていました。アメリカの場合は、それ以前の映画作家たちは切り捨てられ、小さなスタジオやヨーロッパで、以前のハリウッドのシステムを小規模ながら存続させていたはずです。
JD 
 その通りだと思います。アメリカと日本に加えて、イタリアにも触れておきましょう。イタリアにも古くからの映画の歴史があり、それに伴う大きな危機がありました。イタリア映画は、長年にわたりスタジオのシステムの中で生きながらえていました。しかしながら、国中のメディアが買い占められてしまうのと同時に、スクリーンを通じた表現の自由が失われてしまい、映画産業自体がダメになってしまった。80年代以前のイタリア映画の姿を、今日のイタリア映画から想像するのは難しいほどです。日本の場合は映画に流れてくるお金が、映画産業のかたちを変えてしまいました。
HK 
 お金の問題だけではなく、今日では以前よりも明白にわかると思うのですが、ヴィデオやほかのテクノロジーによって、映画に対する向き合い方が変わってしまったのが大きな原因だったのでしょうか。
JD 
 ヴィデオなどのメディアは、それ自体で映画のシステムを変革してしまったのではありません。問題となるのは、ヴィデオなどの登場と同時に映画産業を支配する経済が変わってしまったことが問題なのです。映画産業へのお金の流れが、テレビ産業へと向かってしまい、必然的に衰退します。

〈次号につづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
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