声めぐり 書評|齋藤 陽道(晶文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月20日 / 新聞掲載日:2018年10月19日(第3261号)

文筆家としての才能に目を見張る 
撮ることと考えることを共存させる写真家

声めぐり
著 者:齋藤 陽道
出版社:晶文社
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異なり記念日(齋藤 陽道)医学書院
異なり記念日
齋藤 陽道
医学書院
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齋藤陽道の写真作品をはじめて見たのは、2009年に「写真新世紀」の審査をしていた時である。彼の作品「タイヤ」は、疾走するトラックの巨大なタイヤを、至近距離から撮影したものだった。技術的にも内容的にも荒削りな写真だったが、なぜか強く惹かれるものを感じて佳作に選んだ。

その授賞式で、齋藤が聾啞者であることを知り、「なるほど」と思った。写真を撮影する時には、被写体に対して精神を集中することが必要になる。それは、「見る」という行為に純粋に特化するということでもある。沈黙の世界に生きている聾啞者は、むしろ健常者よりもその集中状態に入り込みやすい。そう考えると、彼の写真の異様なほどのテンションの高さも理解できそうな気がしたのだ。

以後の齋藤の写真家としての活動はめざましかった。2010年に「同類」で写真新世紀優秀賞(佐内正史選)を受賞、11年には最初の写真集『感動』(赤々舎)を出版した。2013年には、青山ゼロセンターで写真展「せかいさがし」を、14年にはワタリウム美術館で「宝箱」を開催し、同名の写真集も刊行する。2016年には、神奈川県民ホールで開催された「5Rooms―感覚を開く5つの個展」に、スライドショー作品「あわい」を出品して新境地を切り拓いた。

いま最も注目すべき写真家の一人といってよい齋藤だが、今回同時に出版されたエッセイ集『声めぐり』と『異なり記念日』を読んで、彼の文筆家としての才能に目を見張った。それとともに、彼の写真のあり方を、聾啞者特有の精神集中力に帰するだけでは不十分であることもよくわかった。
声めぐり(齋藤 陽道)晶文社
声めぐり
齋藤 陽道
晶文社
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『声めぐり』では、自らの経験を辿り直すことで、彼が写真という表現に出会い、「世界」を取り戻すまでを記している。補聴器をつけ、発声訓練を繰り返していた少年時代には、「世界」はよそよそしく閉ざされていた。だが16歳の時に石神井ろう学校に入学し、手話によるコミュニケーションを始めることで、「声のめぐり」を全身で感じとることができるようになる。自分が喋っていることが相手に伝わるかどうか、常に不安に駆られていた彼にとって、「声」はむしろ「人との関わりを断つもの」だった。だが手話を学ぶことで、「世界」が多様で豊かな「声」に満たされていることを知ったのだ。

重要なのは、齋藤にとっての「声」には、沈黙もまた含まれているということだ。「静けさが鳴る」という章で、彼は子供の頃に海水浴に行って、補聴器を外した時のことを書いている。浅瀬に立ち、周囲を見渡すと、「海がそれまでとは違って見えた」という。あらゆるものの質感がくっきりと際立ち、海も空も深みを増した。それは「ただ単に音が途絶えただけの状態よりも、いっそう純度の高い静けさ」であり「深い静けさが目のまえの光景に奥ゆきをもたらしていた」というのだ。

これは見事な写真論だと思う。齋藤の写真が心を打つのは、その「深い静けさ」を「声」として聴きつつシャッターを切っているからではないだろうか。逆にいえば、写真機を手にすることで、彼はその「静けさが鳴る」体験を我々にもいきいきと開示することができるようになったということだ。

齋藤は撮ることと考えることとをしっかりと共存させている。聾啞の夫婦の家族に、耳の聞こえる女の子が加わったことが引き起こす波紋を描いた『異なり記念日』からもそれが伝わってくる。次の写真集や展覧会が、ますます楽しみになってきた。
この記事の中でご紹介した本
声めぐり/晶文社
声めぐり
著 者:齋藤 陽道
出版社:晶文社
以下のオンライン書店でご購入できます
異なり記念日/医学書院
異なり記念日
著 者:齋藤 陽道
出版社:医学書院
以下のオンライン書店でご購入できます
「異なり記念日」出版社のホームページはこちら
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