地力のある新人賞受賞者たち 夢の論理を介して世界の底にあるものを描く谷崎由依|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年11月4日 / 新聞掲載日:2016年11月4日(第3163号)

地力のある新人賞受賞者たち 夢の論理を介して世界の底にあるものを描く谷崎由依

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谷崎由依の「囚われの島」(『文藝』冬号)は、夢の論理を介してこの世界の底にあるものを描き出そうとした意欲作だ。全体は三章に分かれている。第一章では現代の東京で新聞記者として働く女性・由良が、しばしば夢で見る岸辺の情景がどこなのか探ろうとし、同じ夢を見る盲目の男性・徳田俊との出会いを経て、自らの出身地に近いかつての蚕業の村にめぼしをつける。由良は村の歴史を企画記事にしようとするが、上司に阻まれる。

第二章では物語の舞台は大正から昭和初期のその村に移る。蚕業によりまずまずの暮らしを享受してきた村が昭和恐慌によって廃れるとともに、一人の少女が母親の身代わりになって蚕の神に犠牲として供されるまでを描く。第三章は再び現代に戻り、新聞社を辞めて行方知れずとなった由良のその後が明らかになる。由良は盲目となり、身ごもり、男児を生む。一方で徳田俊は目が見えるようになる。

現代の東京と約九十年前の村が夢を通じてつながり、出来事や人物が象徴的に結びついている。それによって、この世界の隠された構造があらわになる。例えば由良と身代わりになった娘は「犠牲」という観念によって照応しあっている。娘たちは自らの犠牲によって「父親的なもの」を無化し、新しい世界の扉を開いていく。

惜しむらくはいわば「敵役」である「父親的なもの」の描写が精彩を欠いていることだ。そのため、例えば娘を人身御供として蚕の神に捧げる村の論理に説得力がない。だがこうした制度というものは、その中に生きる人たちにとって逆らいようのない節理として見えているはずであろう。「父親的なもの」を心底憎んでいるに違いない作者の心情からすれば、描写に力が入らないのは理解できなくもないのだが、そこを盛り上げてこその小説ではないか。

青が破れる(町屋 良平)河出書房新社
青が破れる
町屋 良平
河出書房新社
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三つの文芸誌で新人賞の発表があった。今回は長く書いていけそうな地力のある人が多い。文藝賞を受賞した町屋良平の「青が破れる」(『文藝』冬号)は、新鮮な擬音・擬態語やひらがな遣いが特徴的。結末近くで主な登場人物五人のうち三人が死ぬという、考えてみればやや極端な筋ながらそれを感じさせず、上質な感傷をたたえた作品世界を構築した。デビュー作にして既に確かな実力を感じさせる。

新潮新人賞を受けた鴻池留衣の「二人組み」(『新潮』十一月号)は、中学生男女の不器用な関係を描いた。教師たちの愚かさや偽善に我慢できず反抗する男子・本間が、ほとんど意思表示しない寡黙な女子・坂本に接近する。豊満な胸に触りたいという欲望からだが、クラスでバカにされている坂本を見下しながらも、見下す自分の醜さにもあきたりない本間の自我の往復運動を通じて、二人の関係は恋愛らしきものに育っていく。一歩間違えれば嫌らしいだけの関係や偽善になりかねないところを、カテゴライズできない唯一のもの(本来あらゆる人間関係は唯一無二なのだから、まさにその通りのもの)として描いているところは見事だ。

すばる新人賞を受賞した春見朔子の「そういう生き物」(『すばる』十一月号)はかつての高校の同級生である千景とまゆ子が再会し、一緒に暮らし始める。対照的な性格を持つ二人の生活を、短い章ごとに交互に視点を交代する形で描いていく。この作品のテーマは実は「性」であり、後半では、穏やかな冒頭からは想像もできないような展開となる。だが性を見つめる作者の目には確かなものがあり、読者は信頼して身をゆだねることができる。

同賞の佳作となったふくだももこの「えん」(同)は輝かしい光に満ちた世界。女子高生二人のバディものである。映画監督でもある作者は物語の勘所をよく心得ている。純文学ではないかもしれないが、何らかのジャンルで小説を発表しつづけていくことになるのではないか。

女性が力をつけ、自らのあり方の決定権を男性から奪い返そうとする。男性の絶対的な優位が揺らぐとともに、男女の二分法にとらわれない様々な性の姿が浮かび上がる。そうしたなか男性もまた不器用に、自分たちのこれまでを見直していくことになる。これらは、いま日本で起きている社会変化の最前線にある現象である。「二人組み」「そういう生き物」「えん」の三作はいずれも、これらの動きに関連している。有望な新人が時代の最前線に呼応した作品でデビューするのは当然の現象である。

「二人組み」とともに新潮新人賞を受賞した古川真人の「縫わんばならん」(『新潮』)は高齢の姉妹の過去と現在を自在に行き来する思考を借りて、九州の島の一族四世代の記憶をたどる作品。それほど大きな出来事は起こらず、若者たちが登場する第三章まではやや単調だが、長い時間の流れを表現するという作者の狙いは十分に実現されている。今後に期待したい。

目取真俊の「露」(『三田文學』秋季・特大号)は、「私」が沖縄北部の港で荷揚げ作業のアルバイトをしていた一九八六年の夏の話として、仕事の後の港での飲み会の様子を描いた。飲み会の参加者は男ばかり七人。沖縄言葉が飛び交い、サザエやアワビ、とれたての魚の刺身をつまみに泡盛を飲む豪快な飲み会は、年配の男たちが海外や沖縄の戦場での経験を語りだすにつれて暗転していく。最後に提示されるイメージの凄惨さとエロチシズムの同居は、現実を伝えるとともにそれと対峙もする文学の力を物語っている。

渡谷邦の「籠崎さんの庭で」(『文學界』十一月号)は二〇一六年下半期の同人雑誌優秀作。アパート探しをしている若い夫婦。隣の家の庭が眺められるという理由で、妻が部屋を決めてしまう。三人称だが、平凡な夫の視点から記述され、抑制の効いた平熱の描写のもとで徐々に事態が異常の度を増していく。他人の庭に入れ込む妻に注意した夫に対し、身寄りのない妻が「わたしは昔から他人の庭で過ごしてきたのよ」と切り返すところなど見事であった。

滝口悠生の「茄子の輝き」(『新潮』十一月号)は、倒産したかつての職場の最後の日々を巡る記憶。どう転んでも他人でしかない人たちがたまたま同僚として関わり合い、あっさりと別れていく。どんなにはかない時間と空間であっても、そこにはそれなりのまとまりがあり、唯一無二の貴重さがある。「私」が思いを寄せた同僚・千絵ちゃんと最後に行った居酒屋の茄子の鮮やかに輝く紫色の皮は、あまりにありふれた、しかし同時に輝かしいある日常の時間の象徴である。
この記事の中でご紹介した本
青が破れる/河出書房新社
青が破れる
著 者:町屋 良平
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
文藝 2016年冬季号/河出書房新社
文藝 2016年冬季号
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
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