あなた 書評|大城 立裕(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月27日 / 新聞掲載日:2018年10月26日(第3262号)

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「乗っ取られている」という苦い感慨

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著 者:大城 立裕
出版社:新潮社
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あなた(大城 立裕)新潮社
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大城 立裕
新潮社
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辺野古が普天間基地の代替移設先として名前があがったのは、いまから二〇年ほど前の一九九六年。「アメリカや日本政府がよくあんな辺鄙な場所を知っていたものだ」と本書収録の「辺野古遠望」の語り手「私」は感心する。本島の東海岸「金武、宜野座から向こうは文化果つるところだ」と聞かされてきた「私」にとって、長らく辺野古は未知の空白地であった。しかし、近くにキャンプ・シュワブがあることを考えれば、アメリカや日本政府よりも「地元のわれわれがよそ者みたいになって、なんの不思議もないのかもしれない」とも思い至るのだ。

県民よりもアメリカや日本政府の方が沖縄のことを知悉している。まるで沖縄の住民が「よそ者」で、アメリカや日本政府の方が古くからの「住人」のようではないか。「私」は、一九九六年より前に、兄と好奇心から未踏の東海岸をドライブし、辺野古で道に迷ったときの体験を思い出す。北部の山原へと向かう、海洋博のついでに造られた高速道路をはずれると、見慣れない亜熱帯の樹種の森に迷い込んでいた。燃料も切れ、車中で野宿した翌朝、砂浜で出会った漁師から「ヘノコ」という地名をはじめて耳にした。


「ここはどこですか」
兄がいそぐ風に声をかけた。男は一瞬ふりむき、
「ヘノコ」
「集落は近いんですか」
「すぐそこ、ここからは見えないけどね」(中略)
「ヘノコか……」
兄は一瞬考えたあと、「聞いたことがあるか」
「知らない。山原だろう」





砂浜から戻ると、いつの間にか車が山道の端に片づけられていた。「その車は、兵隊が片づけよったですよ」。通りがかりの住民によれば演習中の米軍が、邪魔な車のカギを開け、ガソリンを補給してどけたという。
「金武、宜野座から向こうは文化果つるところだ」どころの話ではない。どこへ行こうと、すでに米軍がうろついている。アメリカと日本政府が地元民を先廻りしているようなものだ。沖縄に基地があるのではなく、基地に沖縄がある。沖縄はフェンスの中にあり、外部はない。「文化果つる」東海岸へ足を延ばしても、しょせん基地の中をうろうろしているにすぎない。二人は恐怖で舌を巻く。

「地元のわれわれがよそ者みたい」という、他者に身体を乗っ取られているという苦い感慨は、本書でくりかえし変奏される重要なモチーフといえる。同期約百六十名のうち三分の一が戦死した県立二中の同期会では、日中戦争の最中に警察署長と特高課長から「お前たちの身体は自分の身体ではない。陛下からお預かりした身体だ」との訓示を受けた苦い記憶がよみがえる(「B組会始末」)。乗っ取りは言語に極まる。熊本陸軍幼年学校で標準語が一番上手なのは沖縄出身だと評判が立ち、お国自慢のように語られもしたが、それは標準語からもっともかけ離れているが故に同化をめざさざるをえなかった悲痛な努力の裏返しにほかならなかった。「久留米の雪はよかったねえ」という夫婦の絆をつなぐ感慨は、ヤマトで互いに「よそ者」であることを確認しあった苦い思い出に支えられていた、といってよい(「あなた」)。「ウチナーンチュ、ウシェーテー、ナイビランドー」(沖縄人を馬鹿にしてはなりませんよ)。辺野古反対の県民大会で故翁長元知事は沖縄言葉でそう演説した。乗っ取りへの抵抗は、ウチナーグチを奪い返す運動として開始されようとしている(「辺野古遠望」)。

沖縄戦の修正やねつ造が横行し、乗っ取りはいまもつづく。私たちの「記憶」も、はたして乗っ取られていないと断言できるだろうか。九十三歳大城立裕による「記憶」をめぐる格闘の書である。
この記事の中でご紹介した本
あなた/新潮社
あなた
著 者:大城 立裕
出版社:新潮社
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