ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治 書評|森 一郎(法政大学出版局 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月27日 / 新聞掲載日:2018年10月26日(第3262号)

ある「遂行的哲学」の道程 
広い境域を無駄なく精明に平明に語る

ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治
著 者:森 一郎
出版社:法政大学出版局
このエントリーをはてなブックマークに追加
高齢化社会だと云うのに衰老を「加齢」と呼び「アンチエイジング」に夢中な大人たちは、命あるもの老いてやがて死す自己もまた然りとの実存の運命・・・・・と、水先にして先覚者たる老人たち・・・・とを隠蔽して忘却しようとしている。老化に抗い早晩来る死を見つめようとしない〈実存〉も、或いは他人に迷惑かけたくないと「終活」なるポップな語で気を紛らわせながら死期が近づき思うように動かない身体で自らを送る老人も、看取り弔うことの精神性を忘れた社会という同じ根をもつ世紀病(後期近代末期症状)としか思われない。老人を忘れたい、老いを忘れたい、死を、そうだ死こそを忘れたい。己の死を無意識に隠蔽したところで、不日不意に訪れる近しい者の死の一打を免れはしない。何となれば〈実存〉を取り巻く「環世界」の隅石の喪失は、個々が投げ込まれて生きる「世界」の脱臼にも等しいのであるから。人間のような生き物は他者(自己と同じような他の存在者)との間柄なしには暮らせない、自己と他者、自己と鉱石や樹木の天然、機器……様々な存在者との間柄から「世界」は成っている。然れば〈実存〉と〈公共性〉とは切り離せないことも亦然り。

近年富に執筆活動が旺盛なハイデガー研究の碩才による新刊は、そのようなことを教えてくれる。死は生物にとり避けることのできない唯一ほぼ確実な未来にして老少不定。自覚して生き考えることもできる者(「現存在」)は、死がその都度個別の生起と識るのみならず只今の自己の生もまた唯一無二であると理解する。第Ⅰ部と第Ⅱ部での『存在と時間』の心読から「世界」と「時間」の有意義性が解明される。主観を免れつつも他人事ではない「死」に相応しい「語り」の戦略(方法論)の闡明から時間論へと。ハイデガー哲学の基礎的解釈からオリジナルの哲学が生み出される。著者の新刊本を読む度に味わう慶びのひとつは、常にそこに〈自己の哲学〉があり、また更新されていることにある(第Ⅱ部第六−七章でのフッサール現象学〔『危機』〕を巻き込んでの「世界時間」の解釈と自説展開とは白眉)。第Ⅲ部(哲学と政治)では前部よりのマルクス哲学の解釈から、またアーレントの「仕事」と「労働」の区別からと時間論が問い直され、近代と公共性の問題が古代アテナイにおける哲学の発祥(「パトス」と「閑暇」)に照らし合わせて検討される。第十−十一章は、ハイデガー学長時代のナチ関与問題についての評者が知る限り最も公平な分析のひとつである。第Ⅳ部(哲学の可能性)では著者の「夢」すなわち『存在と時間』の書かれなかった第一部第三編以降を引き受ける覚悟が「共−存在時性の問題群」を中心とする具体的な企図とともに語られる。

本書が慾張りであり贅澤であるのは、広い境域が無駄なく精明に平明に語られることで、斯界の学者や教師が学んだり刺激を受けたりするだけではなく、ハイデガーに触れたこともない読書人や学生にもまるで『存在と時間』への誘いの講義であるかのように読めてしまうことに因る。折々の論文や講演を種とする本書を読了した時には「日々是哲学」と人生を哲学に賭した著者が歩んだ二十年間の「遂行−上演者〔「パフォーマンスとしての哲学」〕」の道程を追走したことになる。行間からは楽は哲学の種、苦は哲学の種と日々の様子が垣間見られる。若き日の著者にとりハイデガー哲学との邂逅は斯く迄大きなものであったに違いない、師匠渡邊二郎氏とのそれと同じほどに。本書が捧げられている故渡邊二郎氏は哲学を市民に啓蒙するに足る文筆家であり辯舌さわやかな哲学者であったことも思い起こされる。

寂滅為楽ではないが、哲学(世界や存在、実存)の解明こそに真なる楽しみがある。このように考えることのできる哲学教員が世界にどれほどいることか。益者三楽だけではなく哲学もまたひとを導くことを教えてくれる書である。
この記事の中でご紹介した本
ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治/法政大学出版局
ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治
著 者:森 一郎
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
「ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
森 一郎 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 哲学・思想関連記事
哲学・思想の関連記事をもっと見る >