明恵 栂尾高山寺秘話 上 書評|高瀬 千図(弦書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年10月27日 / 新聞掲載日:2018年10月26日(第3262号)

明恵 栂尾高山寺秘話 上 書評
明恵の人生とその時代 
崇めずに寄り添い生きるように描く

明恵 栂尾高山寺秘話 上
著 者:高瀬 千図
出版社:弦書房
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釈迦が生まれた年は諸説があるが、仏教の言葉に正法、像法、末法とあり、その正法は釈迦が入滅して千年、像法はその後千年、末法はその後の世界のことをいうが、日本では、その末法は永承七年(一〇五二)から始まるとされている。

正法は釈迦の教えが正しく伝わり、像法はその教えが正確には伝わらず、末法は修行も悟りも通じなくなる社会のことを指す。世も末だという言葉はこの末法思想からきているが、今日の政治やモラルの崩壊を思うと、案外と的外れでもない気がしてくる。それらのことは公衆道徳の乱れや、我執我欲、私利私欲を生み社会を悪化させる。

その末法思想から生まれてきたのが、浄土宗や浄土真宗、時宗、日蓮宗などの鎌倉新仏教だが、当時の世相を学習すると、人々がそう嘆くほど世の中は乱れている。施政者たちの欲心が戦乱と飢餓を招いたのだが、明恵はそんな時代に生まれている。

承安三年(一一七三)に父、平重国、母は豪族・湯浅宗重の娘で、その二人の間に紀州の有田で生を享けた。その父は平清盛の配下として功績を上げるが、源頼朝の討伐のおりに亡くなった。母も同年に逝っている。彼が八歳の時で、翌年、仏門に入り、やがて伯父の上覚について出家している。

その後、学僧として研鑽していくが、彼が浄土系の法然や親鸞、一遍らよりも、今日、名が知られていないのは、著書も書くように「明恵は宗教や信仰はあくまでも個人の内的問題であって、集団や国家のものではないとして教団や組織を作ることをかたく禁じた」からだ。

この作品にも登場する文覚のように、歴史をながめると政僧になる者は何人もいるが、明恵は仏教徒としての戒律を、なによりも実践しようとした人物だ。「戒」は自身が守らなければならない行動の規範のことで、「律」は仏法を学ぶ者が守らなければならない約束のことだ。明恵は弟子たちに強く戒律を守らせたからこそ、後世に教団や組織を作らせることをためらわせたのだろう。

もしこの明恵や教信が自身や後世の人々によって、もっと言葉を残していれば、日本の仏教界の景色も変ったものになっていたのではないか。「自らの言葉どおり彼は政治や権力に巻き込まれることを嫌い、人と交わることも好まず、名利を捨て、高僧と言われることすら恥じてひっそりと内なる世界を生きた」とあるが、逆にそれゆえに高僧になった。またそんなことを望まなくても、人々は無欲で仏心を抱く彼には崇敬の目を向けたはずだ。

人生の多くを写経や修行に費やし、ただ仏陀の教えや言葉を探ろうとする姿勢は、わたしたちに時間をかけて手に入れたものは、必ず自己や人々の心の糧になるということを、この物語は提示している。大変な長編小説だが、著書が明恵を崇めず、寄り添って生きるように書き綴っているのがなによりもいい。

どんな人間でも生きることは困難でしんどい。人生は思わぬところに陥穽はある。そこに落ちて泣くこともあるだろうし、苦しみ、這い上がるのに時間がかかる場合もある。しかしわたしたちは生きなければならない。キリスト教でも仏教でも生きることを肯定しているはずなのに、当時は浄土に向かう人々が多くいた。改めて明恵の嘆きと苦悩が見えてくるが、豊かで飽食の時代になったこの国でも、七十年前には似たようなことがあった。

テレビ画面では若いタレントや芸人が、毎日のように食い物を頬張る光景を見せているが、世界では餓えで苦しんでいる人々が多いのに、こんなことでいいのかと考える時がある。仏心には遠く及ばず、人心すら忘れられたような社会は、いよいよ末法は深くなっているような気もしてくるが、施政者には、ハルマゲドンが末法の仕上げとならないようにと願うばかりだ。本書を現代と照らし合わせて読んだので、さまざまなことを逡巡させられたが、この作品が明恵の人生と、その時代を丹念に描いた労作であることは間違いない。
この記事の中でご紹介した本
明恵 栂尾高山寺秘話 上/弦書房
明恵 栂尾高山寺秘話 上
著 者:高瀬 千図
出版社:弦書房
以下のオンライン書店でご購入できます
明恵 栂尾高山寺秘話 下/弦書房
明恵 栂尾高山寺秘話 下
著 者:高瀬 千図
出版社:弦書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「明恵 栂尾高山寺秘話 下」出版社のホームページはこちら
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