熊野概論 熊野、魂の系譜〈2〉 書評|谷口 智行(書肆アルス )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年11月3日 / 新聞掲載日:2018年11月2日(第3263号)

独自な熊野的豊饒さ 
すこぶる読みごたえがある新著

熊野概論 熊野、魂の系譜〈2〉
著 者:谷口 智行
出版社:書肆アルス
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「熊野は行くところじゃない。呼ばれるところなんだ。」

五年前に撮ったセミドキュメンタリー映画『熊野から』のなかでナビゲーターの俳優・海部剛史が言う。その言葉に導かれるように私は熊野に呼ばれては続編『熊野から ロマネスク』と『熊野から イントゥ・ザ・新宮』を撮り、昨年三部作が完成した。この新作に登場してもらったのが『熊野概論 熊野、魂の系譜Ⅱ』の著者谷口智行氏である。

和歌山県新宮市のカフェ、くまの茶房で谷口氏の『熊野、魂の系譜 歌びとたちに描かれた熊野』を手に取ったのがきっかけだ。スサノオや与謝野寛、三島由紀夫や中上健次らが作った歌や小説、エッセイを熊野出身で現在も(平成五年以降)熊野在住の医師で俳人の著者が本歌取りのように叙述した評論である。特に前登志夫が中上健次と対談した時に「僕は吉野にいながらね、常に吉野もまた熊野なんだ、という発想を持っています」の引用に私は興奮した。ぜひ谷口氏に熊野の魂を語ってもらおう。映画のなかで谷口氏は地元以外に知られていない祠や旧跡を案内し、熊野灘の浜に立ち、雄姿を見せてくれた。そのシーンに私は氏の句集から一句をかぶせた。



死なむとす春潮臍に来るまでは



続編にあたる新著は谷口氏が編集長をつとめる俳誌「運河」にこの四年間で発表した文章を中心にまとめたもので、民俗学、社会学の作物としてもすこぶる読みごたえがある。その軸となっているものこそ熊野。熊野は大和朝廷以前から山や川や土や木に神々がおわす自然信仰の地であるとの熊野人の誇り。Ⅰの章の「神仏習合と廃仏毀釈――熊野の神々はどこに行ったか」は、古来の祖先崇拝・自然崇拝・霊魂崇拝と公伝以前の私的な信仰としての仏教から生まれた山岳修行の宗教精神を見つめ、「確かにそれは呪術的要素を多く含む自然信仰であったかもしれない。しかし彼らの精神は極めて純粋な信仰と実践の中で培われてきた。山中に他界を、海彼に常世を幻視する山岳信仰、海洋信仰がその底流にあり、これらに裏打ちされた独自の原始的情念であった」と思念する。

近代の熊野が満蒙開拓団として大陸に渡り、敗戦時に少なからぬ犠牲者が出たことが、Ⅱの章で沖縄の犠牲を鎮魂する歌とともに叙述される。そのところどころに引用される引き揚げ経験者の俳句。「子が死んで蚤に虱に血を分つ」を詠んだ井筒紀久枝氏は福井県の出身だ。熊野と沖縄と他県が平和と反戦の下、よこにつながり、平成の安保関連法案反対運動への言及でたてにつながる。文化・風俗を論じたⅣの章で谷口氏の父系の先祖が代々農業に携わった話から日本の農、世界の農の問題へとひろがっていく書き下ろし文が私は好きだ。「農の風景でまずよく目にするのは、草を毟るお年寄りの姿である」が、これは日本的な風景であり、欧州では草取りせずとも畑の農はうまく回転することが紹介される。とすぐつぎに「八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」の恵慶法師の歌。八重葎は枯れるから草ぼうぼうなのは「カナムグラ」だとの植物学的な補足から「百姓」の語源、それから蕪村の「離別さられたる身を踏込ふんこんで田植哉」で離縁された女の覚悟へと発想が動く。何とも独自な熊野的豊饒さよ。
この記事の中でご紹介した本
熊野概論 熊野、魂の系譜〈2〉/書肆アルス
熊野概論 熊野、魂の系譜〈2〉
著 者:谷口 智行
出版社:書肆アルス
以下のオンライン書店でご購入できます
「熊野概論 熊野、魂の系譜〈2〉」出版社のホームページはこちら
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