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更新日:2018年11月4日 / 新聞掲載日:2018年11月2日(第3263号)

功利主義の世紀 進化論と認知科学から導かれる統治

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米中貿易戦争が世界経済に大きな影響を与えている。この問題は様々な立場から論じられているが、トランプがめちゃくちゃだということで一致している。トランプ政権の通商政策は「支離滅裂な戦術」であり、「専門家の誰もが間違っていると指摘する政策」であり、「こんな稚拙な考え方が、地球上で最も洗練された国を支配しているとは信じがたい」というわけだ。(田中明彦「貿易戦争から「新しい冷戦」へ」、木村福成×吉崎達彦「日本は経済守護者たれ」『中央公論』11月、宮崎哲弥「時々砲弾」『週刊文春』10/25)。中国への制裁関税はアメリカ経済に跳ね返ってくる。自分で自分の首を絞めるような政策は民主主義だからこそ採用されるものだ。

ドイツの法学者のカール・シュミットは自由主義と民主主義を区別した。世界人類は皆平等であるという自由主義的な考えは「空虚」であり、それゆえ経済という「政治上の外見的平等のかたわらで、実質的な不平等が貫徹しているような別の領域」をもたらす。いっぽうで、民主主義はその特徴である「同質性」によって「相対的に普遍的な人間の平等」をもたらすが、「同質性」を保つために「異質なものの排除あるいは殲滅」が必要となる(「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」)。トランプの支持層である白人労働者層が格差改善を訴えていることと、移民を排斥していることになんら矛盾はない。このふたつは民主主義というコインの両面だからだ。たとえ殲滅にまで至らなくても、われわれ=友と対立する敵を見出す必要がある。その敵がヒスパニックでありムスリムであり、今回は中国であるわけだ。自由主義と民主主義の両立は困難になりつつある……という話はこの連載で散々繰り返してきたので、読者は「またその話か!」と思われるかもしれないが、今回問うのはシュミットが解決できなかった統治の問題だ。

橘玲『朝日ぎらい』(朝日新書、6月)がまず興味深いのは、トランプ支持層の白人労働者や在特会などのヘイトスピーチ団体をアイデンティティ・ポリティクスとして捉えている点だ。
「現代社会が抱える問題とは、先進国でも新興国でも、知識社会から脱落し、仕事や恋愛での自己実現に失敗し、「たったひとつのアイデンティティしかもてなくなったひと」がますます増えていることだ。彼らのアイデンティティはきわめて脆弱なので、それを侵す(と感じられる)他者に激烈な反応を示す」
「白人」「日本人」「男性」といったアイデンティティは、「なんの努力もせずに手に入り、共同体の外部にいる他者がそれを名乗ることはできない」という点で共通している。世界で見られる右傾化は、そんなアイデンティティにしかすがれない人々の運動だというわけだ。アイデンティティの「同質性」に基づく運動は、シュミットがいう民主主義の定義にぴったりと当てはまる。

くわえて、橘はテクノロジーを利用して社会を最適設計することを目指す「サイバーリバタリアン」が、「「リベラル」の政治思想のなかで、彼らだけが唯一、強い説得力をもっていることは間違いない」と述べている。彼らは「ナッジ」と呼ばれる選択的アーキテクチャーや一定の金額を支給する「ベーシックインカム」の実現を目指す。そして、その思想的背景にあるのは功利主義だという。橘が、脳科学、認知科学、進化論といった最新の研究を紹介してきたことは知られるが、功利主義+テクノロジーという未来像は共通理解でもあるようだ。

吉川浩満も「いまや世紀は功利主義のものとなりつつあるのではないか」と述べている(「社会問題としての倫理学」『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』河出書房新社、7月)。吉川はその理由として道徳の自然化と人工知能ブームなどをあげる。5人を犠牲にするか、1人を犠牲にするかを問うトロッコ問題がしめすように、「最大多数の最大幸福」を目指す功利主義は人々の道徳的な直観に反することが知られる。しかし、認知科学はその直観が進化の過程で獲得されたことを明らかにした。また、自動運転技術にかんしてトロッコ問題が話題にされているように、功利主義はプログラムに組み込んでおける道徳的原理でもある。吉川も、積極的な賛意を示しているわけではないものの、「功利主義とリバタリアニズムを結合した」ような「環境管理型権力の善用としてのリバタリアン・パターナリズム」を有力な未来像の一つとしてあげている(「人間の〈未来〉/〈未来〉の人間」前掲書)。功利主義は道徳的直観に抵触する。しかし、選択的アーキテクチャーはその直観を利用する統治技術だった。バーナード・ウィリアムズがいうところの、功利主義的なエリートが直観的な大衆を統治するシステム=「植民地総督府功利主義」がまさに実現されようとしているわけだ。

ところで、シュミットによれば、自由主義の理念である「公開性」は「絶対主義の官僚主義的・専門家的・技術主義的な秘密政治」に対抗する概念で、「議会主義」や「言論の自由、出版の自由、集会の自由、討論の自由」のもととなった。つまり、自由主義とはエリートによる統治に対抗するイデオロギーだった。しかし、シュミットがワイマール共和国に見たのは、「小人数の委員会」に縮小し、「大資本の利益コンツェルン」に牛耳られた議会だった。それは「絶対主義の官僚主義的・専門家的・技術主義的な秘密政治」の回帰だった。たいしてシュミットは民主主義=「独裁」に可能性を見出すことになる。しかし、独裁をもってしても、エリートによる統治は乗り越えられただろうか。

『中国経済講義』(中公新書、9月)で梶谷懐が中国経済のイノベーションを論じるうえで、「知的財産権」をめぐる「プレモダン・モダン・ポストモダン」という三つの層を提示して分析している。しかし、ここでは梶谷の別の記述を参照しよう。
「アリババやテンセント、ファーウェイと言った民営企業の台頭、それに自転車や配車アプリなどのシェアリングエコノミーの広がりは、人々の私利私欲を満足させる、つまり功利主義的な価値観を全面的に肯定すると同時に、法やイデオロギーに裏付けられない、テクノロジーに裏付けられたアーキテクチャーによって「環境管理型権力」の洗練に一役買っている。〔…〕おそらく今後の中国社会では、知識人がどのような議論を展開しようとも、あるいは共産党が「表の」支配イデオロギーとして社会主義思想の徹底を打ち出そうとも、「私利私欲」に基づく功利主義的なリベラリズムが人々の「本音」を反映しつつ、いわば「裏の」支配的イデオロギーとなっていくだろう」(「リベラルな天皇主義者はアジア的復古の夢を見るか?」『現代中国研究』40号)

ここで橘が「功利主義を過激化させたサイバーリバタリアン」が「「リベラルデモクラシー」を否定するユートピア思想のなかで唯一、今後大きな影響力をもつと思われる」と指摘していたことも付け加えておこう。功利主義は「リベラル」に親和性があるが、必ずしも一致するわけではないのだ。かといって中国の独裁も完全に統制しているわけではない。せいぜい互いにうまく利用しているのが現状のようだ。

かつての普遍主義的な人権に代わるものとして、功利主義の統治が台頭している。ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』やジョシュア・グリーン『モラル・トライブズ』は、ティーパーティー運動やオキュパイ・ウォールストリートといった、アメリカにおける保守とリベラルの対立からその考察を始めている。脳科学、認知科学、進化論などの知見から示されるのは、リベラルは決して普遍的ではなく、「道徳部族」(グリーン)の一つにすぎないということだ。いっぽうで功利主義は、保守やリベラル、宗教原理主義などの様々な道徳部族の対立を調停する「共通通貨」とみなされる。しかし、功利主義的な理性の活用を目指すグリーンの提言に反して、功利主義+テクノロジーによる統治が共通通貨となりつつある。そのような統治は直観的には許しがたい。しかし、民主主義によって乗り越えようとしても、待っているのはトランプのようなめちゃくちゃさなのだ。もちろん、革命という出来事はそんな愚行のなかに潜んでいるわけだが。
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