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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2018年11月6日 / 新聞掲載日:2018年11月2日(第3263号)

連 載 今日の映画批評家 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く80

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蓮實重彥氏と(1996年、ルノワールのシンポで)
HK 
 ゴダールの新作『イメージの本』が、今年のカンヌ映画祭で上映されました。しかしカンヌでの上映以降、見ることが非常に難しい状況です。マルセイユの映画祭での上映予定も直前になってキャンセルされたり、色々と問題が発生しているようです。
JD 
 私は、だいぶ前に、すでに見ています。ゴダールがシネマテークで、彼の選んだ10人のために特別上映を行った際、幸運にも招待されました(笑)。
HK 
 ゴダールの選んだ10人となると、他にはどんな人がいたのですか。ベルナール・エイゼンシッツとその周縁の人々ですか。
HK 
 ベルナールは、すでにカンヌで見ているので来ていませんでした。他に誰がいたかは覚えていませんが、本当にわずかな人だけでした。
HK 
 例えば『カイエ』の現編集長とかは来ていなかったのですか。この前、フィリップ・ガレルの新作を、ドゥーシェさんのためだけに上映した際には来ていました。
JD 
 彼の姿は見ていませんが、とりわけ不思議なことでもないでしょう。
HK 
 そういえば彼はカンヌの星取表を行なっていました。『カイエ』と『レザンロック』だけが、ゴダールに満点をつけていたのを覚えてます。
JD 
 きっと彼は、カンヌで見たのでしょう。いずれにせよ、ゴダールが今日の『カイエ』に好意的かは疑わしいところです。一体、誰が今日の『カイエ』を好んでいるのでしょうか。
HK 
 若者ではないでしょうか。たまに高校生らしき若者が、『カイエ』を片手に映画館にいます。
JD 
 映画をよく知らない人たちが、『カイエ』を好んでいるのは知っています。
HK 
 今でも、『カイエ』の神秘性のようなものが残っているからではないですか。
JD 
 その通り。『カイエ』という名前だけで十分満足してしまっているのです。
HK 
 結局のところ『カイエ』というのは、一体何だったのでしょうか。『カイエ』という雑誌名ではなく、作っていた人々の方が大事だったのではないでしょうか。
JD 
 『カイエ』は特筆するだけの独創性を持った批評誌でした。他の映画雑誌とは、一線を画します。『カイエ』が探し求めていたのは、一種の精神です。映画を思考する知性が求められていたのです。他の雑誌とは大きく異なるはずです。大半の映画雑誌というものは、テレビやミュージカルのものと同様にして、座席の中に腰を埋める人々のために作られています。しかし、私たちの目的とは創造に関与することでした。創造の目撃者であるだけでは、不十分だったのです。
HK 
 今日でも、そのような精神は残っていると考えていますか。
JD 
 ……私が続ける以外にはないでしょう。
HK 
 ドゥーシェさんがよく心配しているように、今日では批評家のあり方が大きく異なってきているはずです。例えば、とある批評家の文章を読んでいると、映画が好きなことは伝わってくるのですが、多くが自分の好きなシーンへのコメントで終わっています。その点で、『カイエ』のような批評を引き継いでいる人はいないはずです。一昔前にはいたはずなのですが、皆若くして死んでしまいました。
JD 
 今日の批評家たちを見ていて感じるのは、彼らは映画を好きである以上に、それを語る自分自身が好きであるということです。すべての批評に目を通しているわけではないので確かなことは言えませんが、おそらく事実です。自分語りのような批評を繰り広げる人々は、根本的なところで、映画の考えを持っていません。そのような批評が悪いものだと言いません。しかし、面白いものでもありません。何も創り出さないだけのことです。 〈次号につづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
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