読書人紙面掲載 特集
みなさん、今日はお忙しいところをありがとうございます。私は人生の中では白秋という時期を過ぎ、古来稀なりという年齢の古稀をあと二、三年後に控えるようになりました。そういう中で人生をリセットして振り返ってみるという意味で、このエッセイを書きました。私が今なぜこういう考え方を持ち、どうしてこういう発言をしているのか。私の個人史であると同時に戦後史にも大部分で重なる、その一つの背景を率直に書いてみたわけです。しかしそれは深刻な告白などといったものではありません。今の暮らしや夫婦生活の片鱗が見えるような身辺雑記的なもの、そういうものを扱ってみようと思ったのです。私は七〇歳に近くなって、軽井沢と追分の間くらいの場所にある高原に移り住み、四季の移ろいに身をまかせながら、たまに野良仕事みたいなことをして静かな時間を過ごしています。一方で、世間は怒涛の如く動いている。今回の本は『悩む力』の十年後に書いた本ですが、『悩む力』が出た十年前にはリーマン・ショックが起こりました。なぜこの世界規模の金融危機が起きたのか、その教訓は何なのかということは、残念ながらあまり活かされているように思えません。私自身は経済学に詳しくないのでよくわかりませんが、ただはっきりしていることは、十年前より世界経済の中で新興国を含め膨大なマネーがジャブジャブに余っていて、しかも債務残高が十年前よりもっと増えているということです。ですから、何か歯車が狂えばリーマン・ショック級以上のものが生じるのではないかと懸念するエコノミストもいます。世界経済はいつ大変な乱気流に襲われるかわからない、そういう状況が十年経った現状なので、実はかつてとあまり変わっていないのではないかと思います。
七年前の東日本大震災から今般の北海道、あるいは関西、近畿を襲ったさまざまな自然現象の乱調。こういうものを通じて人々はどこか不安を感じている。さらに言えば、私たちが信じていた安心・安全・快適というものが疑わしくなっている。そういう時代の中で奇しくも今回の本を出すことになって、私は同時に戦後というものの終わりを感じています。
戦後の終わりというのはどういうことか。私たちの世代には、安心・安全・快適が幸せで、昨日よりは今日、今日よりは明日、一年後よりは二年後、三年後の方が良くなっているはずだという、一つの神話に近いものがリアリティを持っていた時代がありました。そういう時代の流れを見て、自分もそれに乗っかっていけるのではないかと思って、私も熊本から東京に出てきたわけです。そのあたりのテン末は『維新の影 近代日本一五〇年、思索の旅』(集英社)でも少し述べていますが、今回の本では自分のプライベートな生活とこれまで自分が各種メディアや活字を通じて語ってきたことがどのように結びついているのか、なぜ自分がそのような言葉を紡ぎ出したり発言したりしているのかということを書いています。
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更新日:2018年11月9日
/ 新聞掲載日:2018年11月9日(第3264号)
集英社新書 『母の教え 10年後の『悩む力』』 姜 尚中さん刊行記念講演
(於:紀伊國屋書店新宿本店)
政治学者・姜尚中さんの新刊『母の教え 10年後の「悩む力」』(集英社新書、十月十七日発売)の出版を記念し、十月二三日、紀伊國屋書店新宿本店九階イベントスペースにてトーク&サイン会が開催された。二〇〇八年に刊行され一〇〇万部超の大ベストセラーとなった『悩む力』(集英社新書)から十年。姜さんは還暦を過ぎ古稀も近づく年齢になって、亡き母の教えをより深く体感するようになったという。本書は高原に移り住み、今は「高原好日」の静かな生活を送る姜さんが『悩む力』の十年後を綴った「新境地」のエッセイ。講演では、母の教えの意味、執筆の背景や本に込めた思いなどが語られた。 (編集部)
目 次
第1回
◇『悩む力』の十年後/◇戦後の終わり
2018年11月9日
第2回
◇静かなる幸福な生活/◇韓国映画「JSA」から想像する
2018年11月10日
第3回
◇韓国、沖縄/金大中氏/◇半島と列島が手を携えて
2018年11月11日
第4回
◇戦争終結への道筋/◇ふたたび、 母の教えと出合うとき
2018年11月12日
第1回
◇『悩む力』の十年後

姜 尚中さん
◇戦後の終わり
七年前の東日本大震災から今般の北海道、あるいは関西、近畿を襲ったさまざまな自然現象の乱調。こういうものを通じて人々はどこか不安を感じている。さらに言えば、私たちが信じていた安心・安全・快適というものが疑わしくなっている。そういう時代の中で奇しくも今回の本を出すことになって、私は同時に戦後というものの終わりを感じています。
戦後の終わりというのはどういうことか。私たちの世代には、安心・安全・快適が幸せで、昨日よりは今日、今日よりは明日、一年後よりは二年後、三年後の方が良くなっているはずだという、一つの神話に近いものがリアリティを持っていた時代がありました。そういう時代の流れを見て、自分もそれに乗っかっていけるのではないかと思って、私も熊本から東京に出てきたわけです。そのあたりのテン末は『維新の影 近代日本一五〇年、思索の旅』(集英社)でも少し述べていますが、今回の本では自分のプライベートな生活とこれまで自分が各種メディアや活字を通じて語ってきたことがどのように結びついているのか、なぜ自分がそのような言葉を紡ぎ出したり発言したりしているのかということを書いています。
この記事の中でご紹介した本
「母の教え 10年後の『悩む力』」出版社のホームページはこちら

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